ゆにおん・ネタ帳

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2018年

笑顔
島田 浩二
2018/03/11

突然ですが、みなさんは職場で笑顔で働いていますか?
仲間に笑顔で接していますか?

今回は「笑顔」について書きたいと思います。

いきなり私事で大変恐縮ですが、昨年の11月に第一子(娘)が誕生しました。
お子さんがいる方も、いない方もそうだと思いますが、やっぱり子供の一番かわいい
顔は「笑顔」ですよね!

ただ、生まれたばかりの赤ちゃんはその笑顔が見たくてもなかなか見せてくれません。
くすぐろうが、変顔をしようが、変な声を出そうか無反応。
ただ、ふとした時に「ニコ」と天使の笑みを見せてくれます。
もっとこの笑顔を見るためにはどうしたらよいのか…。

そんなある日、仕事から帰ってきて娘の顔を覗き込み、笑顔で「ただいま」と伝えたら
ニコっと笑顔で返してくれました。
一日の疲れが一気に吹き飛び、より一層、娘を愛おしく思える瞬間でした。

調べてみると、どうやら生まれたての赤ちゃんには笑うのに理由があるみたいなんです。
これを「生理的微笑」というそうです。

新生児期から生後二ヶ月あたりまでにみられる赤ちゃんのふとした時の笑顔は、「新生児微笑」と
いい「自分が笑うことで周囲が優しくしてくれる」という自己防衛手段として笑うのだとか。
この頃はまだ「泣く」「寝る」「飲む」「排泄する」といった生命維持に関わる本能的な行動のみ
を日々行っており、視力も未発達なので両親の顔を認識することもできません。

そして生後三ヶ月ごろから視力が発達することで、ママやパパの表情を認識するようになり、
笑顔は一つの情報として捉え、同じ表情を作るようになるとのこと。

ちょうど娘に「ただいま」と伝えて笑顔で返してくれたのも生後三ヶ月ごろでした。
つまり、娘の笑顔を見るためには自分が最高の笑顔で接することが大切であるということです!


少し話は変わりますが、私は仕事で講師をやらせていただくことがあります。
テーマは「チームビルディング」=「関係性づくり」です。

人と人との関係性構築に大切なのは、個々が抱く感情です。
この感情がお互いに好意的な感情を抱くことが関係性づくりでは大切なのですが、
ついつい第一印象で相手にレッテルを貼り、「あの人とは合わない」「この人はこういう人」
「何か嫌い」など、その人のことをあまりよく知らないのに負の感情をいただいてしまうことがあります。
不思議なことに「負の感情」は相手に伝わります。
それは態度や言葉に出していなくても、無意識に取った行動や表情によって相手に伝わってしまうのです。
その逆で「好意」も相手に伝わります。

私の研修では、初めて合う人が限られた時間の中かで体験を通じて関係性づくりを行います。
その時の最初のアドバイスとしてお伝えするのは、笑顔で接することをお勧めしています。
笑顔で挨拶されたり話しかけられて、相手に負の感情を抱く人はまずいないと思います。

「相手が好意的に接してきたら、こちらもそれなりに対応する」と受け身になるのではなく、
まずは自分から「あなたのことを好意的におもっていますよ」と表現することが第一歩です。

ゆにおんネタ帳を読んでくれている組合役員のみなさんは、日々組合員の幸せや会社の存続発展に
向け、みんなが笑顔になれるように努められていることと思います。

しかし、眉間にしわを寄せ、怖い顔で組合員と接していたりはしませんか?(特にこの時期)
組合活動は人と人を繋ぐ関係性づくりの機能も担っています。
あなたが組合員と接するとき、しかめっ面で接したら、相手があなたに負の感情を抱くかもしれません。
まずはあなたが職場の仲間に向けて笑顔で好意的な感情を抱き接することが、みんなを笑顔にする第一歩だと
私は考えています。

なぜなら笑顔は、向けられた人を笑顔にします。
それは前段でも説明したように人の本能的な反応だからです。

人が一生で笑っている時間は【22時間3分】だそうです。
この時間が少しでも長くなるように、明日からみなさんも「ニコ」と笑顔で組合員のみなさんと接してみて下さい。
きっと相手も笑顔を返してくれるはずです。


~東日本大震災の被災者の方々へ~

未曾有の震災から今日で7年が経ちました。
被災された皆様ならびにそのご家族の皆様に心よりお見舞い申し上げます。
皆様が心の底から「笑顔」になれる日を願い、自分に出来ることを続けてまいりたいと思います。


