鈴木勝利 コラム「語りつぐもの」

鈴木勝利 コラム「語りつぐもの」

日本もテロ事件は多い
2017/04/21
 2017年2月、アメリカのトランプ大統領の発言に唖然とし振り回されている中、今度はマレーシアで北朝鮮による金正男(キム・ジョンナム)氏暗殺事件が大きく取り上げられた。

 謎が多いことからコメンテーターの「謎解き」が氾濫しているが、共通していることは「日本」とは異なる「北朝鮮の異常さ」である。日本では到底起きるはずもない事件として受け止める人が大半のようであるが、こと暗殺ということなれば、日本でも国内のテロ事件は結構多い。
テロは、政権を奪ったり、政権の攪乱や破壊、自己宣伝などを達成するために、暗殺、暴行、破壊活動などを行使し、またそれを認める傾向や主張のことを言う。テロリズムは、右翼政党、左翼政党、革命家、ナショナリズムの集団、宗教集団、そして政府側などの政治的な組織が、目的を達成するために行われてきた。

 テロを広義に解釈すれば、古くは、中大兄皇子(なかのおおえの おうじ)、中臣鎌足(なかとみの かまたり)らが宮中で蘇我入鹿を暗殺して蘇我家を滅ぼした飛鳥時代の政変があり、その後、中大兄皇子は体制を刷新して「大化の改新」と呼ばれる改革を断行した。

 社会科で習う応仁の乱も、室町時代の応仁元年(1467年)に発生し、以降1477年までの約11年に長きにわたって継続した内乱であるが、室町幕府の8代将軍足利義政の継嗣者争いも加わって、ほぼ全国に争いが拡大した。その後の戦国時代はこの混乱から始まったといわれる。
江戸時代の末期、西欧列強の世界征服の野望によって、それまで文明の「お手本」であったインドと中国が実質的な植民地にされてしまったことに武家社会は大きな衝撃を受ける。「次は日本の番かも」という恐怖が明治維新をもたらしたといわれる。

 明治維新は徳川幕藩体制を倒し、天皇制による政治体制を実現することを目的に、多くのテロ事件を繰り返すことで成就させる。
鎖国体制の大転換の発端となるアメリカとの修好通商条約の締結に対して、時の孝明天皇の反対を押し切って締結を進めた大老・井伊直弼が水戸藩過激派に襲われ暗殺された「桜田門外の変」。さらに反幕府勢力を取り締まる新撰組による数々の暗殺テロ事件など。
だから、明治維新とはテロ事件の繰り返しによって実現させたものといっても過言ではない。

 明治維新以降になると、日本は近代化を図るために富国強兵政策を推し進め、大幅な軍備の増強を図った。そして、日露戦争を経て太平洋戦争と突き進んでいく。
1932年(昭和5年)には、武装した海軍の青年将校による反乱事件が勃発する。事件が5月15日に起きたことから5.15事件と呼ばれ、犬養毅・総理大臣が暗殺される。

 当時の政党政治は、国民をないがしろにした腐敗が進み、多くの国民が不満を抱いていたため、犯人たちへの助命嘆願運動が巻き起こり、軍事法廷による判決も軽いものとなってしまった。それが、続いて起こる軍隊の横暴な事件の遠因になったといわれる。
軍人は武力をもっているから物理的には一番強い集団になる。物理的に一番強い軍隊が、「クーデターを起こしても重い処罰は受けない」と考え始めたら、だれも止められない。

 4年後の2月26日には、今度は陸軍の青年将校らが、1483名の下士官を率いてクーデターを起こす。天皇自らが政治を行えば、政財界の腐敗を防止でき、疲弊した農村の困窮を救うことができると主張したもので、明治維新を彷彿とさせる「昭和維新・尊皇討奸(そんのう とうかん)」をスローガンに、政府の重臣たちを襲撃、高橋是清・大蔵大臣ら4名を暗殺、警備にあたっていた警察官5名を死亡させた。

 民主主義制度が導入された戦後には「まさかテロ事件」は起きないと思っていたけれども、1960年(昭和35年)10月12日には、日比谷公会堂で開催された3党首立会演説会の演説中に日本社会党委員長浅沼稲次郎が17歳の右翼少年に壇上で暗殺されてしまう。

