鈴木勝利 コラム「語りつぐもの」

鈴木勝利 コラム「語りつぐもの」

東京オリンピック・パラリンピック雑感4の3~「お・も・て・な・し」と民族蔑視~vol.77
2013/12/15
 前号でふれたヘイトスピーチについて、京都地裁の判決が下される前、2013年6月4日、毎日新聞は社説で次のように警告(要旨)している。

 【憲法は、「表現の自由」を保障する。デモによる意見表明もその一つだ。だが、他者の人格やプライバシーなど、侵してはならない範囲は当然にある。特定の民族を汚い言葉でののしる行為は、個人の尊厳をないがしろにするものだ。限度を越えており、到底許されない。激しい言葉を投げつけられた在日コリアンの人たちの恐怖や失望は察するに余りある。また、ヘイトスピーチは、国際化社会を担う子供たちにも悪影響を及ぼす。共生すべき外国人に対する偏見や、排外主義的な感情を助長させかねないからだ。

 韓国や中国などでは、デモなどの映像がネットで紹介され、反日感情を刺激している。竹島問題などで悪化した市民レベルの対立感情が、一部の人たちの言動によってさらに増幅されることは避けねばならない。ヨーロッパなどは特に差別的な表現に厳しく、刑事罰を伴う規定を持つ国もある。日本も加入する(国連の)人種差別撤廃条約は、立法を含む適当な方法で、人種差別を終了させるよう締結国に求める。処罰義務の規定もあるが、日本はその部分は留保している。表現の自由に配慮しているためだ。

 表現の自由は、国民の基本的人権の中でも特に大切な権利とされる。新たな法規制による行き過ぎた言論統制を心配するのはもっともだ。だが、現実の前で手をこまねいてもいられない。政府が黙認していると国際社会に受け止められれば、日本の立場を危うくする。外国の法制に学ぶべき点がないか研究するのは当然だ。一方で、現行法の範囲でやめさせる手立てをもっと尽くしてほしい。違法行為については、警察が毅然(きぜん)と対応してもらいたい。裁判所がかつて、特定の地域の街宣活動を禁じる仮処分決定を出したこともある。そんな例も参考にしたい。日本全体としてヘイトスピーチを容認しないという姿勢を示すことも重要だ。安倍晋三首相は国会で懸念を表明したが、もっと強いメッセージを発してほしい。また、常識的な人権感覚を育てる啓発や教育に政府は力を入れるべきだ。】

 日本は過去に民族蔑視の歴史を持つから心配なのである。1923年(大正12年)9月1日、神奈川県相模湾北西沖を震源として大地震が発生し、神奈川県を中心に東京都、千葉県、茨城県、そして静岡県東部までの内陸と沿岸の広い範囲に甚大な被害をもたらし、日本災害史上最大級の被害を与えた。190万人が被災、10万5千人余が死亡あるいは行方不明になったといわれる。関東大震災である。

 震災の被害は新聞社にも及び、首都圏の通信・交通の手段は完全の途絶してしまったため、新聞紙上では多くの噂やデマとされる情報が取り上げられた。

 こうした情報の中に、「朝鮮人が暴徒化した」「朝鮮人が井戸に毒を入れ、また放火して回っている」というデマ(流言)があった。当時の混乱の中、国民の多くがデマに惑わされた。“暴徒と化した朝鮮人”を恐れ、自警団との衝突も発生した。そのため、朝鮮人や中国人なども含めた死者が出た。殺害された人数は複数の記録、報告書などから研究者の間で議論が分かれており、当時の政府(司法省)の調査では233人、吉野作造(大正年間に「大正デモクラ シー」の立役者になった思想家)の調査では2,613人余、中には韓国政府による1959年の公式発表で「数十万の韓国人が大量虐殺された」と主張するものさえあった。

 もっとも正しいと言われる日本の内務省警保局調査でさえ、朝鮮人死亡231人・重軽傷43名、中国人3人、朝鮮人と誤解され殺害された日本人59人、重軽傷43人に達している。

 話はそれるが、ここでも韓国側と日本側の主張に食い違いがあり、その中に、写真家の岡田紅陽氏が東京府の委嘱を受けて撮影した1枚「吉原公園魔ノ池附近」(震災後に『大正大震災大火災惨状写真集』として発売された)という写真があるが、この写真は吉原で働いていた遊女の犠牲者の死体が二列三列に横たえられているもので、韓国記録写真研究家のチョン・ソンギルは、2013年2月3日、この写真を「関東大震災における朝鮮人虐殺時」の写真として公開した。この意図的な誤報は直ちに岡田紅陽写真美術館によって明確に否定されたが、このように韓国の一部反日家の主張には根拠のないものも多く、これらのことが両国国民の一層の誤解を招いている。

 日本と中国・韓国の不協和音はここでもみられるが、一方で、2013年9月17日、日本を襲った台風18号の豪雨による河川の氾濫で、中国人留学生が溺れて流されていた日本人幼児を救出したニュースがあるし、過去、駅のホームから線路に落ちた日本人を救出しようとして、韓国人の留学生が電車に轢かれて死亡したニュースもあるように、一人ひとりの国民レベルでは、憎悪とは無縁な自己犠牲による助け合い精神の発露がある。

 にもかかわらず、日本社会には領土問題や相手国の反日デモなどから、中国や韓国に対して漠然とした嫌悪感が漂っている。国民レベルで対立が激しくなってくると、国の権力者は、国民を思いのままの方向に誘導できてしまう。こういう時代だからこそ、国民は冷静に真実を観、考えなければならない。そんな中で第二次世界大戦後の1946年8月31日のニュルンベルク国際軍事法廷で、ユダヤ人虐殺などの罪で戦犯として裁判に臨んだナチスドイツのヘルマン・ゲーリングの最終陳述を思い出す。

 「もちろん一般の国民は戦争を望みません。ソ連でも、イギリスでも、アメリカでも、そしてその点ではドイツでも同じです。政策を決めるのはその国の指導者です。そして国民は常に指導者の言いなりになるように仕向けられます。難しいことではない。われわれは他国から攻撃されかかっているのだと危機を煽り、平和主義者に対しては、愛国心が欠けていると非難すればよいのです。そして国を更なる危機に曝(さら)す。このやり方はどんな国でも有効です。」

(東京オリンピック・パラリンピック雑感4の3了)