歴史的に見て矛盾をはらんだ社会が続いたとき、民衆は変革を求めて立ち上がる。その中で比較的年配層は現状を変えたくないという安定化を望むのに対して、正義感の強い若い人々は矛盾を解決するために変革にまい進することが多いと言われる。これが今までの日本の社会的な動向の典型とされてきた。中高年の年配層が穏健で安定した社会を望み、若い人々は強い正義感から社会の矛盾を指弾し、変革を求めるという図式であった。
あったと過去形でいうのは、近年この図式が様変わりし始めたからである。様変わりの代表例は、政治でいえば、若年層の保守化である。
そもそも変革は簡単ではない。変革のためには正義感を維持し、変革のために毎日努力を続けることにも耐えなければならない。その努力に耐えられなければ現状を是認する道を歩むしかなくなる。
世の中は絶えずこうした世代間の価値観ともいうべき意識の変化の中で動いていく。ところが近年になって、こうした世代間のギャップの中身が大きく変わってきたようだ。若者の安定化指向だ。
2015年10月の朝日新聞の全国世論調査では、20~29歳層の安倍内閣支持率が62%に達していた。他の年齢層の内閣支持率がいずれも4割を下回っていたのである。
また、安倍内閣の「1億総活躍社会」の構想に対しても、20~29歳層で「期待する」が51%、「期待しない」が29%と、22ポイントも「期待する」が上回った。ここでも他の年齢層では「期待しない」の方が、26.6ポイントも多いのにである。
安倍内閣はとっかえひっかえスローガンだけを掲げ、目先を変えることでたとえ政策が間違っていても失敗を認めることはしない。なにせ、ことの是非を論じる国会では圧倒的な議席差を保持しているからである。そのことに今やだれもが気がつき始めているといってもよい。
例えばアベノミクスの根幹をなす理論、「一部の人が富めばその恩恵は下に滴り落ちて、多くの国民が富むようになる」というトリクルダウン理論は、まさに一部の人のみに恩恵を与え、歴史的にも今までに類をみない国民間の格差をつくってしまった。
アメリカの超富豪であるニック・ハノーアー氏は講演でこう言う。
【私たち超富豪は、この私たちがさらに富めば、他の人にも富が浸透するというトリクルダウン経済から脱却する必要があります。トリクルダウン理論は間違いです。そんなはずがないでしょう。私には平均賃金の千倍の収入がありますが、千倍多く買い物したりはしません。そうでしょう?私はこのズボンを2本買いました。パートナーのマイクいわく、「経営者ズボン」私はこれを2千本買えますよ。でも買ってもしょうがないでしょう?(笑)私が床屋に行く回数も、外食する回数も、そう多くはありません。超富豪がいくら富をかき集めたところで、国家規模の経済を動かすことは絶対にできません。それが可能になるのは、中流階級の成長によってのみです。】
さらにこう断言する。
【低賃金労働者の稼ぎが少し増えると失業が急増し、経済が崩壊すると考えるのはもう止めませんか?そんな証拠はないのです。トリクルダウン経済論の最もタチが悪い点は、金持ちがもっと金持ちになれば皆が幸せになるというその主張ではありません。貧乏人が金持ちになることは、経済にとってマイナスだとして、最低賃金の引き上げに反対する人々の主張です。それはナンセンスです。】
いまや日本も例外でなく分断社会への道を歩んでいる。「1億総活躍社会」のスローガンは、若い人々に好意的に受け止められている。「総活躍」の中身が伴なっていないにもかかわらずである。中身を分析して悪い影響が出ているとする人々と、中身を問わずスローガンの印象で判断する人々とに、年代による分断が生じてしまった。大人は若者の認識不足を非難し、若者は、大人たちの主張に反発する。いまや両者の間の距離は、どんどん遠ざかってしまった。
耳に心地よいスローガンはまだまだある。「女性活躍社会」もそうである。人権尊重の理念に根ざしているはずの「女性活躍社会」も、セクハラやパワハラで女性が被害にあっても、自民党幹部の女性蔑視の主張は後を絶たない。にもかかわらず、政権は「女性活躍社会」のスローガンを臆面もなく掲げ続けている。スローガンで実情を覆い隠そうとする保守政権とすれば当たり前なのだ。しかもその保守という言葉にも若者の変化が見て取れる。