家庭内アンコンシャス・バイアスと女性活躍推進
2018/03/04
育児休業から復帰して8カ月となりました。
去年休んでいたのが夢かというくらいに普通に働いています。セミナーも変わらずやっており、出張や土日出勤もしています。
最近のセミナーのテーマは圧倒的に「ダイバーシティ(女性活躍推進)」が多く、私自身の話も参考になるようなので、1つの事例としてお話をさせていただきます。
現在の私は、子供のお迎えのために定時退社することはありますが、セミナーなどの仕事が入れば、そちらを優先しています。
多くの人が気になるのは、仕事を優先した場合の子供の世話です。私ども夫婦は、どちらも実家が遠方なので、夫婦で力をあわせて乗り切らなければなりません。
まずは「子供は夫婦で育てる」ということをしっかりコミットメントしました。従って、家事育児の半分は夫の役割です。
朝の送りは夫、お迎えは私が基本ですが、私が仕事を優先する日は夫がお迎えです。
セミナーでこう話すと、少なからず「私の夫は激務で、家事育児を頼めません」とおっしゃる方がいます。
一見、これは夫の問題のように感じますが、実は妻側の問題の場合があります。「夫は育児ができない」と決めつけて、本気で協力を依頼していないのです。
夫の協力なしには、女性の活躍はおろか両立だけで疲れてしまいます。子供と触れる時間の長い妻の育児がうまいのは当たり前です。
でも、その妻だって最初からそうでなかったはずです。思い切って任せましょう。
またよく聞くのが、夫が意を決して育児で帰ることを会社にお願いしたら、あっさり承諾された、という話です。
昨今、働き方改革で、従業員の私生活を尊重する企業が増えてきています。働くほうの価値観としても、若い人を中心に仕事と同じくらい家庭を大事にしたいという方が増えています。
もちろんすべての会社が理解あるわけではないですが、従来の慣習にとらわれず、言ってみる価値はあると思います。
さて、夫の戦力化に成功したとしても、どうにもならないときもあります。そういうときは外部の力を借ります。
今は育児や家事に関するサービスが本当に充実しています。我が家が利用しているのは、ファミリーサポートと区の病児保育、一般のベビーシッターと病児専門のベビーシッターです。
利用者としてのハードルは、お金と未知なものに対する不安でしょうか。お金に関しては、自身のキャリア形成で取り戻すことができます。
ここは非常に大事なポイントですが、女性のキャリア意識を高めるには、足元だけでなく長い人生をイメージさせることです。
今や女性の2人に1人が90歳まで生きる時代です。年金の支給開始年齢も後ろ倒しになることは避けられないでしょうし、長生きがリスクになる時代といわれています。
老後破たんという穏やかでない言葉も耳にします。キャリアは一生、子育ては一瞬です。子育て時間をおろそかにしろと言っているわけではないですが、子育て中も緩やかなキャリア形成をしていくことが重要です。
逆にいうと、一瞬の子育て期間を男性が味わえないことは、実に不幸なことだとも思います。
そして未知なものに対する不安ですが、私も初めはベビーシッターを自宅にいれることに抵抗がありました。
しかし、子供もすぐに懐き、プロとしての手際のよさに一瞬で不安もなくなりました。最近は、家事の代行もはやっており、昔に比べ安価で消費者ニーズに対応したサービスも揃えています。
子育てにおける母親の譲れない役割は何かと考えたときに、一番はコミュニケーションだと思います。そうすると家事などは、思い切って外部を使うのも一考です。
夫婦どちらがやるかでもめるよりは、外部に頼んでしまうほうが健全です。
こういったサービスの心理的なハードルを低くするために、労働組合はシッター会社と提携して入会金を免除にするとか、
実際に家事代行を使ってみた感想をレポートにして機関紙に載せてみるとか、できることはたくさんあるでしょう。
日本には「家事や子育ては母親の役割だ」というアンコンシャス・バイアス(無意識の偏見/セミナーでも人気のコンテンツです)が根強くあります。
一方で「母親のワンオペ育児を推奨している」と炎上したCMも記憶に新しく、伝統的な男女の役割意識に抵抗を感じる人たちも確実に増えています。
さまざまな価値観をインクルージョンしつつも女性活躍を実現化し、組織は継続的な発展をしなければならない時代です。課題に取り組むときは、
柔軟な思考で本当にそうなのか、他に方法はないのかと考えると、いくらでもやりようは見えてくるでしょう。
ただ、順番としては、夫の戦力化→外部サービスの利用でお願いします。
そうでないと、「外部サービスに頼んだらとても快適で、夫のいる意味がわからなくなった」という母親の報告も少なからず聞いておりますので。

