西尾 力の「BEST主義の組合活動のススメ」

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他人を見下す、仮想的有能感を持った若者たち
2014/02/01
■若者の心の中に潜む「仮想的有能感」

 現代社会が生み出した「オレ様化する若者たち」の価値基準である「即時の等価交換」を「仮想的有能感」と表現するのは、中部大学の速水敏彦教授である。
 速水教授は、『他人を見下す若者たち』(講談社現代新書)の中で、それを次のように指摘する。
 少子化の影響で小さい頃から大切に育てられ、苦労せずに、楽しいこと、面白いことに浸ってきた若者たちにとっては、理不尽なことが多い社会人生活は恐怖でしかない。欲しいものを何でも買い与えられ、有り余る時間を自分のためにだけ使ってきた若者たちには、制限が多く希望通りにならない社会人生活は苦痛でしかない。
 そのため、いつの間にか無意識的に、個人主義文化・ITメディアのバーチャルな世界の影響を受けて、乗り越える術=「仮想的有能感」を習得してしまった。
 その結果、自分の体面を保つためには周囲の見知らぬ他者の能力や実力をいとも簡単に否定する。
 それが現代の若者の心の中に潜む「仮想的有能感」である。

■社会のことには無関心な若者たち

 さらに速水教授はこう指摘する。
 他者を軽視・軽蔑することで自己肯定感を獲得する―という「仮想的有能感」は自分の過去経験には全く左右されない思い込み評価であり、過去の経験に規定された自己評価としての概念(自尊感情)とは全く違う。
 自分に不利益なことが生じると、相手のせいにし、意思が通じないことに対して怒りだすこともある。
 その代わり、自分に直接不利益が及ばない社会問題には、自分が支払うコストを考えてコミットメントしない。
 本質的に自己中心的、自分のことには関心が強いが、他人のことには共感性が乏しい若者たち。
 心の深層に「仮想的有能感」を抱いているため、「自分が他者に与える」ストレスには考え及ばず、自分だけがストレスを被っている」と考えてしまう。
 子供の頃に外からの制限を受けて、それを破ることが大きな罰に繋がるという意識の内面化がされていないので、自分で自分を監視する注意力も発達していない。
 「仮想的有能感」を持った若者たちは、自分のことには大いに関心を持っているが、社会のことにはほとんど無関心なのである。
 そればかりか、成果主義で同僚の頑張りを認めることは、自分の評価が下がることだと間違って認識してしまう。
 自分の評価が悪かったとしても、それをちゃんと評価してくれない上司が悪いと思いたい。
 自分の欲求を充足させることだけで頭がいっぱいで、他人が自分の行為をどのように受け止めているかに思いをめぐらせることができない。
 耐性の弱さ(少しのことで傷つきやすい)が、年配者から見ると不思議に思えるような小さな体験で、無気力になり鬱の原因となる。

■人生の夢や目標を見失った若者たち

 消費社会の中で、「楽しく勉強することが善、苦しんで勉強することが悪」という教育を受けて育った若者たち。
 そのような現代の若者たちは、仕事や勉強への社会的達成動機より、趣味やスポーツの個人的達成動機が高く、それは他者にはわかりにくいので、外見的にもやる気が低下しているように見える。
 裏返すならば、自分自身の価値(社会に貢献できている、社会に必要とされている)を意識して生きることが難しい時代であることを示している。
 物質的に充足した若者は、人生の目標や夢を失っている。
 このように、若者の心に潜む闇を解き明かす速水教授の指摘は、今日の労働組合も決して無関係ではいられない。

■個性化だけでなく社会化も

 上司は「いたらない部下のせいで自分がこんなにストレスに苦しめられている」と考えている。
 一方、部下は「上司がもう少しましだったら、俺たちのストレスは半減する」と考えている。
 現代企業では、このような労使関係にあることを速水教授は指摘しているのである。
 「仮想的有能感」が蔓延する企業に未来はない。グローバル経済下において、お互いが足を引っ張り合うだけで、協働できない労使関係をそのままにしておくことは、とても危険である。
 「多様化」「個性化」の時代。だがその前に、相互扶助・支援する行動・態度を身につけさせる「社会化」が必要である。
 「社会化」のための教育訓練、それを組合活動が担う―という労働組合の新たなドメイン(事業領域)開発が求められている。
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