鈴木勝利 コラム「語りつぐもの」

鈴木勝利 コラム「語りつぐもの」

インフレがいいのか、デフレがいいのか
2017/11/21


物価の推移を表すのにインフレとデフレという言葉がある。インフレは言うまでもなく物価の上昇を意味し、デフレは反対に物価の下落、あるいは低位水準維持を意味する。経済にはこの物価の上がり下がりはつきもので避けようはないのだが、問題は物価の変動が国民各層にどの様な影響を与えるかである。
経済の主体は、「経国済民」と言う通り国民である。【「経済」という言葉は、中国の古典 隋代の王通「文中子」にある「経世済民(けいせいさいみん)」の記述が語源といわれる。「経世」は「世を治める」という意で、「済民」は「民を救う」という意である。「世」は「国」と同義語だから、「経世」は「国を治める」意味で「経国済民」ともいう。
江戸時代に学者間で「経済」という用語が使われ始めたという。初めは理念的な政治政策の意味に使われていたが、次第に経済運営の意味でつかわれるようになった。明治時代に「economy(エコノミー)」の訳語として「経済」が選ばれた。】(ウィキペディア)という。

さて、物価は私たち国民にどのような影響を与えるのか。

まずデフレである。デフレは物価の下落、あるいは低水準の維持であるから、消費者にとっては優しいというべきか、非常にありがたい傾向だ。モノが安く買えるからだ。
ところがこれも曲者で、物が安いということは、その安さをもたらしている原因と結果を考えなくてはならない。安さをもたらしている原因が、一般的な生産性の向上や材料費のコスト削減であれば何の問題もない。しかし、最近のサービス産業にみられるように、コスト削減が人件費の削減、すなわち非正規社員の採用増と賃金の削減によって賄っているとしたら、話は違ってくる。
他人の犠牲の上にもたらされた価格だからだ。他者を犠牲にした低価格を喜ぶわけにはいかないし、行き過ぎれば人件費の削減では追い付かず店舗や企業の倒産を招きかねない。倒産によって失業者が市場にあふれれば、働く人々に悪影響をもたらしてしまう。

このようにデフレは瞬間的には消費者にとって好ましい傾向のように見えるが、突き詰めていくと社会に混乱の種をまくことにもなる。だからデフレは避けたい。

ではインフレはどうか。インフレは物価が上がることだから国民生活を低下させる。10%の物価上昇は、昨日、100円で買えたものが、今日は110円なければ買えないということになる。生活水準を1割落とさなければならない。

ところが、インフレは国民の中でも階層に与える影響が違ってくる。インフレによって生活が苦しくなる人がいると思えば、変わらない人、さらにインフレで利益を得る人が出てくるのだ。

まず私たちのように、働いて給料を得て生活している現金生活者を見てみよう。現金で生活する私たちは、インフレの影響をまともに受けることになる。前述したように、物価上昇率分だけ生活の水準を落とさなければならないからである

次に、インフレの影響を全く受けない人々も存在する。「資産・モノ」を持っている人だ。なぜなら持っているその「資産・モノ」も値段が上がっているからである。平均的にいえば、10%のインフレは、持っている「資産・モノ」の値段も10%上げてくれる。損も得もしないということになる。

問題なのはインフレによって利益を得る人も出てくることである。どんな人かといえば、借金をしている人である。借金はインフレがあろうがその借金の金額は変わらない。その利息も同様だ。物価が10%上がっても、借金の金額や利息は増えたりしない。借金をした時のままである。周りは、とみればインフレで物価は上がっている。物価が上がるということは、商売をしていれば売り上げが増え収入が増える。現金生活者も労働組合の賃上げ闘争によって収入が増える中で、借金の額が変わらなければ、収入に対して負担率は下がる。

収入が10万円の時の借金の返済額が1万円であったとしよう。賃上げによって収入が11万円になったときでも、返済額の1万円は変わらない。収入の10分の1の返済が、11分の1に縮小する。負担感は大いに減少される。
この場合は個人を例に取り上げたが、世の中には個人よりももっと大きい借金をしているケースがある。企業だ。何10億円という単位で借金をして、インフレで売上げが伸び、売上げに対しての返済率は下がる。だから借金をしている企業はいつもインフレを期待しているのである。