出生前診断と遺伝カウンセリング
石垣
2018/02/25
出生前診断や遺伝カウンセリングを受けた時に感じたことを記します。
2018年1月22日(月)大雪の日に第2子の長男が誕生しました。
今回、妻の妊娠を機に、妻の希望もあり出生前診断を受けました。

出生前診断とは胎児の遺伝子に異常が認められないかを診断するための検査です。
出生前診断を受けるにあたり、夫婦で遺伝カウンセリングを受けなければならず、
平日に休みを取って受けてきました。

遺伝カウンセリングの目的はおそらく以下の2点と思われます。
1.出生前診断でわかることを伝える
→出生前診断で全ての先天性異常や障碍を見つけられるわけではないこと
もっと言えば、出生前診断でわかる情報はあまり多くないということ
2.「異常がわかった時に対応をどうするか」支援をする
→堕胎する気が無いのであれば、出生前診断は不要ではないか。
覚悟を決めているのか。そのことについて夫婦で話し合っているのか。

遺伝カウンセリングを受ける中で、興味深かったのはヒトの染色体の話しでした。
染色体の基礎知識について説明を受け、「授業で聞いたことあったな~」と
懐かしむとともに新しい気付きもありました。

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ヒトの染色体は22対づつあり、性染色体のXYと足して46本。
染色体が3本ある状態をトリソミーといい、13番、18番、21番の染色体が3本の状態で生まれてくることがある。
21番目の染色体が3本ある状態が、いわゆるダウン症。
それ以外でトリソミーがあった場合は、出生前に淘汰されてしまう。
また、13・18トリソミーは短命とされ生後1年以内に90%が亡くなってしまう。
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出生前診断は、主に染色体の異常についての検査です。
トリソミーかどうかはわかっても、他の障碍(視力が弱い、耳が聞こえない、身長が伸びない等)はわからないし、
わかったとしても伝えないそうです。
(そもそも障碍と言えるかどうかという話でもあります。)

もし染色体異常が見つかったら、堕胎することを妻は考えていた。
それに、わたしも同意していました。
カウンセリングを受けて、染色体異常があって生まれてくることは奇跡であり、
生きる可能性がある以上、その運命に従うべきと感じました。

そして、「チョコレートドーナツ」という映画を思い出しました。
ゲイのカップルがダウン症の子供を養子に取ったらどんな問題に直面するかを描いた映画です。

映画を見た初見はつまらないと思っていました。
名だたる映画評論家が絶賛しているので、ハードルが上がりすぎたことが要因です。
しかし、思い返すたびにじわじわ感動します。
ダウン症に生まれて役者を目指したいと思っても、役に恵まれることはきっとないでしょう。
あっても話題づくりやチャリティー企画ものなどではないでしょうか。
あの映画自体が夢の実現の場となっていることに感動するのです。

「働ける場所」があること自体、オリンピックやパラリンピックの舞台と同じくらいの、夢の実現の場となりえることだと思います。
これまでの社会貢献的なニュアンスではなく、戦力として活用される現場となることを願います。

人の話が分からない理由を考える
吉川 佐和子
2018/02/18
私は情宣物制作に携わっており、メインの仕事は編集作業です。
編集作業というと、原稿を整理したり執筆したりと、黙々と取り組む様子をイメージされるかもしれません。
しかし、人と対話することも意外と多く、文章と会話両方で「分かりやすく伝える」という使命をもって日々取り組んでいます。

さて、私たちは頭の中で「言葉」を使って考えています。
一人で考えるとき、人と対話するとき、本を読むとき、ニュースを見るとき・・・などなど。
書き出して整理することもありますが、まずは頭の中で考えていますよね。
人間と言葉は不可分な関係性があります。

日々いろいろな原稿や人の話と向き合っていると、どうにも理解できないことがあります。
じっくり聞いている(読んでいる)うちに結論にたどり着くならいいのですが、
最後まで「何が言いたかったんだろう?」と着地できないことも・・・・・・。
自分なりに「分かりにくい理由」を検証してみたところ、
話を聞いて理解できないのは、主に3つの理由があるのではないかと、最近思うようになりました。

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■人の話を聞いて理解できない原因
①重要な情報が欠けているとき
②論理矛盾があるとき
③うそがあるとき
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情報が足りないときは、話したくない理由があるのかもしれません。
論理矛盾は、一度紐解いてどこがつながらないのかを確認してから、再度尋ねます。
特に、「結論ありき」で話している(書かれている)もので、この3つの中でも一番多いと感じています。
うそがあるときは・・・・・・何か言いたくないことがあるんだな、と思い、その人がなぜそうしたのか、想像してみます。
(うそ、と決めつけるわけではありませんが、そう仮定した場合のことです)


