鈴木勝利 コラム「語りつぐもの」

鈴木勝利 コラム「語りつぐもの」

「正念場を迎える17年春闘 2ー1」~非正規社員制度の廃止と長時間労働の一掃に立ち上がる時~
2016/12/15

 価値観というのは国によって大きく違いがある。労働時間一つとっても、今年3月に発表されたOECD(経済協力開発機構)が発表した「実質労働時間ランキング」があるように、国によって大きく異なる。

 世界で所定労働時間が最も短いのはドイツで1371時間、次いでオランダ、ノルウェー、デンマークと続く。日本の所定労働時間は以外にも1729時間で、アメリカ(1789時間)や韓国(2124時間)よりも短い。こうした数字から、経営者の中からは「日本はグローバル化の中でアメリカと競争している」のだから、労働時間をもっと長くしてもよいという声もあるようだ。ここで気をつけなければならないのは、日本の残業時間の長さである。
筆者にも覚えがあるが、仕事をして家に帰った時と、職場の宴席に出て家に帰った時では、気持ちがまったく違うのである。前者のときには、「よく働いた」という満足感が大きい。それに比べると、後者では「なんとなく後ろめたい」気持ちになってしまう。だから決していやいや残業をしているわけでもないのだ。
思えば両親からは「汗をかき一生懸命に仕事をしなさい」と、言われ続けて育ってきた。だから仕事が終えるまで会社に居残って残業するという責任感に抵抗がない。それが真面目の象徴と思ってきたのだ。しかし、冷静に考えてみると、勤勉であることの尺度を労働時間の長さで測っていたことに気が付く。一生懸命に働くということと、労働時間の長さとがイコールなのだ。

 時代は近代化への道を歩んでいる。江戸時代の商家では、丁稚で入店し、手代を経てやがて番頭に昇格していく。番頭を一生懸命に務めれば、やがて暖簾分けで店舗を構えることができる。その間は、衣・食・住を保障してもらう代わりに、徹夜もいとわないし、休みは藪入りのときだけという、働きづめの生活をおくる。その時代の人は、そんな生活に疑問も持たなかった。

 時を経て、現代の資本主義社会を迎える。会社に就職することで賃金を得て生計を立てる。そうなっても、歴史的に勤勉の尺度を「時間の量」で判断する日本人の精神構造が変わることは難しい。与えられた仕事をやり遂げることが、真面目な社員の当然の義務と考えている。
そこに落とし穴が待ち受けている。使用者がこの日本人の精神構造を利用して業務を計画し労務管理を行うことがあるからである。
時代は進歩し「従業員は人として尊重されるべきだ」との常識が確立され、「人間の尊厳」の重要性が叫ばれる時代を迎えている。「労働時間の量」で測る勤勉の基準は、いまや「労働の質」へと変貌を遂げなければならない。

 日本有数の広告会社、電通従業員の過労自殺が話題になっている。人は自分の経験から判断を下しやすい。

 各新聞には電通社員の声が載っている。
【「自分も当然のように深夜残業をしている。過労自殺は(電通では)2度目なので、労基署が入ることは意外とは思わない」。電通の中堅社員は14日、こう漏らした。
 別の30代の社員も「ここ3カ月は残業が月100時間を超える。何とかしてほしいと思っていた。労基署が入って会社が変わってくれるならいい」と話す。
 電通の労働時間の管理はどうなっているのか。広報部は、社員が始業・終業の時刻を申告し、上司が承認して管理していると説明する。
 しかし、自殺した高橋まつりさんの時間外労働は月100時間を超えていた。労基署に届け出ている時間を大きく上回る。入退館記録などをもとにした遺族側の代理人弁護士による集計では130時間に達したこともあった。】(朝日新聞デジタル 10月15日)

 使用者や管理者の考え方が時代の進歩に追いついていない典型である。従業員の責任感をいいことに、残業時間の長さがいかに会社の生産性を落としているのかさえも理解できないでいる。60時間以上の残業をする人は、世界の中で日本が一番多いのに、稼ぎだす付加価値は低いままだ。