世の中には企業よりも借金をしている組織がある。国である。日本においては国債という名ですでに1000兆円もの借金をしている。インフレによって、企業が利益を出せば法人税が多くなる。国民は賃上げで給料が増えれば所得税が多くなる。国の収入が増加すれば、国債の返済負担率は下がることになる。
アベノミクスが、インフレ率2%と何度も何度も叫ぶのも、こうした背景があるからである。それは思うようにならないのには理由がある。物価はお金の価値と連動する。インフレの1%はお金の価値が1%下がることを意味する。お金の価値を下げるためにとった政策が、市場にお金をジャブジャブ流せば、お金の価値が下がるはずだと考えていた。本来ならお金がジャブジャブになれば、国民がその恩恵を受け、消費が活発になると目論んだ。

ところが、市場に流されたジャブジャブのお金は、株高などによって一部の富裕層に集まり、一般の国民には行き渡らない。加えて、トリクルダウン理論と称して、ワイングラスの頂点にお金を注げば、徐々に下のグラスに流れて国民全体に恩恵が行くと考えてしまった。一部の富裕層を作ればその恩恵が皆に行き渡るなどということは、歴史的にも一度も実現したことはない。明らかな間違いなのだ。しかし、それを否定してしまえば、自らの過ちを認めることになってしまう。

ならばスローガンによって覆い隠そうとする。安倍政権発足間もない13年には「アベノミクス三本の矢によるデフレ脱却」を大々的に掲げたほか、「女性活躍」が登場させた。14年には「地方創生」、15年には「1億総活躍」といった言葉が表れ、今年は「人づくり革命」「生産性革命」が加わっている。

選挙ではアベノミクスによって株価が上昇したと誇り、スローガンで経済政策の失敗を糊塗する。国民はものの見事にだまされてしまったようだ。国際的には、トリクルダウンによる経済の成長はあり得ないという考えになっているのにである。
前々号でもふれたが、アベノミクスによって確かに株価は上がり、株価が上がったことによってほんの一部の人々は裕福になった。しかし富裕層だからといって、生活必需品を人より多く買うわけではない。私たちが靴下1足を買うのに対して、富裕層が10足も20足も買うわけではない。私たちが1日三度の食事をするのに対し、富裕層が10回も20回も食事をするわけではないのだ。富裕層をいくら増やしたところで、消費する品物の値段が高いものを買うことはあっても、数量が全国民のトータルを上回ることなどあり得ないのだ。インフレの道が遠いといわれるのはこうした背景があるからである。
そこで、経済の発展には中流階層の所得増加が欠かせないことに気付いたのか、前年もやったが18年春闘では経営者に対して、連合の要求基準を上回る3%の賃上げを求めることになった。一挙両得、自主的な関係であるべき労使関係に介入し、野党支持の労働組合の存在感を薄めることができるうえに、賃上げで消費が拡大しインフレになれば「政策は正しかった」と言える。賃上げが不十分であればこれも労働組合の存在感の希薄化につながる。
先の衆院選に大勝し「選挙結果はアベノミクスを支持した」と豪語して政策の継続を高らかに宣言しているが、1000兆円もの借金はいつかは返さなければならない。10代、20代の若者の自民党支持は多いそうだが、若者は、やがて借金の返済に苦しまなければならない。市場に流されたジャブジャブのおカネによって引き起こされた異常な「株高バブル」は、必ず崩壊するのは目に見えている。そして、「債務を一時的に増やしても成長をとげ、その結果、収入が増え債務が下がる」と、国民の間を分断してしまった理不尽な格差をそのままに、突き進んでいるのが今の日本の道なのだ。
アベノミクスはすでに破たんしているのである。選挙でアベノミクスは信任されたと豪語しているが、「経国済民」、分断された国民生活はいったいどうなってしまうのか。年寄り?の心配は尽きない。