文字にすると当たり前に感じるかもしれません。
私は今のところ、この3つのどれかに振り分けることで、思考がスムーズになっています。
たくさんの人と「言葉」を交わしている組合役員のみなさんの、
何が言いたいんだろう?分かりにくいなぁと感じたときの参考になれば幸いです。
ストレッチ経験が人を育てる
藤栄 麻理子
2018/02/11
春闘シーズンを迎え、組合活動により注目が集まる時期です。
春闘に代表される集団的労使関係によるより良い会社づくりはもちろん大切ですが、
組合役員の皆さまとお話していると、職場や支部などの現場の声に根ざした取り組みの
重要性が増してきていることも感じます。

職場や支部での取り組みの鍵を握るのが、現場の役員の皆さま。
本部役員の皆さまからは、よくこんなお悩みを伺います。

「非専従だから、あまり負荷をかけるのは申し訳ない」
「業務も忙しいのに、活動をお願いすると嫌がられてしまうのではないか」
「現場役員にそこまで任せるのは荷が重いのでは…」

こんなお悩みへのヒントになりそうなお話を紹介します。
以前、こちらの記事でも紹介されたことがありますが、
北海道大学大学院 経済学研究科の松尾睦教授によると、
「経験から学ぶ」ためには以下の5つが鍵となるそうです。

①挑戦的な課題に取り組むこと(ストレッチ)
②経験、行動を振り返ること(リフレクション)
③仕事の中に関心・意義を見出すこと(エンジョイメント)
④自分なりの目標・思いをもつこと
⑤他者とのつながりをもつこと

これを組合活動に置き換えてみると、ただただ職場活動を行ってもらうだけでなく、
そこに「挑戦的なストレッチ目標」があるかどうか、
その取り組みの意義や目的をそれぞれの役員が理解し動機づいているか、
それを振り返り、高めあっていくための機会や仲間が確保されているかどうか、
ということがポイントと言えそうです。

この「経験から学ぶ」ことの効果が垣間見える出来事がありました。
弊社では、組合活動をイキイキと実行できる女性組合役員の育成を目的に
年1回「美脳塾Basic」という女性役員限定の勉強会を行っています。
全4回、5か月間にわたる研修講座ですが、参加者の皆さまには研修にお越しいただくだけでなく、
自組織での「女性組合員の声を聴く」イベントの企画と実施、その報告を課題として取組んでいただいています。

全国から参加される女性役員(中には組合員の方もいらっしゃいます)の皆さんは
非専従や新任の方も多く、最初は「組合活動のこと、実はあまりわかってないんです」という声も聞かれます。
自分でイベントを企画し、女性組合員の声を聴くという課題に対して、戸惑いや負担を感じる方もちらほら。
それでも、過去4回の開催に渡って、「実践できなかった」という方はいらっしゃいません。
全員が自分なりに目的を見出して、取り組みを行い、最後には「組合活動っておもしろい」という感想を持たれているのです。

実際に昨年度の参加者を対象に行ったアンケートでは以下のような結果が見られました。

●「組合役員として活動することにやりがいを感じる」という問いへの肯定的な回答の割合
研修1日目:72.7%   ⇒ 研修最終日:100%

●「組合活動では、やり終えたあとに満足感を持つことが出来る」という問いへの肯定的な回答の割合
研修1日目:65.9%  ⇒ 研修最終日:100%

参加者の声からは、難しい課題に対しても、自分自身の力で周囲と協力しながら取り組み、
完遂することができたという経験が、組合活動そのものへのさらなる動機づけにつながっていることが伺えます。

美脳塾は女性役員向けの講座ですが、こういった経験の大切さはいずれの方にも共通なのではないでしょうか。
現場のことを考えると遠慮してしまう、本部でもっとできないかと考えてしまうのは自然なことだとも思います。
しかし、一方でその「遠慮・配慮」が大きくなりすぎると、相手や組織の成長を阻んでしまう危険性もあるのではないでしょうか。
思い切って少しストレッチした目標を課し、その意義を一緒に考えていくこと、支援していくことが
相手や組織の大きな成長につながるのではないでしょうか。
業務でも組合活動でも「相手に任せる」ことが人材育成の大きな鍵を握っているようです。

★本文でご紹介した『美脳塾Basic』詳細はこちらから!★↓
http://j-union.com/-/pands/nlog/viewer/view.php?ID=154&CID=12281&AID=119353&T=kiji


活動の取捨選
2018/02/04
■成長期
どの組織においても、組織の予算が増え人員が増えるなどの右肩上がりの成長期には、人やお金のリソースも足りるため、
活動の幅を拡大したとしてもなんら問題はない(むしろ拡大しない方が問題を生じやすい)。
その昔、高度成長期に企業も労働運動も盛んだった時には、活動の幅をどんどん広げていくことが時代にフィットしていたのである。

