これまで、5の1では「労働法は歴史的にも一部の経営者の理不尽な暴挙を規制し、国民と労働者の人間らしい生活を保証する目的をもって制定されてきたものである」こと、5の2で「日本の労働組合は、非正規社員を犠牲にして、組合員である正規社員の雇用を守り労働条件の向上を図ってきたため、労働者の中に『雇用』と『所得』の二つの格差を生み出してしまった」こと、5の3で「アベノミクスによる解雇しやすい限定社員制度に対して、賛成する労働者と反対する労働者に分かれ、結果として法制化が強行される素地をもっている」こと、5の4では「諸外国の解雇規制は、それぞれの国の歴史によってつくられたもので、日本だけが特に厳しいとは言えないが、日本の裁判では非正規社員の犠牲を容認し、今後解雇規制は裁判官によって変更されていく可能性を持っている」こと、を指摘してきた。
新しい労働運動とは、これらの問題点を指摘するだけではなく、今後に向けて少しでも解決できる道を模索し、具体的な方策を打ち立てていかなければならないので、今まで指摘してきた問題点を網羅した具体的な提言はあるのか検討してみたい。
まず労働組合は、すべての労働者を代表して対応策を考える必要がある。企業に勤めることで「働いて賃金を得て生活をする労働者」に理由のない格差があっていいわけがない。正規・非正規すべてを網羅した雇用形態・就労形態はあるのか。企業が従業員の雇用調整に手を付ける理由である業務の繁閑、企業が存続していくための事業構造の改革に伴う雇用調整は必要ないのか(反対していれば済むのか)。労働者として職業能力の向上に努力しなくてよいのか。国の経済とは「国を治め、民を救う」(「語り継ぐもの」(特別版))ことに尽きるのだから、雇用や職業能力の向上を民間企業のみに頼っているだけでいいのか、国としてやるべきことはないのか、就職先がないことで国民の生活が困窮せざるを得ないときの国の役割とは、などなどである。
労働組合の雇用確保の道を振り返ってみると、労使協議を尽くした結果、会社における業務の繁閑、事業構造の改革に伴って雇用調整が必要と判断した際には、順番はいろいろあるものの、およそ次のような対策をとってきたのである。
第一は、会社の教育制度を利用し、必要とされる新技術の養成と訓練を行った上での従業員の職種転換を行い、それでも対応できなければ、忙しい職場(工場)への配置転換(住居の移転を伴うケースも)、次には、入社した一企業の枠を超えたグループ会社間の異動、さらには転籍、そして企業内での応援作業、一時帰休、出向などの対策を講じてもなお対応できなければ、グループ企業の枠を超えた転籍なども考慮され、最後に希望退職がそじょうに載せられる。希望退職が不調に終われば「解雇」へと発展していってしまう。労働組合は、最終手段の解雇を可能な限り避けるためにそれ以前の経営対策に協力してきた。これら一連の対策の中に、下請け業務の引き上げやパート労働者などの非正規社員の減員を求めてきたのである。
企業内の処遇に関係した格差には「性別」と「年齢」がある。性別は男女、年齢は定年制度(今回はふれない)だが、性別格差はセクハラなどに見られるように、近年になって国民の関心も強く必要性も高まっている。
この問題の解決には、厚生労働省でも主張しているが「均衡処遇」の実現が欠かせない。表面上の労働の形は同じであっても、労働者に課せられている義務や就労形態の違いによる処遇の差は認めるというもので、たとえば、残業に応じなければならない人と、時間契約なので残業しなくてもいい人とでは、表面上は同じ仕事であっても処遇に差をつけてもよいという考え方だ。転勤もしかりである。この考え方で今回の限定社員制度(地域限定、職種限定)がつくられているが、肝心の正規社員、非正規社員制度で生まれる格差の本質的な解決にはなっていない。
そこでオランダのワークシェアリングが参考になる。もともと日本の賃金制度は、世帯主義をとっている。1人の賃金収入で4人家族(世帯)の生活をまかなう。だから社会の多くの制度は、配偶者の1人は家庭に居る前提で設計されている。年金も、健康保険も、所得税の課税も(配偶者控除、扶養控除というように)である。そして家庭には必ず1人が家にいるのだから託児所も保育所も必要なかった(今は共働きの家庭が増えてきたから問題になっているが)。賃金をはじめすべてが配偶者の1人は家庭にいる前提で社会の諸制度がつくられているのだ。
男女差別を分かりやすく説明するために、世帯主を男性、家庭にいる配偶者を女性と仮定する。家族4人分の生計をまかなう賃金は、労働者個人の能力や成果とは直結しない。基礎的な必要生計費として、単身生活、結婚、出産、育児、教育に応じた生計費のカーブと連動した賃金が必要になる。俗にいう年功型賃金だ。生計費を1人の収入でまかなおうとするから水準が高くなるのである。
そこで、その水準を100として75まで下げてしまう。当然、家族4人の生計費はまかなえない。専業主婦も働かなければ生活できないから働きに出る。その女性の賃金は、先ほどの「均衡処遇」に基づいて決められる。今までの世帯主と義務も権利も同じ仕事に就いたとすれば、世帯主と同じ75の賃金になる。共働きになるから両者の収入は150(75が2人分)になる。共働きで収入増になれば、以前は4人家族(夫婦、子供2人)であっても今度は6人分(夫婦、子供4人)の生計費をまかなえる計算だ。
