西尾 力の「BEST主義の組合活動のススメ」

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今後も取り組むべき春闘とは?(下)
2016/10/03
■労組リーダーの見識ある指導力が問われている

 2016春闘は、悩ましい春闘だったのではないか? その悩ましさとは、マキャヴェッリの次の言葉に表現されているようなものである。
「民衆というものは、しばしば表面上の利益に幻惑され、自分たちの破滅につながることさえも、望むものだ」。
 組合員は消費者感覚から即時の等価交換を求める。しかし、その短期の利益は長期の利益と相反することが多く、
この3年間繰り広げられたアベノミクス(官製春闘)に煽られた労働界に見られた姿だと、自戒的にとらえるべきものだろう。
ただし、マキャヴェッリは次のようにも述べている。「民衆は巨視的な視野を要求される事柄の判断力では頼りにできないが、
ミクロな事柄ならば、多くの場合正確な判断をくだせるものだ。それで、いかにすれば民衆に眼を開かせることが出来るのか、
の問題になってくるが、次に述べることを踏襲すれば簡単である。つまり、大局的な判断を民衆に求める場合、
総論を展開するのではなく、個々の身近な事柄に分解して説得すればよい」労働組合リーダーの見識ある指導力が何よりも問われている時代である。
 
■安倍政権の「同一労働・同一賃金」の危うさ

 2016春闘のテーマとなった均等処遇(同一労働・同一賃金)を追求していく時にカギとなることは、
全従業員を無期雇用の多様な正社員とする1国1制度の人事・賃金制度の確立にある。
従って、安倍政権が主張する「同一労働・同一賃金」には注意が必要である。何故ならば、実態が1国2制度(正規社員と非正規社員)から1国3制度(無限定正規社員、限定正規社員、非正規社員)になって行くものとなるからだ。
 1国1制度の下での「同一労働・同一賃金」でないかぎり、「当社は同一価値労働・同一賃金ですから」と言葉を繕う以外なくなるだろう。
 安倍政権の「同一労働・同一賃金」は弱者のルサンチマンを煽る選挙対策であり、巧妙な労働組合不要化計画であり、
かつ「低位均衡」以外の何物でもなく、中間所得者の低所得階層への移動を促す政策(世界で一番企業が活躍できる国)となるだけだろう。
 しかし、残念ながらその安倍政権を国民は支持している、との現実に言葉を失うばかりだ。
塩野七生氏の『ローマ人の物語Ⅶ―悪名高き皇帝たち』の次の言葉が思い起こされる。
「人間とは、主権を持っていると思わせてくれさえすればよいので、その主権の行使には、ほんとうのところさしたる関心を持っていなかった存在であるのかもしれない。結果が悪と出た時だけ、苦情の声をあげるだけというだけで」

■「経済成長」しない時代の組合活動とは

 「賃上げから経済の好循環の実現」。これはアベノミクスの官製春闘だけでなく、労働界の春闘スローガンでもある。
 「経済の好循環」という言葉に込められた「経済成長」への「期待」は、もはや日本では「神話」のレベルにまで到達していて、与党も野党も、経営者も労働者も、日本国民みな同じ、と言ってもよい。
 しかし、高度経済成長期(1956年~1973年)の成長率は9.1%。安定期(1974年~1990年)は4.2%で、1991年から2013年までの平均成長率(実質GDP)はおよそ0.9%の時代に入った。そればかりか、日本の個人貯蓄率は2013年からマイナスになっている。そういうことが定常な時代なのである。
 法政大学教授の水野和夫氏は、そもそも経済成長率は「一人当たり労働生産性増減率」と「人口増減率」の合計で、前者が停滞・低迷中、後者は減少中となれば、賃上げで経済成長などあり得ない、と述べている。
 従って、そのようなゼロ成長の時代に、実現できない経済成長を無理やりやろうとすればバブルになるだけで、さらにそのバブルの中で財政出動しても借金が残るだけだ、とも言っている。

■春闘のルネサンスを

 「経済成長のための賃上げ」という逆立ちした賃上げ論では、2016春闘賃上げ幅が昨年を下回ったのは、企業業績が一時的な追い風の増益であり、今後の見通しも立たないからである。だから、規制緩和(ホワイトカラー・エグゼンプションや裁量労働制の適用範囲拡大、金銭解雇)などの環境づくりが求められる、となるだけである。
 これからの春闘は、ルネサンス(多様性と寛容さによる人間性の再生)と位置づけ、「生活水準から文化水準へ」への価値観の転換が求められる。
 そして、これからの労働組合が真に回すべきグッドサイクルとは、組合員のプロフェッショナル化(変化適応力、顧客価値提供力、コミュニケーション・スキル)を原動力にして、「働きがいの向上」→「労働生産性の向上」→「付
加価値の向上」→「賃金・労働条件の向上」である。
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