■衰退期
一方で、組織の予算が減少し人員が減るなどの右肩下がりの衰退期は、以前と同じ活動の幅を維持しようにも、
人やお金のリソースが足りず、困難に陥る。さらに困ったことに、人は一度良い質に慣れると、同じ対価を支払っているのにもかかわらず質が落ちたと、当然不平不満を抱く(これも必然)。
しかし、ここで血を流す改革を怠ると、ゆでガエルのようにいずれその組織は死に至る(これも必然)。
従ってこの時代を生き残るためにはリーダーは非情な鬼となって、組織に革命的な改革を断行しなければならない。
根本的な意義と目的から問い直し、大混乱と反発を覚悟の上で必要性を訴え、ゼロベースで一から活動の取捨選択(断捨離)を敢行しなければならない(これが必須)。
だが、これができる組織やリーダーは圧倒的に少ない。人はそこまで強くはなれない、非情にはなれないからである。
従って、ゆでガエルのようになることがわかっていても、変われないことが多いのである(これが実情)。

■停滞期
そこで、組織とリーダーにとって最も重要となるのが停滞期である。
この時期に活動の取捨選択を行うことができるか否かが鍵となる。
衰退期で滅びゆく道と知りながらも止められないとなることを防ぐ分岐となる時期なのである(ここが今回伝えたい重要ポイント)。
つまり、組織の予算が伸び悩み、人が増えないという停滞期(あるいはその兆候が出てきた時期)にこそ、賢明なリーダーは速やかに、先手を打って、組織の改革を断行するのである。
根本的な意義と目的から問い直し、混乱と反発を抑えつつ必要性を訴え、ゼロベースで一から活動の取捨選択(断捨離)を敢行することをおススメする(これが生き残る知恵である)。
さらなる最善策は、成長期にあっても活動の取捨選択がとられることであり、そうした組織とリーダーがベストであることは言うまでもない。

最後に、ドラッカーの整理方法を左記に参考までに紹介する。

【集中するための第一の原則は、もはや生産的でなくなった過去のものを捨てること】

・成果をあげる者(組織)は、新しい活動を始める前に必ず古い活動を捨てる。肥満防止のためである。
・古いものの計画的な廃棄こそ、新しいものを強力に進める唯一の方法である。
・まず、誰もが不要だと言う仕事を捨てることは難しくない、むしろそこまで放置してあることが問題である。
・「これは今日価値があるか、今日において生産的か?」を自問し、答えが「ノー」であれば、それらのものを捨てる。真に組織にとって意味ある仕事に集中するために、ただちに捨てる。
・生産性の維持向上のために、「無条件に必要」との答え以外のものは、見直すか大幅に縮小するかやめる。
もはや生産的でなくなったもののために、人(労力)・時間・お金・資材を投じてはならない。
・怠れば、自分や前任者や会社が行った意思決定や行動の後始末のために、時間とエネルギーと頭を使わなければならなくなる。
・過去に効率的に機能した手法、特に前任者が大成功を収めた手法は、今となっては非生産的になったとしても生き続けるため、客観的な指標に基づく計画的な破棄が必要である。
・過去にその手法を決断し、決定した時においては、その時点の最善の方法だったに違いないが、いかなる優秀な人物や肩書きの人物であったとしても、未来の状況と出来事や問題を全て知ることはできない。従って、今日の状況と問題を解決するために、いかに素晴らしい決定であったとしても、過去の決定を見直し、貴重な今日の人の労力や時間は、今日のために使わなければならない。
・アイデアが不足している組織はない、良いアイデアがあっても昨日の仕事を捨てられず忙しすぎるだけなのだ。

偏差値の季節
渡邉 秀一
2018/01/21
 インフルエンザも流行っていたり、雪で交通網が乱れる中、今年も
センター試験をはじめ、入学試験の季節がやってまいりました。
何で困難な時期に入試なんでしょうかね。
それはさておき、受験でよく聞かれる統計用語として「偏差値」が
よく上げられます。
「受験する学校の難易度」を表している理解でよいと思います。
そもそも「偏差値」の正体とは何でしょうか。



上記が偏差値を表す式です。
「標準偏差」という表示がありますが、これを求める式も表示して
おきましょう。



こちらに至っては数学アレルギーの方は見るのもイヤなことと思い
ます。

簡単に言えば、
偏差値は、ある集団の中で平均点をとった人を50として自分の位
置を表す数値になります。
標準偏差は、その集団の得点の散らばり具合を表す数値です。

例えば、「国語の50点」と「数学の50点」のどちらが上でしょうか?
と問えば、「どちらも同じ」と答える方もいるでしょう。
確かにどちらも「50点」という表面上では同じですので間違いでは
ありません。

