鈴木勝利 コラム「語りつぐもの」

鈴木勝利 コラム「語りつぐもの」

社会的評価を失った労働運動は衰退する~リーダーに求められる時代の洞察力~ vol.79
2014/02/15
 近代社会を語るときに忘れてならないのは産業革命(1760年代~1830年代の長きにわたるので工業化時代ともいわれる)であるが、中学校の社会科を思い出すまでもなく、ワットの蒸気機関の発明がそれまでの産業の生産様式を一変させる。工業化時代の幕開けである。

 工業化の中心となった産業は繊維と鉄鋼である。イギリスを筆頭にそれまでの生産様式である工場制手工業(マニファクチェア)が歴史から退場していく。
繊維産業では多くの労働者が手動の機織(はたおり)機械で職を得ていたが、蒸気機関で動く機械に取って代わられる(時系列でいえ1769年に水力紡績機、1779年にミュール紡績機、蒸気機関による紡績機は1785年にアメリカで発明される)。
今流に言えばイノベーション、技術革新である。当然労働者は解雇され大量の失業者が発生する。工場労働者の世界では、失業の原因は機械化だとして、「機械がなければ失業しないで済むから」と夜間に工場へ忍び込んで機械を打ち壊す。
世に言う「機械打ち壊し運動」(ラッダイト運動・1811年~1817年)だ。今でいう「合理化反対運動」だが、社会の進歩に抵抗する運動が孤立し挫折するのはいつの時代も同様である。ラッダイト運動は世論の支持を得られず急速に力を失っていく。イギリスではこのラッダイト運動を指導したリーダーを含む13人以上が死刑になったという。

 時は代わって【1943年のアメリカ、第二次世界大戦のさなか、アメリカの炭鉱労働組合のリーダー、ジョン・ルイスは、連邦政府による賃金凍結に反対し炭鉱ストを指令した。
時の大統領ル-ズベルトは戦争中であることから国益を損なうとしてストの中止を訴えたが、ルイスは、「合衆国大統領の仕事は国益を守ることである。
私の仕事は、鉱山労働者の利益を守ることである」と反論して、炭鉱労働者の圧倒的な支持を得てストを続行する。

 当時はアメリカといえども戦時生産は立ち上がったばかりで弱く、ヨ-ロッパや太平洋戦線では多くのアメリカ市民が兵士として命を賭して戦っていた。
アメリカ国民の夫が、妻が、息子が、である。戦争を続けるには石炭を必要とし一日の生産量さえ失うことは許されなかった。しかも鉱山労働者は、当時最高の賃金を得ていた。兵士の給料に比べておそるべき高給だった。だが勝ったのはルイスだった。

 しかし、勝利した彼はただちに、あらゆる力、影響力、敬意を失った。鉱山労働組合もまた、その力、影響力、組合員を失っていく。そして実に、1943年のルイスの勝利は、アメリカにおける労働組合運動の衰退の始まりをしるすことになってしまった。多くのアメリカ市民が組合を非難したからである】(出典 P.F.ドラッカー著「ポスト資本主義」ダイヤモンド社刊)

 そして日本、1960年、時あたかも60年安保闘争のさなか、九州福岡の三井・三池炭鉱で鉱山の閉山をめぐってストライキが勃発する。一年間に及ぶストライキと会社の意を受けた警察や暴力団の介入により組合員一名の尊い命が犠牲になる。
当時は全国的にカンパ活動や応援の派遣が要請され、私なども積極的にカンパ活動に参加しつつ、闘争の長期化にもよく耐えている組合の団結力の強さに感動したものである。
しかし、時代の進歩には抗し難く中労委の斡旋によりさしもの激烈な争議は終わりを迎える。国会では炭鉱離職者法が制定され、職業訓練の機会を得つつ住宅も確保される中、新しい職場に再就職していった。

 今思えば、日本のエネルギーが石炭から石油に代わるのは時代の進歩であり当然すぎることなのだが、労働組合のリーダーにとってそれを認めることは、自分たちの職場(炭鉱)を失うことを意味するから、リーダーの決断を求めるのは無理なのかもしれない。
しかし、もしリーダーが時代を洞察する力を持っていたとしたら、例え組合員の不評をかっても正しいと言い続ける信念があれば、一人の尊い命と一年間の組合員の苦労は避けられたと思わずにはいられない。

