鈴木勝利 コラム「語りつぐもの」

鈴木勝利 コラム「語りつぐもの」

官製春闘の見返りに潜む闇
2018/02/21
  
現役時代のころ、労働組合のない企業の経営者や従業員から、「わが社は、世間並みの処遇や民主的な企業運営をしているから不満もなく組合を必要としていない」という声をときおり耳にしたことがある。

歴史上、地球上に資本主義の経済システムが生まれたのは、学校の社会科で習ったようにイギリスの「名誉革命」によってである。それまでは王侯貴族によって独占されていた富が、この革命以降、一般市民にも財産権が保障された。財産を持つ一部の市民によって、工場を作り、設備を整え、従業員を雇い会社を興す資本主義経済システムが誕生する。そして、その後にくる産業革命によって新しい経済システム、資本主義は定着し隆盛を極めていく。

その過程で、利益第一主義の使用者によって労働環境は悪化の一途をたどり、労働者は過酷な労働環境と労働条件の中で犠牲を余儀なくされていた。
ヨーロッパに誕生した労働組合は、過酷な労働条件と労働環境の改善を目指して運動を進めることになる。労働組合は、改善を図るために議会に働きかけて使用者の一方的な利益第一主義の労務施策の禁止や改善を図っていった。例えばそのころは一般的だった幼児や女性の徹夜勤務を禁止したり、泣き寝入りが普通であった労働災害の補償を義務付けたりしていった。

過酷な労働環境・労働条件を法律で禁止することで、労働者はやっと少しづつであるが人間らしい働き方に近づいて行った。
この人間らしい働き方を目的とした法律こそが労働法なのである。その後、労働法は時代の進歩に合わせ使用者の行き過ぎを規制し続けて今日を迎える。その結果が、日本でいえば今日の労働基準法であり、労働災害補償法であり、労働安全衛生規則であり、労働組合法なのである。
週休二日制という労働時間の規制を設けるようになったのも、歴史の積み重ねによって生まれたものなのである。だから冒頭に記した「現状に満足しているから」という組合不要論は、逆説的にいえば、「必要ないと断じ」ているその労働組合の努力によって作られたものなのである。組合不要論は、まさに「天に唾する」論理と言えるのである。

さてこのように、使用者の行き過ぎを是正する労働法は、使用者が利益第一主義に陥り、利益のために従業員に犠牲を強いることを規制する目的を持っている。だから使用者が従業員を人間と認め、人間らしい働き方をさせている限り、法律で規制する必要はまったくないことになる。利益最優先のために従業員に犠牲を強いるから、それを規制する法律が必要になってしまう。

資本主義経済システムを確立させた市民革命は財産権の尊重のほかに、契約自由の原則、過失責任の原則を同時に打ち立てている。それらの原則は今でも有効に機能しているが、資本主義の経済システムは使用者に麻薬のような意識を植え付けるようになる。利益第一主義がその麻薬である。
過去の使用者が犯した労働環境の破壊を規制するための労働法。時代が変われば、それは一見、新しい時代の使用者の経営施策を不自由にする。不自由にしなければ再び利益第一主義という麻薬のために、従業員に犠牲を強いる労務政策に手を染める可能性が高くなるからである。

さて、官製春闘と揶揄される春闘が始まった中、臨時国会では「働き方改革を推進するための法律案」が審議される。その中には「企画業務型裁量労働制の対象業務への『課題解決型の開発提案業務』と『裁量的にPDCA(事業活動における生産管理や品質管理などの管理業務を円滑に進める手法の一つで、PLAN(計画)→Do(実行)→Check(評価)→Act(改善)の4段階を繰り返すことによって、製品と業務を継続的に改善することをいう)を回す業務』の追加と、高度プロフェッショナル制度の創設等を行う」という文言が含まれている。

お役人らしいもって回った分かりにくい表現だが、後段の「高度プロフェッショナル制度」というのは、専門性の高い一部の職種に対して、使用者が決めた一定額の成果報酬を支払う制度である。労働時間ではなく仕事の成果で報酬が決まる現行の制度としては、「企画業務型」や「専門業務型」の裁量労働制があるが、それらの制度と比較すると、労働時間の規制が緩いことや、対象となる業種が厳密でないことが特徴である。

この法律は、労働基準法改正案として2015年に閣議決定されたものの、報酬が労働時間によって評価されないことから、「残業代ゼロ法案」「過労死を増やす」として労働界や識者からも強く反発が出ていたものである。にもかかわらず、今回も年収1075万円以上の人を対象にする制限があるものの、残業料を支払わなくてもよい点は変わらず、相変わらず「残業代ゼロ法案」という特長は残したままになっている。

もう一つ、前段の裁量労働制対象業務の拡大だが、法律文では、「法人である顧客の事業の運営に関する事項についての企画、立案、調査及び分析を主として行うとともに、これらの成果を活用し、当該顧客に対して販売又は提供する商品又は役務を専ら当該顧客のために開発し、当該顧客に提案する業務 (主として商品の販売又は役務の提供を行う事業場において当該業務を行う場合を除く)」となっている。このわかりにくい法律文だと、一般的な営業職との区別があいまいであり、同時に管理職にも同様のあいまいさが付きまとう。
このあいまいさがなんで問題かといえば、対象業務があいまいであれば、裁量労働の対象業務が際限なく拡大していってしまう恐れが強いからである。
すでに現行の法律では認められていない業務まで、裁量労働制の対象にしてしまう企業が出て労働基準監督署から是正勧告を受けている現実がある。

たとえば、2017年末、全社員約1900人のうち、約600人に裁量労働制を適用していた会社さえあったのである。課長代理級の「リーダー職」と課長級の「マネジメント職」に就く30~40代が中心で、営業戦略の企画・立案と現場での営業活動まで裁量労働の対象にしてしまう法律違反だったが、この会社は中小ではなく大手の某不動産会社なのである。

現行の法律では「営業職」は違法となっているが、新しい法律では違法ではなくなる可能性が高いと指摘されている。

このように、使用者からみれば現在の法律が使い勝手が悪いから使いやすいようにしようという意図が明らかになってきたのである。使い勝手の悪い現行の法律こそが、使用者の非人間的労務政策を規制してきた歴史を持つ。それをものの見事に否定しているのがブラック企業といわれる会社群である。

もう一度、原点に戻って考えてみよう。
労働法とは、使用者が際限の無い利益を求め、従業員を過酷な労働環境に置かないように法律で規制しているものなのである。その法律による規制を外し、使用者が従業員を使い勝手のよい環境に置き換えることは、歴史の積み重ねを否定し、労働法を形骸化させるものとしか言いようがない。

1月22日に開会した第196回通常国会で、安倍総理は施政方針演説で「『働き方改革』を断行する。戦後の労働基準法制定以来、70年ぶりの大改革だ」と述べ、「同一労働同一賃金」の実現や長時間労働の是正などに取り組むと表明した。実際に提案されている労働基準法の改正案は、少しも長時間労働の是正などではなく、むしろ70年ぶりの大改悪の内容だ。

もし、「政府が主導して賃上げを図る」官製春闘の見返りに、労働法の形骸化を図ろうとしているとしたら、労働組合はとんでもない「負の遺産」を抱え込むことになってしまう。