私たちの日常生活は自然災害の影響もあるが、国際市場の投機によって脅かれることが多い。加えて日本に海外資本を招くために、「外国資本が参入しやすい株主市場にしなければ」とアメリカ型市場主義を信奉し、会社を長期的に発展させるよりも、株主尊重と称して短期的利益を優先することが正しいかのような風潮を作り上げてしまった。それは結果として株主尊重ではなく株主偏重ともいうべき格差の温床にもつながっていくことになり、あたかもお金がすべてという拝金主義が蔓延する社会へのスタートをきってしまった。
かなり前になるが労働組合の国際組織が、グローバル経済下においては投機に対して特別の関税を課し、儲けを目的とした投機を規制すべきと運動を起こしたことを思い出す。そのときは残念ながら、純粋な投資なのか儲けを目的にした投機なのかの区別はできないと、要求することもなく資本の軍門に降ることになったが、今日の事態は当時の労働組合の危惧が正しかったことを意味していると思える。
世界中にドルがあふれかえっていることに人々は疑問を持ち始めている。行き場を失ったドルが石油投機、穀物投機に集中し混乱に拍車をかけている現実に気がついたのである。ドルが世界経済にとって必要以上(アメリカの国力以上)に出回っている原因は何なのか。アメリカ経済の影響を受けやすい日本といえども、そろそろアメリカへの過度の依存にオサラバする時期を迎えつつあるようだ。
誰もが承知していることだが、日本経済は資源を輸入しなければ成り立たない。輸入のためには基軸通貨のドルが必要になる。ドルがなければ輸入もできない。ドルを稼ぐ産業、すなわち輸出産業次第で稼ぐドルが決まってしまう。少し前、日本経済が好調を持続していた時期、有頂天になったのであろうか「円を基軸通貨に」という論調が散見された時期もあったが、そんな論調もバブル経済の崩壊で鳴りを潜め、今度は中国経済の発展を見て「元(げん)の基軸通貨説」が幅を利かせた。自国の通貨が基軸通貨になれば、それこそ世界経済を左右できるという錯覚?がもたらしたというより、ドルの信頼性が損なわれ始めたことが原因のようだ。いずれにしても日本の輸出産業が為替相場の変動に一喜一憂する仕組みを解きほぐすと、世界経済の混迷が分かるような気がする。
為替相場が1ドル100円のとき、日本国内で1,000円のコストで製品を作った場合、外国へは10ドルで輸出しなければ赤字になる(売値10ドル☓1ドル100円=1,000円)。手にした10ドルを外国為替市場で売ることで1,000円を得る。これで輸出企業は収支トントンだ。ところが円高が進み、1ドル90円になると、10ドルで売ったのでは900円にしかならない(売値10ドル☓1ドル90円=900円)。赤字にしないためには輸出価格を値上げすればいいのだが(コスト1,000円÷1ドル90円≒売値11.1ドル)、売値を11.1ドルに値上げすると売れなくなるから10ドルの価格を据え置く。結局100円の赤字になる。
反対に1ドル110円になると、10ドルの売値で1,100円が手元に入る(売値10ドル☓1ドル110円=1,100円)。100円の儲けだ。いうまでもないが、輸入業者はこの逆になる。
思えば1ドル100円の為替相場とはなんなのかである。明治4年(1871年)5月10日、日本は江戸時代の通貨制度を廃止して新貨幣条例を制定、通貨の呼称を「円」にした。世界経済は金本位制(日本はまだ金本位制をとっていなかったが)で、金の価格を基に各国通貨の交換レートを決めていた。日本では1円で金を1,500mg買えた。同じ金1,500mgを買うのにアメリカでは1ドルだったから、交換レートは1ドル1円だった。日本が金本位制を導入したのは明治30年(1897年)だが、この時点で日本はインフレによって1円では金を750mgしか買えなくなっていた。だから1ドル2円ということになる。その後、第一次世界大戦があり、日本のインフレがさらに進み、昭和10年には1ドル3円50銭、そして第二次世界大戦の敗戦で日本は超インフレを記録する。この超インフレを抑えるため新円切り替えが行われるが、これはすさまじい政策であったが、これによってさしもの超々インフレも一段落する。その新円切り替えは昭和21年(1946年)2月16日に行われるが、まず国民が持っているおカネの内、5円以上を強制預金させる。その上で一人100円までを新円に取り替え、それ以上の預金を封鎖してしまう。これで国内に流通している通貨は4分の1に減り、物を買うにも貨幣がなく売れないので値段が下がってインフレは収まっていく。占領軍の強権をバックにしなければ到底やりえなかった政策であった。