 社会党は国益に反すると考えていた一部の人々は、犯人に同情的な論調を繰り返した。そして、時を経て、ついには一般市民を巻き込んだオウム真理教によるテロ事件が続発する。

 1989年(平成元年)11月4日には「坂本弁護士一家殺害事件」。1994年(平成6年)6月27日には「 松本サリン事件」が。1995年2月には「公証人役場事務長逮捕監禁致死事件」。そして1995年(平成7年)3月20日の「地下鉄サリン事件」へと続く。その後も、ロシア人信者シガチョフによる麻原彰晃(松本智津夫)奪還を目的とした対日テロ未遂事件(日本政府に対する脅迫のため、日本各地での爆弾テロ等が計画されていた。日露当局者の協力により未遂に終わった)。
左翼過激派のテロ事件も続出していた。最も世間を騒がせたのは、赤軍派による「日航機よど号ハイジャック事件」(1970年)、連合赤軍による「浅間山荘事件」(1972年)、「ダッカ日航機ハイジャック事件」(1977年)だろう。

 また、1972年には国際ボランティアの日本人3青年がイスラエルのテルアビブ空港でテロを起こす。犯人の2人は持っていた手榴弾で自爆したが、手榴弾が不発だった岡本公三は生き残ってイスラエル軍に拘束された。
1991年7月11日には、イスラム批判を記した「悪魔の詩」を翻訳した五十嵐筑波大学助教授が暗殺された(犯人は外国人といわれる)。
2016年には、ナチ・ドイツが行った障害者の大虐殺(障害者は生きていても誰のためにもならないからと殺戮)と同様な理由をもって、相模原障害者施設で19名もの殺人事件が発生した。

 こうしてみると日本におけるテロ・暗殺事件は想像以上に多い。弱者蔑視、民族蔑視もこれらの起因になる。外国人の排斥を求める「ヘイト・スピーチ」も相変わらず続いているし、最近では、安倍首相夫人も名誉校長(国会で問題になり2月24日に辞任)として一枚噛んでいた「森友学園」が経営している幼稚園の教育が問題になった。

 同学園のホームページでは元保護者をののしる次のような文書が掲載されていた。「巧妙に潜り込んだ韓国・中華人民共和国人等の元不良保護者であることがわかりました」。さらに2015年秋の運動会の映像によると、代表の幼稚園児4人が選手宣誓で、「日本を悪者として扱っている中国、韓国が心改め、歴史教科書でうそを教えないよう、お願いいたします。安倍首相がんばれ、安倍首相がんばれ。安保法制国会通過よかったです」と叫ばせている。
これでは北朝鮮とまったく同じだ。このように年端もいかぬ幼稚園児に右翼思想の教育をしていることに肌寒いものを感じる。
ついに教育現場にまで戦前回帰の動きが現れ始めているのだ。同幼稚園では「教育勅語」の暗唱教育が特徴ともいう。「朕(ちん)惟(おも)フ(う)ニ ……」で始まる教育勅語は、天皇主権のもと軍部と右翼政治家が国民の思想統制・言論を封殺し、「天皇のために命を捧げよ」と国民を戦場に送るために利用したものであった。この「教育勅語」は戦後の民主主義(主権在民)によって、教育に天皇を利用して政治がかかわってはならないという反省から、天皇は「象徴」として生まれ変わったのである。
辞任したとはいえ、安倍夫人は挨拶文で「瑞穂の國記念小學院は、優れた道徳教育を基として、日本人としての誇りを持つ、芯の通った子どもを育てます」と、「教育勅語」の暗唱が誇りを持った日本人を育てるとしている。すでに幼稚園児から軍国少年・少女の育成が始まっている。
何かがおかしくなってはいないか。

 憲法改正の目論見など、日本は今、ヒタヒタと戦前の歩みを再びたどり始めたのだろうか。
 そしてもし、こうした動きに反対したらテロにあって命を落としてしまうのだろうか。
戦争を放棄し、世界の誰よりも平和を希求する日本人。誠実で真面目な、あのニッポン人はどこにいってしまったのだろうか。