5人が受けたテストだと仮定します。それぞれの点数は、
国語は、50点、10点、20点、30点、40点
数学は、50点、60点、70点、80点、100点
でした。(少し極端は結果にしてあります)。パッと見で数学の方が
みんなの点数が高いことがわかります。

上記の式にあてはめた結果、
国語の標準偏差は、14.14
数学の標準偏差は、17.20
となり、数学の散らばりのほうが大きいことがわかります。

それぞれの標準偏差を使って偏差値を計算してみました。
国語の50点は、64.14
数学の50点は、37.21
という結果になりました。同じ50点でもこれだけの差が出てきます。
国語で50点を取るほうが困難なことがわかります。


全国的な入試になっても、規模が大きくなるだけでこの仕組みは変わ
りません。
その際に問題になることは、ここで計算された偏差値は、クラス単位
や学校単位といった小さな集団のものであるということです。
そのために統一テストや模擬試験などで、小さな集団にとらわれない
規模での自分の位置を明らかにするということになります。
私も学生時代(もう40年も前の話ですが…)の苦い経験を思い出します(笑)
その苦い経験が大人になってから役に立っているかどうかは何ともい
えません。


ただ、学力はテストの点数も大切ですが、それだけでは無いような気
がします。
文部科学省の定義では「知識や技能はもちろんのこと、これに加えて、
学ぶ意欲や自分で課題を見付け、自ら学び、主体的に判断し、行動し、
よりよく問題解決する資質や能力等まで含めたもの」となっています。
この中にはテストの点数はまったく出てきません。
「思考力」「判断力」「表現力」「問題解決能力」「学ぶ意欲」
「知識技能」「学び方」「課題発見能力」などを総合して学力としている
ようです。

テストではありませんが、大人になって企業に勤めるとたいがい「目標
管理」なるものをします。
この目標管理をする上でも上記の「学力」を構成する多くの要素が必要
なのではないでしょうか。

自戒の念も含め、今回は書いてみました。
難しい数式は忘れて、「学力」をもう一度見直してみたいと思います。



採用活動に科学的手法を取り入れる
佐々木 務
2018/01/15
ここ数年、企業にとっての採用活動、人材確保は新卒も中途も非常に難しい状況となっています。
終身雇用神話が崩れ、人材の流動化が加速し、少子化による労働力不足が進行していく時代。
グローバル化や働き方改革など、ビジネス環境の変化と多様化する価値観に対応していくため、これからの日本の採用活動は大きな変化が求められています。

実際に、私は当社でずっと採用活動を担っていますが、この数年ほど採用活動は非常に難しい状況になってきた事を実感してます。
企業としてはこの流れに乗り遅れては変化の激しいこれからの時代に生き残っていけません。
自社の採用を足元からしっかり見つめなおし、変革していく必要があります。
労働組合の活動とは直接的に関係はないかもしれませんが、最近読んだ横浜国立大学准教授 服部泰宏氏の「採用学」を参考に、この企業の採用活動について述べていきたいと思います。

服部泰宏氏は日本の採用活動における4つの問題点をあげ、「期待の曖昧化」と「評価基準の曖昧化」が採用活動と就職活動のヒートアップを生んでいると指摘しています。
1.「期待の曖昧化」:企業と求職者の間の相互期待が曖昧なままになっているという問題。
2.「評価基準の曖昧化」:選抜段階での能力の評価基準が、曖昧で不透明になっているという問題。
3.そうした結果、採用活動がヒートアップし、企業側が支払うコストが増大しているという問題。
4.企業の採用活動と同様に、学生の就職活動もまた、ヒートアップしているという問題。


■「期待の曖昧化」の問題

日本の採用、特に新卒採用の募集段階では個人が会社に何を期待し、反対に会社が個人に何を期待するのかを明確にしない場合が多いのです。
この背景には、日本企業の採用担当者の中で信じられてきた「エントリー数が多ければ多いほど、候補者の中に優秀な人材が含まれる割合が多くなる」という思い込みがあります。

