靖国神社を考える~参拝議論に終止符をうてるか日本版アーリントン?~ (特別版2-2)
2014/02/28
天皇陛下は毎年の全国戦没者追悼式に出席しているが、これは、追悼式は読んで字の通り「追悼(戦死者の死を悲しむこと)」であり、靖国神社は「顕彰(功績を明らかにし一般に知らせること)」しているという違いがあるからである。
このように靖国神社への参拝には数々の問題がある中で、参拝は正しいとする日本人も安倍首相をはじめ多い。とくに外交に大きな影響をもっている国会議員には超党派に存在している。国会においてはその時々の内閣から「靖国神社は戦前に軍国主義の立場から利用された」と指摘されているにも拘らずである。さらに、神社が太平洋戦争(第2次世界大戦)を引き起こしたA級戦犯を「昭和殉難者」と称して祭神として合祀したことによって、1995年(平成7年)8月15日の村山富一内閣総理大臣首相談話(村山談話という)に基づいた政府の見解「国策を誤り、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人びとに対して多大の損害と苦痛を与えた」との声明をも否定する行動になってしまった。そうなると今度は「村山談話」は間違いだと主張するしかなくなってしまう。
こうしたことを繰り返す日本に対して、外国では、【日本は、平和条約11条により、極東国際軍事裁判所の裁判を受諾しているのに、今になって敗戦後の裁判について、「戦勝国による一方的な裁判」などと主張して異議を唱えることは、日本はその時々の都合で主張をくるくると変える国】として、再びの戦争を夢見ていると捉えられてしまう。
でも、日本にも良識ある人々も多い。再び前号(2-1)で引用した毎日新聞に掲載されている他の人の意見も見てみよう。
【成蹊高校在学中の安倍首相を教えた青柳知義さん(74)は「やってはならないこと。こんなに戦後民主主義や憲法の精神に無理解とは思わなかった。残念だ。事実上の国家神道の復活を狙いたいのだろうか」と話した。
東京都杉並区の飲食店主、長尾学さんは「なぜ今なのかが分からない。領土問題に加え、中国の防空識別圏設定や韓国の歴史認識問題などで中韓との関係がごたごたしている時に参拝すれば、いたずらに両国を刺激し、逆に相手へ外交カードを渡してしまうのでは」と懸念を示した。横浜市港北区の会社員、青山暁さんは「個人が行くなら問題ないが、首相という公人としての立場を考えれば、日本の国益のため大局的な観点に立って判断してほしかった。石原慎太郎元東京都知事の尖閣購入発言の時のように、中国や韓国との関係が一層悪化するきっかけにならないように対処してほしい」と話した。】
議会で圧倒的多数を制した自民・公明党政権は、政権成立時から今日まで、「日本版NSCの設立」、「特定秘密保護法の強行採決」、「南スーダンの韓国軍への銃弾の供与から武器輸出三原則見直しへの動きを加速」(日本に銃弾の提供を求めた韓国軍に対し、韓国国内で、「右傾化する日本政府に利用される軽率な行為」との批判が広がったため、「銃弾は間に合った」として急きょ2014年1月に日本へ返却された)、「最高責任者は自分だから何でもできる」と「集団自衛権の見直しに着手」、そして「憲法改正」へとこの日本をどこへ導こうとしているのだろうか。何かキナ臭ささが立ち込める動きを強めている。
そんな中での靖国神社への参拝は、日本を戦争へと駆り立てたA級戦犯を殉難者(「殉難」とは、イスラム教徒による自爆テロが殉教者として扱われるのと同じように、ある主義のために犠牲を受け入れた人を指し、殉教者あるいは殉難者ともいわれる)として考えていることを意味する。
したがって、戦死者を祀る、すなわち「神として崇め安置する」靖国神社は、「国の政策を誤り、植民地支配と侵略を行って多くの国に損害と苦痛を与えた上に、日本の国民に対しても兵士のみならず一般市民に多くの死者や犠牲を強いた戦争」を起こした戦争責任者を、昭和の殉難者、犠牲者として「神として崇める」存在にしたことになる。A級戦犯を最初に祀ったのは1959年だが、奇妙なことに、これらの取り扱いは公式には発表されず、1979年(昭和54年)4月の朝日新聞によって初めて明らかにされ国民の知るところとなった。