世帯の多くが共働きになれば、あらゆる社会の制度もそれに応じるものにしなければならない。「妻は家庭に」という従来からの精神文化から脱却しなければならないし、税制、年金、健康保険制度などの改革、希望者全員が入所できる託児所・保育所の充実など、企業内の賃金制度、社会全体のシステムなど膨大な課題を解決しなければならない。また、すべての人が8時間労働を求めず、家庭や個人の都合で短時間労働を希望する人も出てくる。だから「均衡処遇」を「時間当たり賃金」で実現しなければならない。そうなれば短時間正規社員制度の導入も可能だ。家庭の都合で8時間働けない人は、短時間でも、時間当たり賃金は同じだ。8時間労働を選択するのか、4時間などの短時間を選ぶのかは本人と会社で決めればいい。オランダの「パートタイム労働者」は「短時間正規社員」のことであって、今の日本でいう非正規社員という扱いではない。正規社員としての多様な働き方の選択肢が増えるのである。
つぎに派遣労働を考えてみよう。派遣労働者を採用する企業の言い分は「正規社員の雇用調整の難しさ」だ。企業にとって、事業に繁閑があること、事業構造の改革をしなければならないことは否定できない。誰が経営者になっても避けて通れない問題なのである。避けて通れない問題が発生した際に、労働組合はどのように対応すればいいのか。言い換えれば、どのような「雇用調整」をすればいいのかである。
再三述べたように、今の経済システムの中では雇用調整の必要が生まれた場合に、一民間企業にすべての責任を取らせることは無理である。当然、社会の出番である。社会とはすなわち政治、失業者が出ても生活への不安をもたずに(失業保険制度の充実)、必要とされる職業能力の向上に努力でき(職業訓練制度の充実)、少なくとも失業保険の給付期間内に再就職が可能(職業紹介制度の充実)な社会システムを整備しておかなければならない。完備された社会システムを背景に、労働組合は会社が考えている雇用調整の理由を十分に分析したうえで、従業員(非正規社員はゼロになっている前提で)の雇用の在り方を考える。その際に、今までも場合によっては「処遇の切り下げ」を是認して雇用を守ってきたのであるから、追い詰められて雇用を守るために「処遇を切り下げる」対策をとるよりは、いつの段階でも事前に雇用を守る手だてを考えておく必要がある。
雇用を確保するためのセーフティーネットをいかに広く何重にも用意しておくか。その広さや厚みが、「事業構造の改革イコール失業者の発生」という事態を避ける一助になる。職種転換や配置転換、転籍などを、一企業内の狭い場所に限定せず、企業の枠を超えたグループ間へ、さらに企業グループを超えて同一産業内に、さらに、労働条件の切り下げを覚悟しても同一業種の請負企業、下請け企業を含めた幅広いネットを用意して雇用だけは守る姿勢が求められているのである。それを裏付けるものとして、労働組合による職業訓練制度の設立が急がれる。職業訓練を企業や社会の制度だけに委ねるべきではない。職業訓練を通じて、全労働者が必要とされる職業能力を持つように務めることが、労働組合の最大の使命ともいえるのである。
そして、最悪の事態に備えて、労使の協定による「日本的レイオフ」制度も用意しておく必要がある。
何重にも張りめぐらされたセーフティーネットでも雇用が守れなかったときに、はじめて社会のネットの出番となる。健康で働く意欲さえあれば必要な職業教育や訓練が受けられ、新しい職場に再就職が可能な社会をつくり、一度失業者の市場に出されてしまうと、再就職が不可能に近い社会にしてはならない。今は、世帯主義の賃金制度で4人分の生計をまかなう賃金を得ていた労働者が失業してしまうと、ある程度以上の年齢であれば再就職はほとんど望めない。失業保険の給付期間以上に失業してしまったら収入はなくホームレスになるしかない。あるいは、妻や子が就職しようとしても、正規社員の募集はほとんどない。こうして非正規社員だけが増大していく。安倍首相は、アベノミクスによって「雇用は増えている」と豪語しているが、増えているのは非正規社員だけである。それでも「失業よりもいいではないか」というような発言が許される社会にしてはならないのである。
社会の改革には時間がかかる。特に精神文化として定着している「妻は家庭に」という意識を改革するには気の遠くなるような時間がかかるであろう。雇用を守るために、業務の繁閑対策や事業構造の改革を認めるのは気が進まない。しかし、気に入らなくてもそれが真実なら認めたうえで対策を考えなければならない。労働組合は、この「不都合な真実」にも目をそむけず、改革には時間がかかるのだから、来年から始めるよりは今年から、明日から始めるのであれば今日から取り組んでいかなければ、常軌を逸した一部の経営者や政治家の手によって、ますます取り返しのつかない窮地に陥っていくのは明らかである。
(「限定社員制度と解雇問題5の1~5の5」完)
(文中でふれた「日本的レイオフ制度」は別の機会にふれる予定である)