【「政権支持イコール保守化ではないのでは」と学習院大2年の男子学生は言いつつ、こう続けた。「野党を選ぶリスクを避けて現状維持を望むのは確かです」
多感な頃、政権交代と東日本大震災を経験した。大人たちの民主党政権への評価と比べると、安倍政権は大きな失点がないように見える。就職も好調(注・非正規社員が増える不正義にも目を塞ぎ)だから交代を求める理由がない。
大学に入って政治に興味を持ったという東京学芸大3年の女子学生は、自分をリベラルだと考える。LGBTの権利擁護や女性差別撤廃に強く賛同する。その上で、昨年の総選挙で投票したのは自民党だった。(中略)若い世代の政権与党への支持は高い。昨年の総選挙の出口調査で比例区の自民党に投票した人は60代で29%だったが、20代は47%に上った。(略)
早稲田大学准教授の遠藤晶久さん(40)は6年前、政治意識の調査をして、あることに気づいた。「若い世代に何かが起きている」。
通常は保守とされる日本維新の会で迷わず「革新」を選び(注・政策は保守的で第三自民党といわれる「日本維新の会」に対しても、革新グループとして位置づける)、逆に共産党は「保守」寄りだったのだ。その後も調査を重ねると、20代から40代までが同じ傾向を示していた。
これは「若者は無知だから」と切り捨てる話ではないと遠藤さんは考える。若い世代は、革新という政治用語を「変化」や「改革」ぐらいの意味だととらえているのだ。(略)
当初、自民は保守側に位置していたが、最近は真ん中に寄っている。これは若い世代に改革政党と映り始めていることを意味する。】(9月6日「朝日新聞デジタル」)
政権側が「改革」を口にするのは小泉政権の時からである。既存の制度の矛盾や過ちを否定することに「改革」という言葉を使いだしたとも言われる。
バブル崩壊後の日本では、リストラが流行り多くの人たちが職を失ったうえに、派遣や非正規社員を大幅に増やしてきた。就職を控えた若者がリストラで職を失う先輩を目にして自分の将来に失望し、社会や会社を信頼せずに、頼れるのは自分だけという考えになったとしても止むを得ないのかもしれない。
さらに、内閣府が2013年の日米韓など7カ国で行った意識調査によれば、「将来の希望がない」と答えた日本の若者は38%と最も多かった。
【(若者が)現状維持を求めるのは、若者が日本社会に見捨てられる様子を見ているから。将来に不安を抱えるからこそ、同時に「変わらなければ生きていけない」と考える。作家の橘玲さんは、「リベラルは本来はより良い未来を語る思想のはずなのに、日本では現状を変えることに頑強に反対している」。グローバル化に適応できず、長期低迷が続く平成の日本で、不安定雇用や少子高齢化に直面する若い世代の目に、リベラルは「守旧」に映るというのだ。】(同上)。
少し整理してみよう。リベラルとは本来、より良い改革を進める政党に冠してきた。ところが今の政権は、経済発展のためには現状を否定して改革することが必要と訴える。たとえ、その改革が労働者や国民を犠牲にするものであっても、それを心地よいスローガンで包み隠してしまう。
国民は将来に対して不安が大きければ大きいほど、今が安定していてほしい。そして一方では、「何か改革はしなければ」という漠然とした思いを抱いている。リベラルの定義が変わってきたように、「安定と変化」が同居しているのが若者の意識のようだ。
バブル崩壊後のあの就職戦線の暗雲と比べれば、たとえ、派遣などの非正規社員が増え富の不公平がまかり通っても、失業率や有効求人倍率の数字が好転していることに気をそらされ、環境が良くなったと錯覚させられてしまう。だからこの環境で安定してほしい。そのうえで、「将来への不安を払しょくしてほしい」と考えているらしい。それを非難するだけでは解決できない。
「安定願望は退化の始まり」と一言で済ませる時代ではないようだ。リベラルや改革を自認する労働組合は、心地よく聞こえるスローガンに惑わされずに、真の改革へ歩みを進めていかなければならないのだろう。
それをしなければ、労働組合も「チコちゃんに叱られてしまう」かもしれない。