開拓時代のアメリカに見られる町は、西部劇の格好の舞台である。町にいる善良な市民がたくみに仕組まれた悪漢の扇動によって、今まさに正義の主人公をロープで吊るし首にしようとしている。映画の観客は、こういう時に必ず登場するであろう正義の味方によって主人公が救い出されることを予想しつつ、次のドラマの展開に胸を膨らませるのである。こうした私刑(リンチ)場面は、西部劇ではよく登場するのだが、扇動される市民の心情を追求する作品はあまりない。
ことの真相を知らぬままに、扇動によって作られた虚偽を真実と思い込み、一人の人間の命を奪おうとしている自分の行為が、人間として許されるのかどうかの冷静な判断もなく、感情のおもむくままに行動する姿に、言いようのない身震いを覚えるのは私だけではあるまい。私刑の恐ろしさである。
西部劇時代から時を経て、アメリカはいまや世界に冠たる民主主義国家を標榜している。私刑から陪審員裁判制度へと、時の流れに応じて「人が人を裁く」方法も変わってきた。日本にも裁判員制度が導入され、市民が裁判の一翼を担う時代になった。日本の裁判員制度は、裁判官と一緒になって判決を下す権限を持つが、アメリカの陪審員制度はまったく違う。有罪か無罪かを決めるだけで、判決の量刑は裁判官の判断に委ねられる。
陪審員制度の始まりはイギリスにある。12世紀のイングランドの王ヘンリー2世は、土地と相続の争いを解決するために、法律上の資格のある男12人を集め、宣誓の下で土地と相続について誰が所有者か、誰が相続人かについて意見を述べさせたと言う。そして訴追された者は、神明裁判にかけられた。この神明裁判も時代の反映で、物事の真偽や正邪は火と水を使い正しい者には神の意志が働き、援助や奇跡が起こると考えられていた。
火と水をどのように使うのかというと、①沸騰した湯、油の中の小石や指輪を拾い上げる。②加熱した鋤(すき)の刃の上を、または加熱した鉄塊を握って一定の距離(通常9フィート)歩く。①と②では、ともに数日後に火傷が治癒しだせば無実、化膿し始めれば有罪である。③手を縛り水に沈める。沈めば無実、浮けば有罪。水は清浄であるため、穢れたものを弾くとされた。後の魔女裁判でも使用された。④聖職者から清められた乾いたパンなどを口に入れ、喉に詰まらせれば有罪。⑤原告、被告ともに十字架の横に立って腕を広げて伸ばし、先に腕を落とした方が敗訴。⑥殺害された死体に容疑者を近づけて、死体から血が吹き出れば有罪。
などというものであった。これは何もヨーロッパだけではなく、同じような方法は日本でも行われていた。神に潔白などを誓わせた後、「釜で沸かした熱湯の中に手を入れさせ、正しい者は火傷せず、罪のある者は大火傷を負う」とされるものや、「毒蛇を入れた壺に手を入れさせ、正しい者は無事である」というというように、科学的・合理的には全く無意味な方法をとっていた。
1215年のマグナ・カルタでは、同輩からなる陪審の判決によるものでなければ処罰されないという権利が宣言された。また、キリスト教会も聖職者の神明裁判への参加を禁じたので、神明裁判を行うことが難しくなり、それに代わるものとして陪審による審理が広がっていった。当時の陪審員は自分の知識を述べるもので、証拠に基づいて事実認定を行う現代的役割を担うようになったのは、14世紀ないし15世紀になってからであるが、17世紀ころまでは、陪審員は法廷の証拠のほかに個人的知識に基づいて評決を下すことができ、中立性は強く要求されていなかった。初期の陪審員は時の権力者の意向に沿った有罪評決を答申するまでは監禁されることもあったが、1670年のブシェル事件と呼ばれる裁判で、有罪評決を出すことを拒んだ12人の陪審員は、食べ物や水も与えられずに2晩監禁され、それでも無罪評決を撤回しなかったため、罰金を納めるまでの間、懲役刑に処せられた。ブシェルをはじめとする4人の陪審員は罰金を納めることを拒否し、高等法院王座部の首席判事は、「陪審員は事実の認定について他からの干渉を受けない」という画期的な判断を下した。この判断によって、陪審員制度というものが、被告人にとって「過酷な刑罰からの防護壁」という重要な位置づけを与えられるようになっていく。
