鈴木勝利 コラム「語りつぐもの」

鈴木勝利 コラム「語りつぐもの」

問われる組合運動~労働者間の差別の容認は許されるのか~
2014/12/15
 安倍政権は2014年3月11日、労働者派遣法改正案を閣議決定した。当初は国会で成立すれば2015年4月から施行する予定であったが、選挙結果に左右されるらしい。

 今回の改正は、今まで、26業種だけに例外的に認められてきた3年を超える派遣の受け入れが原則としてできなくなるようにする一方、人さえ代えれば、すべての業種で3年を超えて派遣労働者を受け入れることも可能にしようとするものである。派遣を受け入れる企業にとっては、人さえ代えれば、同じ仕事に継続的に派遣社員を利用できることになる都合のよい内容となっている。
日本ではパートや派遣労働者を非正規社員として区分しているが、その数は雇用労働者全体の約40%を占めるまでに増加してきた。さらに、正規社員に比べていつ解雇されるか(契約を更新しない)という雇用が不安定な身分に加えて、賃金は一部職種を除いて年収200万円以下の層が多く、他国から日本を低賃金国扱いする要因の一つにもなっている。

そもそも日本の非正規社員制度はいつ頃から生まれたのだろうか。

 非正規社員制度は、古くからある「期間に定めのある労働者」としての臨時工制度に始まる(もっと古くは江戸時代の「口入れ屋」という人材派遣業があるが)。
実際には日雇い、臨時工、季節労働者、期間社員、アルバイト、嘱託、パート社員、契約社員などさまざまである。さらに、臨時労働者でも、期間の定めのない者もいれば、短期の契約を繰り返して、結果として長期の雇用になっている者もいる。日本の正規社員は、長期雇用を前提とした「期間の定めのない労働者」として雇用している。そして、解雇権濫用法理という法律で解雇を制限しているために、雇用調整がしやすい期間雇用(契約を続けないで雇用止めをする)は、企業にとって非常に魅力のある雇用制度といえるのである。

 この「期間の定め」とは、契約期間が満了すれば契約が終了するということであり、企業にとって、1ヵ月、2ヵ月の契約であれば仕事が忙しいときの臨時的雇用が出来、加えて仕事がなくなれば契約期間の満了で契約を打ち切れる、雇用調整の手段に利用できる好都合な制度なのである。
かつて高度成長の初期、電機産業を中心に契約期間が1ヵ月、2カ月程度の臨時工制度が導入され、2カ月おきに何回も契約が更新され実質的に長期勤続の者が多くいた。一口に言えば、企業の臨時的な需要にも利用できるし、一方では雇用調整の手段にも利用できたのである。

 経験的にいえば、労働組合もまた、会社に仕事がなくなれば「正規社員である組合員の雇用を守る」ことを理由に、「臨時工やパートの雇用止め」を主張することさえあった。見方を変えれば、組合員の雇用を守るために他者を犠牲にしてきたのである(当時、あまり問題にならなかったのは、経済の成長に伴って労働市場では売り手市場が続き、比較的容易に新たな就職先を見つけることが出来た背景があったからでもある)。

 労働市場が労働者に有利な状況(低失業率)であれば、この期間を定める雇用契約は、労働者の雇用の選択肢を多様化させる側面が評価されてきたが、労働市場が悪化している状況下では社会の混乱を招く雇用形態との批判に晒されることになる。

 日本では期間の定めのある労働契約の締結それ自体を制限する法律はなく、「契約の自由」の範疇として考えられているが、フランスでは、締結するには、期間雇用労働者を雇入れる明確な臨時的必要性(たとえば、長期病休、産休、育児休業の労働者の存在)がなければならないなど、厳しい条件が付けられている。
もともと日本では、江戸時代の丁稚奉公的雇用に代表されるように年期契約があった。戦前の雇用に多くみられた年期契約の雇用は、労働者を身分的に拘束する性格を持っていたため、労働基準法では期間の長さを上限1年と制限してきた。むしろ長期間の労働契約を禁止してきたといえる。やがて時代が変わり、現在は、期間の上限を5年としたのである。

 このように雇用期間については、長さに対する規制はあるが短期の下限は決められていない。2ヵ月、1ヵ月、1週間、1日の契約も可能になっている。こうしたスポット的な需要があると同時に、正規社員になってさまざまな会社の規則に縛られるより自由に働きたい、あるいは、その都度必要な現金を手にしたいというように、こうした労働を求める人々も多数存在するのも事実である。

 しかし、短期の期間雇用は、短期間の労働需要のために利用されるばかりか、むしろ雇用調整の容易さゆえに、契約更新することで継続的な労働需要のために多用されている。企業の使い勝手がいいということは、必要なら契約更新し、必要ないなら雇用契約を解約すればいいことになる。労働者の雇用の安定を阻害する側面をもっていることになる。そこで、2007年(平成19年)に成立した労働契約法では、「使用者は、期間の定めのある労働契約について、その労働契約により労働者を使用する目的に照らして、必要以上に短い期間を定めることにより、その労働契約を反復して更新することのないよう配慮しなければならない」との規定を設けた。しかし、「労働者を使用する目的」を限定していないこと、「必要以上に」というように抽象的な表現にとどまっていること、などから、この規定は訓示規定にとどまると解釈されている中で、今回の改定がなされるのである。

 いずれにしても個々の事情はいろいろあったにしても、賃金によって生活を支える労働者にとって、その根幹となる雇用が不安定では生活が困窮するのは避けられない。こうした雇用形態を野放しにしておく弊害は計り知れない。江戸時代に代表される士農工商の身分制度が語っているように、人は自分より恵まれない層がいることで安心する業(ごう)をもっている。

 武士は金に困窮していても、身分制度の最高位にいることに満足し、商人はその武士をお金でコントロールすることで、身分が一番低いことの不満を静めることができる。農業従事者は、生活は貧しくとも、まだ下位に工と商がいる第二位の身分に満足する。工は同じ商売でも、武士に武器を供給し商よりも上位にいることで満足する。

 こうして江戸時代の権力者は、国民を身分制度で分断し、それぞれの不満をバラバラにして国を統治してきた。社会学的にはこうした権力者の手法を、分裂支配と呼ぶようである。

 もし、今日の雇用形態の中で、正規社員は、自分たちより不安定な非正規社員がいることで、「あゝよかった」と安心しているとしたら、本質的には江戸時代の身分制度となんら変わらない、分裂支配の枠組みに取り込まれていることに他ならない。

 労働者間の差別こそ、労働者としての人間の尊厳を否定することになるのである。
労働組合の2015年春闘は、己(おの)が賃金より、労働者間の差別を廃止するために何をするのかが問われているような気がしてならない。