鈴木勝利 コラム「語りつぐもの」

鈴木勝利 コラム「語りつぐもの」

「正念場を迎える17年春闘2-2」~非正規社員制度の廃止と長時間労働の一掃に立ち上がる時~
2017/01/15

 テレビの時代劇では必ず「口入屋」が登場する。日本の高度成長期には、人手不足を補うために臨時工制度が存在した。仕事が忙しいために臨時の労働者を必要としていることから生まれたのだが、江戸時代の口入屋にも似ている仕組みだ。こうしたスポット的な労働形態は江戸時代のはるか前から存在していたようだ。
 近代社会の臨時工制度は、必要に応じて雇い、暇になれば解雇する全く使用者に都合のよい制度として定着していた。この場合、都合がよいということは、一つに臨時の契約だから解雇する場合は、契約を打ち切ればいいのだ。二つに賃金が正社員に比べて安く人件費を節約できる。 この二つは経営者にとっては大変便利な制度で、多くの企業が採用していた。

 それは今日に至って、派遣社員、契約社員、あるいはパートタイマーとして、脈々として引き継がれてきた。その歴史を振り返ってみると、近代でもさまざまな雇用形態が存在した。終戦直後には日雇い労働者(敗戦後の復興事業と失業対策を兼ねた日雇い労働、日給が240円であったため通称「ニコヨン」と呼ばれた)制度があり、他にも臨時工、季節労働者、期間社員、アルバイト、嘱託、パート社員、契約社員などさまざまに存在した。
さらに、臨時労働者でも、期間の定めのない者もいれば、契約を繰り返して、結果として臨時的雇用を長期間継続することもあった。日本のように長期的雇用を前提に「期間の定めのない労働者」として正社員を多く雇用し、かつ、解雇権濫用法理が確立して「解雇がしにくい」中では、雇用調整がしやすい期間雇用は企業にとって非常に魅力のある雇用制度といえるのである。

 この「期間の定め」とは、契約期間が満了すれば契約が終了するということであり、企業にとって、1ヵ月、2ヵ月の契約であれば仕事が忙しいときに臨時的雇用でまかない、加えて仕事がなくなれば契約期間の満了で契約を打ち切れる、雇用調整の手段に利用できる好都合な制度なのである。
かつて高度成長の初期、電機産業や自動車産業を筆頭に、契約期間が1ヵ月、2カ月程度の臨時工制度が導入され、1か月、2カ月おきに何回も契約が更新され実質的に長期勤続の者が多くいた。一口に言えば、企業の臨時的な需要にも利用できるし、一方では雇用調整の手段にも利用できたのである。
経験的にいえば、労働組合もまた、会社に仕事がなくなれば正規社員である組合員の雇用を守るために、臨時工やパートの雇用止めを主張することさえあった。見方を変えれば、組合員の雇用を守るために他者を犠牲にしてきた歴史を持つ。経済の成長に伴って労働市場では売り手市場が続き、新たな就職先を比較的容易に見つけることが出来た背景があったからでもあるが。

 労働市場が労働者に有利な状況であれば、この期間を定める雇用契約は、労働者の雇用の選択肢を多様化させる側面が評価されてきたが、労働市場が悪化している状況下では社会の混乱を招く雇用形態との批判にさらされることになる。
日本では期間の定めのある労働契約の締結それ自体を制限する法律はなく、「契約の自由」の範疇として考えられているが、フランスでは、締結するには、期間雇用労働者を雇入れる明確な臨時的必要性(たとえば、長期病休、産休、育児休業の労働者の存在)がなければならない。
日本での唯一の規制は雇用期間の長さの制限である。もともと日本では、戦前の年期契約が労働者を身分的に拘束する性格を持っていたため、労働基準法で期間の長さの上限を1年と制限してきたように、むしろ長期間の労働契約を禁止してきたのである。

 このように雇用期間については、長さに対する規制はあるが短期の下限は決められていない。2カ月、1カ月、1週間、1日の契約も可能になっている。こうしたスポット的な需要は、その都度現金が欲しい人のための労働形態として利用されてきた。
しかし、短期の期間雇用は、短期間の労働需要のために利用されるだけでなく、むしろ雇用調整の容易さゆえに、契約を繰り返すことで継続的に雇用するために悪用されている。企業の使い勝手がいいということは、必要なら契約更新し、必要がなくなれば雇用契約を解約すればいいことになる。労働者の雇用の安定を阻害する側面をもっていることになる。