 ワーク・ライフ・バランスを社名に持つ会社に勤務している小室淑恵(こむろよしえ)氏は、今のまま長時間労働を続けた場合のA社と、残業を減らしたB社にどれほど差が出るのかというのをお見せしたいとして次のように述べている。
【A社では従来どおり長時間労働に頼ってそしてコストをカットしようと考えた時に人を削ってしまいます。固定費を削るんです。しかし、その分の仕事が残された人に乗っかって、以前よりも長時間労働になると削った固定費より増えた残業代の方が多いんです。そして優秀な人は 逃げて行ってしまう。そしてうつ病が増加して、もう集中力も無ければコストも上昇してしまうというような企業が増えてしまう。人が足りないと言ってやっと採用しようとしても、こんな企業に人は入りたくないということで優秀な人は集まらない。事業継続はどんどん不可能になって転がり落ちていきます。
逆転の発想のB社はどうでしょうか。同じようにコストは下げたいんです。しかし、目を付けるのはこの長時間労働の部分。残業を削って、その分若者を正規雇用したり時間制約のある女性を積極的に雇用していきます。時間と成果は関係ないんです。時間に制約がある人は短時間で集中力高く働いてくれます。そして、しかも 集中力が高いだけでなく、男女や年代といった多様性が増えた会社というのは、多様なアイデアがお互いに切磋琢磨して、非常に高い付加価値を生んでいく構造になります。さらに介護で人が抜けたとしても、フォローし合えるだけの人材がいますし、それぞれが育児や介護の事情を抱えたとしても、両立していけるので辞めないで済む訳です。こういう企業にはますます、いい人が集まって、業績はアップしサステイナブルな企業になっていくと言えるわけです。】

 反対に世論の非難を浴びたのが、この過労自殺に対して、「残業100時間で過労死は情けない」とコメントした武蔵野大学(東京)の教授である。投稿されたコメントは「月当たり残業時間が100時間を越えたくらいで過労死するのは情けない」「自分が請け負った仕事をプロとして完遂するという強い意識があれば、残業時間など関係ない」などというものであった。

 人は自分の経験を物差しに判断することに陥りやすい。自分がたまたま100時間を超える残業を経験してきたから、すべての条件を考慮せずに「100時間で過労死とは情けない」ということになってしまう。時代の進歩を考慮していない自分をさらけ出してしまうのである。
アメリカのクリントン政権時代の労働長官であるロバート・B・ライシュは、アメリカ企業の中で、「その仕事を終わらせれば成果が上がったとして年収が上がる。一方、家庭では子供の誕生日だから早く帰ることを約束している。この場合、どちらを優先するかが問題になる。仕事を優先しなければ他者に後れをとり、出世や年収増が望めなくなる。やむを得ず仕事を優先させる。その代償として家庭が崩壊する。それを当たり前とするか、改善したいと思うのかが問われている」と警告している(「勝者の代償」東洋経済社刊)。

 その根底に流れる考え方は、家庭を犠牲にしても仕事を優先しなければ「企業では適者でなくなる」ということであり、淘汰されてしまうのである。アメリカ社会が急速に労働時間が長くなった理由の一つだ。

 長時間労働をいかになくすのか。労働組合にとって、古くて新しい課題である。今までは、さまざまな理由をつけて先送りをしてきてしまった。しかし、今や労働者が死をもって警告している状況にまで悪化しているのだ。立ち止まることは許されない。

 連合はすでに2013年に「勤務間インターバル規制」を導入して、過重労働を防止し、従業員の心身の負担を軽減させる方針を確立している。「勤務間インターバル規制」とは、当日の勤務と次の日の勤務の間に決まった休息時間の確保を義務づけるもので、すでにEUでは1993年に「24時間につき最低連続11時間の休息時間」を義務化する勤務間インターバル規制を定めている。日本でも、情報労連が2009年に導入、2011年には三菱重工労組が導入を要求して話題になった。EUの11時間のインターバルを例にすれば、残業を夜の11時までした場合、翌日の勤務までに11時間のインターバル(休憩)を設けるので、出勤は午前10時ということになる。午前10時以前の出勤は禁止される。

 長時間労働は「36協定の例外規定」を見るまでもなく、労働組合にも責任の一端がある。2017年の春闘を前に、正規社員のみの賃上げに拘泥することなく、「不公正な非正規社員制度の廃止」(次号で掲載予定)はもとより、「残業時間の短縮」こそが、労働組合の社会的役割と自覚する時代が来ているのである。