その後、やはり占領軍によりブレトン・ウッズ体制に基づく政策で新しい交換レートが作られる。根拠はこうだ。
昭和10年の交換レート、1ドル3円50銭を基準とし、それ以降のアメリカの物価上昇が2倍であったのに対し、日本は敗戦のインフレによって208倍にもなった。アメリカを1とすれば日本の物価上昇率はアメリカに比し104倍ということになる。昭和10年の交換レートである3円50銭を104倍すれば364円になるので、端数処理して360円とし、ここに経済の変動で左右させない固定相場制としての1ドル360円という交換レートが出来上がる。今に比べれば桁違いの円安で輸出産業にとっては業績回復の強い味方であった。このようにしばらく続いた1ドル360円のレートは、日本経済の回復を図りたいアメリカの強い意向に沿うものであった(おかげで日本経済は輸出産業を中心として驚異的な発展を遂げていく)。その後日本の貿易黒字とは逆に、アメリカは貿易赤字が慢性化し、昭和46年(1971年)8月15日、アメリカは突如ドルと金との交換を禁止(世界中に大量のドルが出回り、各国はそのドルでアメリカが保有している金を購入、アメリカの金保有高は劇的に減少してしまったため、ときの大統領ニクソンによってドルと金の交換を禁止した。大統領の名をとってニクソンショックという)したため、同年12月ワシントンのスミソニアン博物館で十カ国蔵相会議を開催、ドルと各国通貨の交換レートを改定し、円は1ドル308円となった(半固定相場制という)。しかし、スミソニアン協定によってもアメリカの貿易赤字は拡大し続けたため、ドルに対する信認が下落、2年後の昭和48年(1973年)2月には日本が変動相場制に移行、3月にはEC諸国(EUの前身)も変動相場制に移行することでスミソニアン体制は崩壊した。ドル安にすればアメリカ経済は輸出に好都合になり貿易赤字が縮小するはずなのだが、依然赤字が拡大していく。スミソニアン協定でドル安にしてもアメリカの貿易赤字がなぜ拡大していくのか。ここにアメリカ経済の問題点がある。よその国ではドルがなければ輸入できない。ところがアメリカでは自国で印刷している通貨なので、輸出で稼がなくてもドルはいくらでもある。輸出と輸入の収支が赤字でも、輸入はいくらでも可能なのだ。こうしてアメリカの貿易赤字は拡大を続けていく。外国へわたったドルは世界中にあふれ、行き場を失ったドルは株式市場や石油や穀物の先物投機市場へ流れ、価格を引き上げていく。
日本の経営者にもてはやされてきたアメリカ型市場主義は、こうした脆さと不合理を持ち合わせている。そして、日本経済はこうしたアメリカの影響の下で今日の発展を遂げてきたのである。世界中で混乱を招いているアメリカ型経済でありながら、アメリカ抜きでは考えられない日本経済の現実。果たして解決策はあるのか。経済の専門家でない身ながら、出口の見えない日本経済を危惧するのは取り越し苦労かもれないが、少なくとも国内消費を拡大させるためには、人口が減少していることに歯止めをかけ、消費者数を増やさなければならないだろう。消費者を増やすということは人口を増やすことだ。アベノミクスのように、市場に円というお札をばらまくことでもなければ、賃上げで消費拡大という過去の夢を見ることでもない。
世界的に信頼をなくした円は売られて「円安」になり、多くの国民が円安インフレに苦しんでいるなか、年金の積立金さえも株式投資につぎ込んで「株高」(それも「日本人は買うより売りの方が多い」のに、「外国人は売りより買いが多い」ことで株高にしている)にして、株を持っている日本国民のわずか12%を潤わせ、国民の間の格差を拡大させている現実をどうするのか。
日本を襲っている人口減少(消費する国民自体が減っている)と高齢化(将来への不安が消費を抑える)への対策こそが、日本経済の回復に欠かせないという説を真面目に検討する時期を迎えているような気がするのだが。