ここで一番問題となるのは、多数のエントリーを募るために、募集段階で(また選考段階においても)自社に関するネガティブな情報を提示することをできる限り控え、ポジティブな情報ばかりを提供してしまう事。
ポジティブで魅力的なフレーズに彩られた募集広告は、求職者と企業のフィーリングによるマッチングを促進するかのように見えるかもしれませんが、それは他方で、もっと重要な期待のマッチングの問題を覆い隠してしまいます。
多くの新入社員がきわめて曖昧で、時に非現実的ですらある期待を抱いて会社の門をたたき、入社してから事前に抱いていた期待と現実のズレによって「リアリティ・ショック」という形で顕在化し、ひいては早期離職というお互いに不幸な結果を生み出す事につながってしまうのです。

■「評価基準の曖昧化」の問題

そもそも新卒一括採用という日本の採用慣行は、どうしても評価基準の曖昧化を生む構造になっています。
採用時点でまだ社会人として能力が発揮された実績のない人物を、入社後のキャリアを時間をかけて見定め確定させていく日本の企業においては、「将来的に能力を高いレベルで身につけ発揮するであろう可能性」を推測し「潜在的能力」という非常に判断の難しい評価項目で選抜するわけです。

かつてこの「潜在的能力」を判断するために重要視されていた評価基準に「学歴(学力)」がありました。
不公正や誠実性が指摘されることもありますが、「学歴(学力)」という客観的な能力で選抜する方法が企業にとって一定の合理性を持っていたことは事実です。
「学歴(学力)」がまだ重要視されていた1980年代には日本の大卒者は37万人程度でしたが、近年は57万人程度に増加。
少子化の進む中で大卒者数が増加し、全体の大卒比率が上がる一方で、近年になるにつれ「学歴(学力)」の優先順位は下がり、変わって「コミュニケーション能力」「協調性」「主体性」「チャレンジ精神」といった曖昧で多義的なものへと大きくシフトしていきます。

「コミュニケーション能力」「協調性」「主体性」「チャレンジ精神」などは「学歴(学力)」と違って非常に多義的で抽象的でありながら、同時にわかりやすい(わかった気になりやすい)ため、
担当者の解釈の多義性を生み、採用結果の分散につながります。
また、曖昧な能力でありながら、ほとんどの企業が求める能力であり、企業が期待している事も予想できるため、求職者がその能力をある程度装う事もできてしまい、担当者がこれを見極めることも非常に難しいのです。



期待と評価基準の曖昧化、採用活動の過熱化、その多くは単純に解決できるものでもなく、どの企業にも当てはまる「普遍解」を探すのは難しいものです。
ただ、多くの企業が「自社なりの解」を導き出すための「ロジック(論理)」と「エビデンス(根拠)」はあります。
欧米では既に多くの研究者が科学的手法によって明らかにされた「ロジック」や「エビデンス」があり、服部泰宏氏はその中に「自社なりの解」を導くヒントはあると紹介しています。


■現実路線の採用

期待の曖昧化によるミスマッチ問題に対して、欧米では既に研究が進んでおり、産業心理学者のジョン・ワナウスは「現実路線の採用」が効果的と提唱しています。
ポジティブな情報だけでなく、ネガティブな情報も発信しておく「すべての適切な情報をゆがめることなく求職者に対して伝える」という採用のあり方です。
「現実路線の採用」によって、現実的に期待できること、できないことが明確になり、期待の抑制と現実化ができ、求職者自身による自己選抜、マッチングを行う事で選考作業の効率化が図れ、質の高い母集団形成ができます。
また、リアルな情報の提供は、求職者に誠実で正直な企業として映り、企業に対するポジティブな評価と入社後の高いコミットメントを引き出します。

もちろん労働市場の状況、求職者が募集情報を熟読しない場合、求職者総数や採用予定人数などによっては「現実路線の採用」が効果が無い場合もありますが、それらの環境を分析し、状況を把握しながら、募集初期段階では採用担当者やリクルーターを通じて、求職者が自社にポジティブなイメージを抱くような情報を発信し、選考が進む後期になってからは、求職者の多様かつ精緻な情報収集に配慮しつつ、求職者との間に濃密な関係を築けばよいでしょう。


■変わる資質、変わらない資質

「評価基準の曖昧化」の問題を解消するためには、選抜基準の設定とその評価手法の検討が必要です。
これは本来、業種、企業、職種によって求められる能力は異なっているため、欧米でも研究として成立していないようです。

結局、自社の採用基準は自社で紡ぎだしていくしかないわけですが、そのヒントとなるロジックとして服部氏が紹介しているのが、産業・組織心理学分野の研究者のブラッドフォードの著書での議論内容です。
私たちが持っている能力は「比較的簡単に変化するもの」と、「非常に変わりにくいもの」の二つがあるそうです。
簡単に変わるものとして「リスクに対する志向性」「技術的知識的に最先端であること」「口頭や文章でのコミュニケーション」などがあり、非常に変わりにくいものとしては「知能」「創造性」「エネルギー」「部下の鼓舞」などがあるという事です。

