鈴木勝利 コラム「語りつぐもの」

鈴木勝利 コラム「語りつぐもの」

スポーツを貶(おとし)める人々
2018/01/21

今から3年前の2015年2月、神奈川県川崎市の多摩川河川敷で中学1年生の上村遼太君が殺害された事件が社会を震撼させた。わずか12歳の少年が不良グループに入れられたうえに、そこから抜けられず、事件当日も深夜にLINEで呼び出された末に、全裸の惨殺死体となって発見されたのである。

2月27日には18歳と17歳の少年3人が殺人容疑などで逮捕された。

この事件を思い出したのには理由がある。横綱日馬富士による貴の岩への暴力事件が報じられたからである。

相撲界をけん引するモンゴル人力士会の中で、同会と一歩距離を置く貴の岩を呼び出し、日馬富士がふるった暴力によってけがを負った事件と、川崎で起きた少年ら不良グループによる集団リンチ事件がおなじに見えて仕方がないのだ。

一つの集団の中で、気に入らないものが出ると、寄ってたかってリンチを加える様は、容易に想像できるし、「物さえ持たなければ暴力を振るってもいい」として傍観?していた他の力士たちの心には、何が住み着いていたのだろうか。
本人のためだからと暴力が日常的に許されている角界特有の「かわいがり」という風習、2007年には、「時津風部屋力士暴行死事件」と呼ばれる事件も起こしている。この事件は、2007年6月に時津風部屋に新弟子として在籍していた序の口力士の少年が、愛知県犬山市の宿舎でリンチを受け死亡したもので、検察側の主張によると、新弟子が稽古や人間関係の厳しさから部屋を脱走したことに時津風親方が憤慨して、ビール瓶で額を殴り、さらに数人の力士に「かわいがってやれ」と暴行を指示した。翌26日も通常は5分程度のぶつかり稽古を30分ほど行い、新弟子が倒れた後も蹴りを入れたり、金属バットで殴打するなど集団暴行した。警察の任意取調べに対して時津風親方や数人の兄弟子が容疑を認めたものであった。

これらの事件によって相撲界の異常さが明るみに出てしまったのだが、将来は力士になろうと夢見ている少年たちの失望は計り知れなかった。

今回のモンゴル力士会によるリンチ事件は、相撲というスポーツがまたもや失望されるスポーツになってしまったのである。

夢を託すスポーツはなにも相撲だけではない。多くのスポーツが、国民に評価されるものになっているのだが、その思いを打ち砕くような不祥事が次から次へと繰り返される。

つい最近ではカヌー競技で、オリンピックに出場したさに、ライバルにドーピングの疑惑がかかるように薬物を注入した事件も起きた。さらにさかのぼれば2016年にはバトミントン選手による違法賭博場への出入り、2015年、16年にはプロ野球のジャイアンツ所属選手による野球賭博問題が起きている。いずれもそのスポーツにあこがれて将来を夢見ていた人たちに大きな打撃を与えた。

今やスポーツは子供たちに憧れを抱かせる夢のあるものから、失望や疑念を抱かせるものに変ってしまったのだろうか。いや、以外にスポーツとはそんなものだったのかもしれない。スポーツを美しく思ってきたのは私たちの幻想だったのか。
思えば、政治の介入を認めないと銘打っているオリンピックも、よく見れば政治とそのものになっている。古くは、あのナチドイツ・ヒトラーは、ベルリンオリンピックを侵略を隠す平和の祭典としてものの見事に国際世論を欺いた。

オリンピック憲章はいう。
【1-    オリンピック・エリアにおいては、いかなる種類のデモンストレーションも、いかなる種類の政
治的、宗教的もしくは人種的な宣伝活動は認められない。オリンピック施設の1部であると考えられるスタジアム、およびその他の競技エリア内、およびその上空ではいかなるかたちの広告も許可されない。】

この崇高な宣言をだれもが信じなくなっている。
1980年には、モスクワ五輪に対して、ソ連によるアフガニスタン侵攻に対してアメリカがボイコットを主唱、反共的立場の強い諸国など50カ国近くがボイコットを決めた。
その一方で、イギリス、フランス、イタリア、オーストラリア、オランダ、ベルギー、ポルトガル、スペインなどは参加した。イギリスではボイコットを指示した政府の後援を得られず、オリンピック委員会が独力で選手を派遣した。
日本はどうしたかといえば、同年2月には、アメリカからの西側諸国への要請を受け、日本政府は大会ボイコットの方針を決めたが、多くの選手はJOC本部で大会参加を訴えた。
1980年5月JOC総会の投票(29対13)でボイコットが最終的に決定された(なおこの採決は挙手によるもので伊東正義官房長官(当時)も出席しており、各競技団体の代表者には「参加に投票した場合には予算を分配しない」などの圧力がかけられていた)。
そして1984年のアメリカのロサンゼルス五輪では、モスクワ五輪ボイコットの報復として東側諸国が大会をボイコットした。ロサンゼルス大会の不参加国はソ連、東ドイツ、ポーランド、チェコ、ハンガリー、ブルがニア、ベトナム、モンゴル、北朝鮮、キューバ、エチオピア、アフガニスタン、アンゴラ、イラン(モスクワオリンピックも不参加) などであった。
さらに厳密にいえば、 2016年8月21日のブラジル・リオデジャネイロ五輪の閉会式で、リオから東京への引き継ぎセレモニーで、安倍晋三首相が任天堂のゲームキャラクター、スーパーマリオになって登場したのも問題として指摘されている。
しかし、スポーツを政治に利用するのは何もオリンピックだけではない。トランプ・アメリカ大統領の訪日に際しての接待ゴルフでは、プロゴロファーの松山選手を利用したし、スポーツが神聖で、政治とは無関係という精神は、事実上崩れ去っているのが現実である。
趣旨はちょっと変るが、政治が介入するという意味では、労使が自主的に決めるべき賃上げに対して、たとえそれが組合側に有利になるからといって、政治の口出しを容認している現状も憂いの一つだ。
「労働条件は労使が主体的に決める。(政府主導の賃上げは)もういい加減にしないといけない」。2017年12月6日、金属労協の高倉議長は記者会見でこう述べた。

労使関係とは、本来、歴史的に見ても労使双方が自主的に話し合いをもとに結論を出すもので、権力が手を突っ込んでかき回すものではない。そんな当たり前のことが否定された行為が4年も続き、今年も権力者による干渉が始まっている。実に5年も続いてである。
話を元に戻そう。政治に蹂躙されるスポーツであっても、日本の一部には、それぞれのスポーツに「道」があり、それを日本の伝統美として守っていかなければならないという美意識は根強く残っている。弓道、柔道、剣道、空手道、相撲道などがそれである。その「道」でさえ、環境の変化で廃れ始めていると見えるのは如何ともしがたいのだろうか。

プロスポーツ界で顕著になりつつある外国人選手の起用は、この日本独特の伝統的美意識の「道」を破壊しつつある。
それを国際化という風潮だけで容認してきた結果が、日本独特の「道」を損ない、今回の相撲界のリンチ事件を招いていることに気がつかねければならない。それは何も、外国人を排斥すべきだということではない。「道」という日本古来からの伝統美を、あまねくすべての人々に理解してもらえるような不断の努力が求められているということなのである。それは私たち日本人に対してもである。