さて、アメリカは、植民地時代からイギリスの陪審制を受け継いでおり、憲法で陪審制を保障していた。植民地時代には検察官と裁判官はイギリスの任命で、陪審員だけがアメリカ人であったために、自国民が務める陪審員制度の重要性が強く意識されるようになる。アメリカ独立戦争の契機になったボストン事件(ASP管理者向け「つれづれ日記」参照)でも、同様な事件について陪審員はしばしば無罪の評決を出していた。当初は、陪審員になることができるのは十分な資力のある白人男性に限られていたが、これも1868年に「人種による差別」を禁止、1975年には女性の陪審員も認められるようになった。
この陪審員制度は、素人の私たちでさえも危惧しているように、時として明らかに間違った評決を下すことがある。極端な例では、アメリカで泥棒が侵入した家で転倒し怪我をしたが、家の持ち主に対し賠償を請求し泥棒が勝ってしまった。このような訴訟が受け付けられる時点で、完全に常軌を逸しているとの批判が起こり、陪審員の判断力や判決の質のばらつきに疑問が出された。裁判官だけならこのような意味不明な判決は出にくいと思われるので、陪審員制度の問題点として挙げられている。さらに、以前はよくあった人種差別に関係する事件のように、陪審員は感情や偏見に左右されやすく、地域感情や歴史的経緯などの点で、「よそ者」、「嫌われ者」が不利になるという批判もあるなど、短所も少なくない。
しかし、長所もあるので、アメリカの民主主義を保障している制度と考えられており、アメリカ市民は陪審員制度に対して、弁護士や裁判官、連邦議会や連邦最高裁判所よりも高い信頼度を置いている。長所として挙げられているのは、民事事件における被告の責任の有無や損害賠償額についての判断などに、陪審員は社会(市民)の感覚を示すことができるとされている。あるいは、陪審制は歴史的に権力の濫用に対する防護壁としての位置づけが与えられてきた。アメリカの連邦最高裁も刑事陪審の意義について、「被告人に、同輩によって構成される陪審による審理を受ける権利を与えることは、被告人に、不正な、あるいは熱心すぎる検察官や、(検察官に)迎合的な、あるいは偏った、あるいは常識外れの裁判官に対する貴重な防護壁を与えることとなる」と説明している。このように、アメリカでは民主主義の実現にとって陪審員制度は重要であると考えられている。
アメリカの陪審員制度に対し、日本の裁判員制度は、裁判員と裁判官が一緒に議論し、有罪か無罪、有罪の場合は、刑の量も同様に話し合いで決めるから、陪審員制度と比べると責任も重いことになる。
民主主義という制度は、時代と共に進歩し、「罪刑法定主義」という原理も確立する。この原理は、罪として罰するには、何が罪で、その罪を犯したときにどういう罰を与えるかを、あらかじめ決めておかなければならないという原理で、近代国家はすべてこの罪刑法定主義に基づいて国を作り上げている。この原理を否定すると、時の権力者の思いのままに犯罪人を作ることができてしまう。権力者が都合の悪い事実をとらえて、思いのままに「それは犯罪である」と決めてしまい、刑量も自由に決められることになれば、そこに独裁が生まれるのは必然である。それは形こそ違え、昔の私刑と同じである。
民主主義とは、一部の人々だけで物事を決める危険を可能な限り避けるために、何重にも民意による判断の網を克服しなければならないシステムなのである。権力者がやりたいことを簡単に実行するために、いくつもの民意の網(憲法96条では、改正のためには、まず国会で3分の2以上の賛成を得なければならないと定めている)を面倒くさいからと改定しようとするなど、民主主義を真っ向うから否定する「狂気の政治」への先祖返りをさせてはならないだろう。
あるいはまた、閣議だけで憲法の解釈を変えて、多数を占める国会でそれを認めさせ、国を守るためなら戦争も辞さずという「集団的自衛権」の暴挙も、狂気の政治への先祖がえりの一つであろう(いままでに世界で起こった戦争は、すべて自衛のためを理由にしている)。
せめて私たちは、常に理性的であることを心がけ、一時の感情をコントロールする努力をしていかなければならない。そしてあきらめずに、声を上げることで、選挙という行為を通じて「狂気の道」を閉ざさなければならない。(資料出所:ウイキペディア)
(本稿は1982年~1988年執筆の原稿を加筆・修正したものである)