注目すべきは日本企業の採用で重要視されている「コミュニケーション能力」が比較的簡単に変化するものとされていることです。
心理学的に努力によって向上することができるとされている能力に、採用時に時間をかけて確認すべきかという点についてはよく考える必要があるでしょう。
一方で、「知能」「エネルギー」などは「コミュニケーション能力」に比べればはるかに変わりにくい能力なわけで、採用段階ではきちんと評価しておかなければいけないという事です。
もちろん「自社で育成機会がない能力」であれば、比較的簡単に変化するものであっても採用時に注目すべきと考える必要があります。


■直感、思い込み、経験を離れ、科学的手法を取り入れ「採用力」を高める

この他にも服部泰宏氏は科学的な手法や先進的でユニークな採用事例を紹介していますが、大事なのは採用市場やビジネス環境が常に変化していく中で、従来の採用活動で使われていた、直感、思い込み、経験から離れ、科学的手法を取り入れて採用力を高めることとし、採用力を次のように定義しています。

採用力=採用リソースの豊富さ×採用デザイン力

採用に動員できることのできるリソースの豊富さと、採用全体を構想し、進めていくデザインの力。
この二つがある程度の高い水準にあることが重要で、特に後者の採用デザイン力を高めるために採用は科学的手法をうまく取り入れていかなければいけないとしています。
採用リソースに限りのある私たちのような中小企業は特にこの採用デザイン力で勝負するしかないのでしょう。


採用についてここでは述べてきましたが、採用活動だけでなく、経営を直感、経験に頼らず、科学的手法をうまく取り入れながら進めていく重要性は常に意識していかなければと強く思います。
3月からまた新卒採用活動がスタートします。当社の未来を担う人材採用に向けて、気持ちを新たに準備を進めていきたいと思います。
身体の所作
2018/01/07
今年も年末年始は実家のある千葉へ帰省しました。例年、実家に到着すると私はすぐに仕事に取り掛かります。母の年賀状をPCで作成し、プリンタで印刷することが実家における私の重要な任務なのです。重要な任務とは言っても、印刷する母の年賀状の枚数は限られています。例年10枚程度です。その程度の枚数であれば宛名は手書きで済ませればよいのではないかと思うのですが、どうやら母はそのようには考えていないようです。その理由を尋ねてみると、今年で68歳を迎える母は「パソコンで作りたいのよ」と答えました。母にとってパソコンで宛名を印字した年賀状を印刷できるということは、自分は世間並みのITスキルを有していることを友人・知人たちに対して示す重要な行為であるようです。結局のところ、母は世間並みのITスキルを私から密輸入しているので、詐称に過ぎないのですが。
 
ところが、今年の私の任務はこれだけでは終わりませんでした。母が昨年末にスマートフォンを購入してしまったのです。年賀状の宛名印刷ができない母にスマートフォンの操作ができるわけがありません。操作指導は困難を極めました。例えば、母が「QRを使いたい」というので、QRコードが載っている適当な広告を渡し、QRコードリーダーを起動して「これで写真を撮るようにして、このQRコードを読み込んでみて」と教えました。すると、スマートフォンをひっくり返して画面をQRコードにかざし、端末の背面にカメラのレンズを覗き込むという有様でした。
 
しかし、母のこの拙い行為に私は軽い目眩を覚える一方で、小さく感動することを禁じえませんでした。母が示した身体の所作は、フィルムカメラを手にした人間の所作に他ならぬものでした。ファインダー越しに被写体を覗きこむという忘れ去られた身体の記憶が私の中に急に甦ってくるようでした。変化する社会環境の中で、私たちは一体どれだけの所作を知らず知らずのうちに忘れ去ってしまっていることでしょうか。
 
「最近の若者は……」という台詞は公私を問わず色々な場面で耳にすることがあります。労働組合役員の方々からこの台詞を聞くことも少なくありません。「挨拶ができない」「他人に興味関心を持てない」「自分の意見を言えない」「主体性がない」など挙げればきりがありません。これらはもしかしたら考え方の違いということ以上に、異なる社会環境の中で身に付けた身体の所作の違いのようなものかもしれません。保守的な発想に立てば、古き良き身体を取り戻せということになるでしょう。反対に、革新的あるいはイノベーティブな立場に立てば、新しい身体の所作の可能性を追求しようということになるでしょう。労働組合の活動を今後さらに活性化させようとする時にどのような身体の所作を前提として考えればよいのか、そんなことを考えながら母にスマートフォンの使い方を教える2018年のスタートでした。
本年もどうぞよろしくお願いします。