そこで、2007年(平成19年)に成立した労働契約法では、「使用者は、期間の定めのある労働契約について、その労働契約により労働者を使用する目的に照らして、必要以上に短い期間を定めることにより、その労働契約を反復して更新することのないよう配慮しなければならない」との規定を設けた。しかし、上記「労働者を使用する目的」を限定していないこと、「必要以上に」というように不明確な表現にとどまっていること、そして、反復更新について解雇権濫用規制が類推適用されることなどからすれば、この規定は訓示規定にとどまると解釈されている。

 正社員と同じ仕事をしながら不安定な雇用のもとで、安い賃金で働く非正規の労働者たちがバブル崩壊後、急激に増えすでに全雇用労働者の40%に達する勢いである。

 日本社会は目を覆うばかりに疲弊した労働市場になってしまった。

 アメリカ型を盲目的に信仰する一部の経営者に言わせれば、雇用選択肢の多様性とか、当事者の要望などときれいごとを並べて必要性を主張しているが、結局のところ、「人件費をカット」してコストダウンを図ることで、「株価が上がる」株主偏重の経営姿勢でしかない。

 株主偏重のアメリカ型経営は、いたるところで不合理を生み出した。「株主偏重」とは、株価を上げることが経営のすべてという風潮にしてしまったのだ。株価を上げる経営者が能力のある経営者、株価を上げるためにコストの削減をはかる。構造改革と言いながら内実は人件費の抑制・リストラによる人員削減であることをいかに多く見てきたことか。

 「非正規社員制度がこのままではよくない」と、自民党政権でさえ、見せかけであっても労働条件の引き上げ(同一労働・同一賃金)を叫ぶようになった。その一方で、アベノミクスによって有効求人倍率は大幅に改善(1以上)したと胸を張る。しかし、正規社員のそれはいまだに「1」未満だ。そして非正規社員のそれは「1」以上で、両者をプラス・マイナスして改善したと嘯(うそぶ)くのだ。メディアもなぜかその真実に触れようとしない。

 正規社員は就職難で、非正規社員は引っ張りだこという歪(いびつ)な労働市場をこのまま放置していいのだろうか。

 賃金格差がすべての元凶ではない。だから政府が言うように同一労働・同一賃金を実現すれば解決というわけにはいかない。非正規社員制度は身分の不安定さが根っこにあり、その上に賃金格差が存在するのだ。今こそ非正規社員制度そのものにメスを入れなければならない時期に来ている。

 長期雇用に安穏としているうちに正規社員の雇用さえさらに不安定になっていくに違いない。アベノミクスによる「不当解雇の金銭解決」がその第一歩である。

 2016年1月1日付朝日新聞のオピニオン欄には次のような意見が載っている。【非正規雇用、年金問題などで将来に不安を抱える若い世代には、結婚して子どもを産むという当たり前のことさえ、ぜいたくになってしまっています」】
なぜこんな日本になってしまったのだろうか。
正規社員の賃上げよりももっと大事なこと、同じ労働者なのに、こんな不合理な仕組みが存在している。その改善には賃金を引き上げさえすれば解決できるものではない。非正規社員という制度そのものを廃止しない限り根本的な解決にはならない。
それは簡単なことではないが、たとえば、派遣社員一つとっても、派遣元の会社では正規社員として雇用しなければならないことにし、その上で、派遣元の正規社員を他社に派遣する制度にすれば、労働者の雇用の不安定さは今よりは解消できる。
たとえば、パートタイマーには短時間正規社員制度を新設し処遇する。
たとえば、処遇体系に「時間給」制度を確立し「均衡処遇」を実現させた上で、性別格差、正規・非正規の処遇格差を撤廃する、など、など。
今こそ労働組合は、解決は容易でないが、非正規社員制度そのものの廃止に立ち上がることによって、社会的役割を果たすべき時を迎えているのではないだろうか。