したがって、日本が太平洋戦争を起こしたのは正しかったと考える人々は、A級戦犯者は日本のために尽くしたのだから、その人々を祀っている靖国神社への参拝は当然のことと考えているのである。安倍首相自身にもそうした思いがあるから参拝しているのであって、いくら言葉で「不戦の誓い」をしたと言い訳しても、本心は見抜かれ、国際的には日本は再び軍国主義を夢見ているとみられてしまうのは避けられない。
ここでもう少し、靖国神社への参拝は正しいとする人々の主張を挙げてみよう。
【サンフランシスコ平和条約や国会決議でA・B・C級ともに戦犯の名誉は法的に回復している。A級戦犯として有罪判決を受けた人の何人かは刑期途中で赦免・釈放され、名誉が回復された結果として、のちに入閣を果たしている。彼らの名誉が回復されているとすれば、同じ「A級戦犯」として死刑判決を受け絞首刑となった東条英機元首相以下7名らもまた名誉を回復しているはずである。】という主張である。
確かに連合国最高司令部による恩赦や平和条約による刑の赦免に関する法律などで仮出所、刑の軽減が行われた人がいたので、そうした人々は「名誉が回復された?」といえるかもしれないが、A級戦犯として死刑判決を受け絞首刑になった人は「どのような制度の手続きもとられていない」から、「名誉が回復された」と言うには無理がある。しかも、前述したように、日本は自ら調印した平和条約11条により、極東国際軍事裁判所の裁判を受諾しているから、今になって敗戦後の裁判について、「戦勝国による一方的な裁判」などと主張して異議を唱えることは国際信義上も許されることではないのである。どうも安倍首相が言う「積極的平和主義」とは、尖閣や竹島をめぐる中国や韓国に対する国民の不安・不満に便乗し、北朝鮮などと同じように、「軍事力で対抗する日本」をめざしているようだ。
靖国神社参拝は、この政治的な問題のみならず、宗教の自由をめぐる論争もついてまわるが(与党である公明党が参拝に異論を唱えている理由の一つでもある)、この論点は他の機会に譲るとして、戦没者慰霊という国民共通の思いに沿う解決策はないのだろうか。
その点で有力な意見としていつも話題になるのが、アメリカのアーリントン墓地のように「純粋に戦没者を追悼する国家施設」の建立である。アーリントン墓地は、暗殺されたケネディ大統領も埋葬されている有名な墓地で、外国からの賓客も宗教に関係なくほとんどの人が献花に訪れている。現在の日本でいえば、東京にある「千鳥ケ淵戦没者墓苑」である。「千鳥ケ淵戦没者墓苑」は、第二次世界大戦で海外戦地で亡くなった方々のうち、身元が不明の遺骨や引き取り手のない遺骨を安置するため1959年につくられ、35万8260人(2013年5月現在)の遺骨が眠っている。
参拝を是認する日本の政治家から聞かれる言葉は、「祖国のために命を散らした英霊のために祈って何が悪い? 米国の(戦死者を弔う)アーリントン墓地とどこがちがう?」という意見があるが、「純粋に戦死者を追悼するアーリントン墓地」と「戦争犯罪人を功績者として誉め称える神社」には根本的な違いがあるのである。
戦争の犠牲になったにもかかわらず、今も名を知られず、引き取り手もなく眠っている人々の思いに心を馳せれば、平和に暮らす私たちが、共にその死を悼み、戦争を美化することなく、「戦争によって日本のために戦死した人たちの霊のために祈る」場所として、A級戦犯が合祀されない公的な戦死者慰霊苑の建立こそが、毎年繰り返される靖国参拝の議論に終止符を打つ、という意見も根強くある。
靖国に参拝したい人々からは、「死に際に『靖国で会おう』と言って死んでいった兵士の心に背く」と反対の声が出されるが、純粋に「靖国で会おう」と命を散らした兵士も、その靖国神社に、徴兵制度という強権で自分を戦争に駆り立て死に追いやったA級戦犯が祀られていたとは思ってもみなかったであろう。
日本国の代表者である首相の靖国神社参拝に、再びの戦争を夢見て「賛意」を示すのか、あるいは「ノー」と言うのか、そして、新たな「戦死者慰霊苑の建立」について、日本人としてどう考えていくべきなのか、それらの答えに、靖国参拝問題の解決のカギがあるような気がする。
(資料出所「ウィキペディア」)(「靖国神社を考える」完了)