鈴木勝利 コラム「語りつぐもの」

鈴木勝利 コラム「語りつぐもの」

企業内に複数組合ができやすい日本 ~個人の人権・意思が最優先される~
2016/11/15
 一昨年だったか、この欄で日本の労働組合の歴史についてふれたが、その中で戦後、アメリカ占領軍が日本の全体主義を改革するために、民主主義の一翼を担って貰おうと労働組合の結成を奨励したと記した。さらに労働関係の法律も整備されるのだが、これも同じようにアメリカ軍の指導の下に立法化されていく。皆さんも承知のように労働関係の法律では、憲法第27条と28条に基づいて、労働組合の基本をなす団結権、団体交渉権、争議権が保障されたのだが、アメリカの指導・助言によるものである以上、法律の精神にはアメリカ社会の規範が流れている。個人の人権・意思を最優先する個人主義の思想である。

 それを強く感じさせるのは、「組合員は従業員でなければならない」・「従業員は組合員でなければならない」というユニオンショップ協定の効力をめぐる争いである。これは法律的にいえば「組合の統制権」をめぐる解釈で、組合が団結を維持するために組合員の権利を制限すること、つまり組合の団結を守るために組合員個人の自由と権利をどこまで制限できるかどうかということである。

 ユニオンショップ協定の条文をそのまま読めば、「従業員は組合員でなければならない」のであれば、組合が一組合員を除名(除籍)した場合、その組合員は組合籍を失うと同時に、従業員の地位も失なうのだから、会社は該当する組合員を解雇する義務を負う、ということになる。組合のリーダーにとっては、ユニオンショップ協定を楯に組合員の自由を制限できる都合の良い解釈が可能なのだ。組合員個人にとっては、会社を辞めたくなければ、組合の方針に従わなければならないことになってしまう。

この場合、二つの問題が発生してしまう。

 一つは、組合の方針が間違っていても従う義務が生じてしまうという問題であり、もう一つは、そのことによって個人の思想・信条が侵害される問題である。
そのため、組合の統制権を無条件に認めないように、統制権が及ぶ範囲を法律で厳密に規制している。つまり、スト破り(組合が争議権を行使している際に、組合の決定に従わずにストを無効にするような行為=出勤して働いてしまうなど)のような場合は統制権が優先される(本人の自由は認められない)。
一方、組合が特定の政党や政治家、あるいは思想団体への加入や支持を決めること自体は問題ないが、その決定に従わないと除名するようなことは禁止されている。これは憲法で保障されている個人の思想・信条の自由が優先するからである。 
ユニオンショップ協定とは、字面(じづら)を額面どおりに解釈できないことから「尻抜けユニオンショップ協定」ともいわれるのだが、これは組合の統制権よりも個人の自由が尊重される理念から成り立つ。したがって、組合員個人は、所属する労働組合から脱退する自由が保障され、加えて他の組合に加入する自由も保障されている。もちろん会社に依頼して行われている組合費のチェック・オフも、本人の意思が優先されるので取り止めを求めれば会社はチェック・オフをやめなければならない。

 この結果、日本では一企業内に複数組合ができてしまうケースが起きる。複数組合が存在した場合、使用者が組合間で差別することは禁止されている。たとえば、団体交渉に応じなかったり説明内容に差をつけるようなことは不当労働行為として禁止されている。
複数組合の有無に関係なく、使用者が応じなければならない団体交渉は、義務的団交事項といわれ議題をつぎのように限定している。
「団体交渉を申し入れた労働者の団体の構成員たる労働者の労働条件、その他の処遇、当該団体と使用者との間の団体的労使関係の運営に関する事項であって、使用者に処分可能なもの」。

 これらを議題にして申し入れられた団体交渉には、いかなる理由があっても交渉に応じなければならない。応じなければこれも不当労働行為になる。
団体交渉をめぐる不当労働行為にはもう一つ「誠実団交の応諾」がある。形式的には「団体交渉」を行っていても、交渉への対応が極めて不誠実となれば不当労働行為になる。誠実か不誠実かは事例によって違うから、組合は会社側の不誠実さ(一般的な資料を要求しても出してこない、交渉ルールや前回交渉時の約束ごとを守らない、など)を立証しなければならない。また複数組合の場合、一方の組合に出した資料を他の組合には示さないということになれば「組合間差別」として不当労働行為になる。しかしこの場合、「影響下にある組合員数の大小が現実の交渉力に差をもってくること、あるいは長年にわたって蓄積された労使の信頼関係に差があることなどから、会社側も、組合の交渉力に応じた対応」をせざるを得ないという見方もあり、単純な比較だけでは立証は難しいとされている。
さらに、不当労働行為になる「組合間差別」とは、差別することによってどちらか一方の組合を有利にする意思も必要になる。たとえば新しくできた組合の組合員が極めて少なく、組織人数に圧倒的な差がある場合、まったく同じ資料を出さなかったとしても、一方の組合を有利にする意思がなければ、即不当労働行為には直結しないのである。

 また、たとえたった一人であっても外部の組合に加入した場合、働いている企業の従業員でなくても、所属した外部組合の役員が団体交渉に出席することも拒否できない。

このように企業内に複数組合ができると労使関係は極めて複雑なってしまう。
アメリカはオープンショップの上に、一事業場において過半数の従業員が賛成しなければ労働組合の結成は認められない(組合結成に賛同する対象従業員の署名が49%しか集められなかった場合、組合結成は認められない。そのために、署名集めの段階で会社の妨害をめぐる紛争も起こる)。
その一方で、結成された組合にしか会社との交渉は認められない。だから、別の組合を作っても会社とは交渉できないから、作っても意味がない。企業内に複数組合が組織されないのである。これを、唯一交渉権の保障という。
同時にユニオンショップ協定は禁止されている。ユニオンショップ協定の禁止はあくまで個人の意思を尊重することによるものと思われる。
日本でも昭和25年の新労働組合法の制定時にこの問題が法律学者を中心に議論されたが、ユニオンショップと唯一交渉権の両方を保障した場合、その時々のリーダーの思想によって組合員の自由意思が無視されることや、労使関係が破綻することが眼に見えていたので唯一交渉権は見送られたと推測されている。
このように個人の権利が優先される労働組合法の精神は、アメリカの精神文化が反映された結果といえるだろう。日本はどちらかといえば集団主義、それが戦争を起こした軍国主義、あるいは全体主義の根っこにあったために、戦後の民主主義の諸制度がアメリカの影響を色濃くもつ個人主義に根ざしているのも当然であるから、その精神が労働法に反映されていてもおかしくはない。
いずれにしても、多くの組合で締結しているユニオンショップ協定のもとで、新入社員も容易に把握でき、また、チェック・オフによって組合費も苦労することなく集められる。

そうした状況に安穏としていると、思わぬ落とし穴がある時代を迎えている。地道な日常活動が大事といわれる理由でもある。