鈴木勝利 コラム「語りつぐもの」

鈴木勝利 コラム「語りつぐもの」

東京オリンピック・パラリンピック雑感4の4 ~そこのけ、そこのけ「オリンピック」が通る~vol.78
2014/01/15
 日本国民の大多数が拍手喝采し、心を軽やかに明るくしてくれた東京オリンピック招致だが、浮かれた社会の隙を突くように「カジノ解禁論」が盛んになった。招致成功で浮ついている今なら「なんでも許される」とばかりに、カジノ解禁を推し進めようとする一部政治家の思惑とは何なのだろうか。

 もともと日本では「カジノ」は刑法の「賭博」にあたるため認められていない。海外ではラスベガス、モナコ、シンガポール、マカオのカジノが有名で多数の観光客が訪れているのはみんなが知っている。

 「カジノ」を解禁させるために、自民、民主、公明、維新の会など超党派でつくる「国際観光産業振興議員連盟」(会長は細田博之自民党幹事長代行、最高顧問には安倍首相、麻生副総理が就任している)という組織がある。会長の細田氏は2013年9月21日、「各党と調整し、消費税問題や景気対策が一段落した後、臨時国会の後半に法案を提出したい」と述べた。

 「カジノ解禁」を主張する人々が挙げている理由は、「地方でもカジノを整備して海外からの観光客を誘致すれば、日本全体の活性化につながる」というもので、具体的には「カジノとともに、ホテルや会議場、ショッピングモールなどが集積する『統合型リゾート』(IR)と呼ばれる複合施設を建設することを計画」している。すでに多くの自治体が「わが町に」と名乗りをあげている。

 カジノ解禁に積極的な政治家は、東京都の石原元都知事、猪瀬前都知事、維新の会の橋下共同代表などだが、とくに猪瀬前都知事は、辞職前の昨年6月の都議会における所信表明で「国会における一日も早い法整備を期待している」と積極的であった。

 しかし、賭博性が高いからと刑法で禁止しているように、なんと言おうがカジノは博打であり、アメリカでもマフィアが群がるように暴力団の格好の餌食になる性格を持つ。

 博打である限り、射幸心をあおることで国民の一部とはいえ、ギャンブル依存症が増加するのは避けられない。博打はとくに未成年者に悪影響を与え、暴力団が群がり、治安が悪くなることも間違いない。

 かなり前になるが、日本では地方自治体が競輪や競馬を主催することに賛否両論、侃々諤々(かんかんがくがく)の大議論を交わした時期があった。時代劇では定番の博打をみるまでもなく、博打は参加者が偶然の利益や成功を求める心を煽ることで成り立つのだが、掛け金の全額が支払われるものではない。主催者(博打では胴元という)にははじめから掛け金の一定率のお金が差し引かれ懐に入る。宝くじなども同様で、主催者は博打で損害をこうむることはない。主催者には多額の収入が保証され、残金を参加者で取り合うのが博打なのでる。

 参加者は偶然であっても利益を得ることを夢見て依存するようになる。遊戯施設で、駐車場の車に幼児を残したまま死亡させる痛ましい事件が報じられたことがあった。親が偶然の利益を求めることに熱中して育児をおろそかにした結果である。博打の恐ろしさは、心にひそむ射幸心の誘惑から掛け金をひねり出すために、借金に借金を重ね、借金地獄に陥って家庭の崩壊を招いてしまうように、人の弱点をとことん突いてしまうところにある。ギャンブル依存症になりやすいのである。

 また、競馬場や競輪場の近辺では、利益を得られなかった参加者の行為による騒音や治安の悪化は避けられない。
 とくに、こうした犠牲を伴う賭博行為を国の政府や地方自治体が奨励した上で、胴元として手数料を得ることがいいのかという論争であった。結局は、参加者の判断にゆだねるとして、収入を得るという経済的・財政的理由が優先されたのであるが、今回の動きも、カジノによる観光客誘致で経済を活性化させたいというもので、まったく同じレベルで判断しているのである。

 いくら人としての倫理と経済の倫理が違うといっても、政府や地方自治体という公共の政策遂行者が、ギャンブルを奨励していいのかどうか、それが問われている。政府関係者でも甘利経済再生相が「カジノ構想はよくわからない」と冷ややか(2013年9月10日の記者会見)なのも、ギャンブルによる弊害を恐れているからなのだろう。

 もちろん、私自身も一時的とはいえパチンコに熱中した時期もあったし、今でも天文学的な確率でしかない宝くじを買うこともあるから、ギャンブルに煽られる心を持っている弱点は承知しているし、国民の中にもカジノ解禁を歓迎する人々がいることも承知している。しかし、人が心の奥底に持っている弱点で成り立つギャンブルを、政治が率先して奨励するのはよくないと思っている。

 こうしてみると、最近は、オリンピックを理由にすれば、「そこのけ そこのけ お馬が通る」とばかり、「なんでもあり」になってはいないだろうか。時間もたったから、ここらで一度、招致の決定を喜んで浮ついている気持ちを整理し、オリンピックの成功のために、「何をして」「何をしないか」を冷静に考えることも必要かもしれない。

 「お・も・て・な・し」の精神とは何か。3年目を迎えようとしている東日本大震災による「がれき処理」がいまだに終わっていない現実、いまだに「がれき処理」に協力しない多くの地方自治体や反対する国民が存在する中で、はたして日本は「お・も・て・な・し」できる国であり、「お・も・て・な・し」できる国民と言えるのだろうか、心の中の不安は膨らむばかりである。

(「東京オリンピック・パラリンピック雑感」4の1~4の4完)