 2011年11月19日の読売新聞朝刊「昭和時代 第1部30年代『エネルギー転(下)』」は十六面全ページを使ってこの三池闘争を特集している。闘争を指導した当時のナショナルセンターの総評は、労働界の統一によって連合ができて解散するが、産業別組織である炭労は、唯一加盟していた北海道釧路にある太平洋炭鉱労組が2004年10月に解散したことで、2004年11月に54年間の歴史に幕を下ろしている。

 同紙では争議中に三池労組を脱退し、新労組に加わった堀内敏彦さん(73歳)の言葉を次のように掲載している。

 「(前略)新労組員やその家族に対する嫌がらせはすさまじかった。家の周りをデモ行進されたり、歩いていると取り囲まれたり、公衆浴場ではがんがんにお湯を沸かされて熱くて風呂に入れなくされたり、炭鉱住宅にはとても住んでいられず、争議中は疎開しました。(中略)今、振り返ると、労組の覚悟は大したものだったと思う。だが、それに見合うだけの成果は得られなかった。時代の流れには逆らえなかったということでしょう」。

 その一方で、三池闘争を階級闘争と位置づけ、「職場の主人公は労働者」という意識の浸透をはかるために「向坂教室」を主宰したマルクス経済学者の向坂逸郎氏(当時、九州大学の教授。1985年1月87歳で死去)が闘争の敗北後に語った「三池労組は、独占資本の冷酷非道な攻撃に耐え、巨人の歩みを続けている。三池労組が、怒涛のように前進する日がくる」という言葉を紹介している。

 また、三池炭鉱労組に最後まで残った組合員の平川道冶さんの言葉もこう紹介している。

 「あの頃は、労働運動が一番高まった時期。今とは隔世の感があるが、最近の厳しい雇用情勢を見ると、私たちの闘いもいずれ見直されるのではないか」。

 組合の運動や闘争を、リーダーが時代環境の進歩、時代の変化、時代の流れへの洞察力を持たずに運動を進め、世論の支持を失って単に組合が勝った負けたで論じる繰り返しは、労働組合の進歩や労働運動の発展を損なうことになる。どう考えても、「(三池争議が)いずれ見直される」とは思えないのだが。

 もう一つ例をあげてみよう。今や国民の重要な足となっているJRが民営化される前の旧国鉄時代の話である。当時国鉄の労働組合である国労・動労は、順法闘争と呼ばれる闘争戦術を日常化させていた。ひたすら運行ダイヤを混乱させ交渉相手の国鉄当局を困らせることだけを優先し、利用する国民に対しての配慮をまったく欠いていた。挙句の果てに電車の周囲にペンキでスローガンを書きなぐり、その汚さに顔をしかめる人々が増え始め、日常化したダイヤの遅れと混雑に利用者が怒り、ついに埼玉県の上尾駅で暴動が起きてしまう。

 「国鉄当局の決めた手順どおりに運転するとダイヤが守れない矛盾が問題」という組合の主張が正しかったにしても、順法闘争の結果が乗客に迷惑を与えている点を疎かにしたことで、世論を敵にしてしまった闘争が続く道理はない。

 その後の民営化でも、世論の支持を失った組合の民営化反対の主張は説得力を欠き、今日のJR時代を迎えているのである。

 私たちは、労働運動の歴史から、社会的評価を失った労働運動は衰退していくことを学んだはずである。学ぶといっても世論に阿(おもね)て右顧左眄(うこさべん)することではない。世論はメディアの影響で、必ずしもいつも正しい判断をするとはいえないが、自らの運動への批判の声に耳を貸さなくなったら、労働組合が非難する医師会(患者より開業医の利益を優先する団体として非難されている)や農協(消費者や農家よりも農協組織の維持を優先する団体として非難されている)とまったく同一の過ちをしていることになりはしないか。

 組合役員だけが集まって、当然のごとく「そうだ、そうだ」と方針を決めても、それが社会との整合性がとれているのか、国民一人ひとりの納得や支持が得られているのか、いつももう一人の自分がいて、自分の考えや行動をチェックする謙虚さがあって、はじめて社会的影響力を発揮できる組合になれる。

 2014年春闘で、組合員である正規社員のみの労働条件を引き上げ、増加の一途をたどる非正規社員の存在を是認していくとすれば、社会的評価を失う労働組合への道を歩むことになるのではと危惧する昨今であるが、2014年1月下旬に「連合」が非正規社員の人たちとの意見交換会を開いた。このことの実が結ぶことを期待している。