鈴木勝利 コラム「語りつぐもの」

鈴木勝利 コラム「語りつぐもの」

貧乏とは無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のこと~ウルグアイのムヒカ大統領の言葉をかみしめる~
2018/04/20

前号(「改善に厄介な複合社会」)で述べたことを少し詳しく触れてみたい。子供時代の社会科の教科書でも良いし、映画の一場面でも良い。原始時代の生活ぶりを思い起こしてみれば分かる。生きるためには食べなければならない。だからお腹が空く「食欲」という本能が働くのである。生きるために雨露をしのぐ場所を確保したいという本能(そのための物質的欲望)が働き、子孫の繁栄(人間社会は子孫の繁栄によって永遠に続かなければならない)のために性欲を抱いて異性を欲っする本能が働く。

本能の最初の段階「生きるため」では、今の価値観でいう「貧しくとも辛うじて生きられる」水準を求める。狩猟で得た獲物の肉、辛うじて雨露をしのぐ洞窟、近くにいる異性とのセックスや結婚?
やがて欲望の趣くままに本能の欲求の水準は上がり、住居は洞窟から小屋へ。獲物の肉も保存を考え、あるいは農業を覚えて定住するようになり、部族をこえて、あるいは好む感情を通じて結婚も行われるようになる。
それらは生活水準の向上に伴って変化したものであり、知恵の発達とあいまってやがて「量と質」を求めるようになる。快適でより良い住まい、おいしい食べ物をよりお腹一杯に、単なる異性という存在から愛する人との結婚へ。

そしてそれらがある程度満たされると、いままでの欲望がモノ中心だとすれば、今度は自分の存在意義に思いをめぐらす。自分は社会や家族から必要とされているのか、他人や会社は自分をどう評価しているのか、自分はなんのために生きているのか、生きる価値は何なのか、働き甲斐はあるのか、などなど、欲望は精神的なものに変化する。

そして自立や自由を欲するようになる。人生どの場面でも他人から強制されずに、自分の意思で選択したいという欲求が生まれる。だから人々は自由な社会制度を欲し、自分の意見が生かされるシステムとして民主主義に価値を見出すのである。
終戦直後の荒廃とした日本が、今日の経済大国を作り上げるために辿った歴史は、この欲望の段階発展に沿っていることを証明している。それが「社会現象は時代を反映する」といわれるゆえんなのだ。犯罪の歴史もそうだ。貧しい時代の犯罪と豊かな社会の犯罪とでは、動機も質も明らかに違う。
警察白書によれば、万引き一つとっても貧しい時代の動機は「欲しい」からであり、生活水準の向上に伴い次は「もっと欲しい」、そして現在は「面白いから」であったり、お金は持っているのに「魔がさした」となる。モノがないときには自分のものにすることが目的であったのに、今や万引きも遊戯や出来心という精神的な側面が引き金になっている。

では労働組合運動はどうだったのか。
第二次大戦の敗戦によるアメリカ軍の占領政策によって、1945年を境に労働組合の結成ラッシュが始まる。当時の組合のスローガンは、「食える賃金」であり、一時金・賞与交渉は「越年資金闘争」といわれた。皇居前広場をメーデー会場に使用するのが禁止される原因となった1952年(昭和27年)の第23回メーデーは「血のメーデー」と呼ばれるが、その時のスローガンは「米よこせ」であった。

このように組合運動はすべて「生きるため」であった。当時の社会情勢を見れば当然のことである。会社の復興は遅れ働く場所も十分にない。闇市場が幅を利かせる中で遠隔地までの「買出し」に依存する食生活。闇市場で物を買うという犯罪行為には手を染められないと正義を貫いた判事が飢え死にをする時代でもあったのだから、労働組合が運動すべてを「食える賃金」という「生きるため」においたのも至極当然のことなのである。時代を反映した組合運動が進められていたのである。
実はこの時代背景による「賃金・一時金闘争」中心の運動スタイルが、労使の憲法ともいうべき最も基本的な労働協約の締結を遅らせ(各労使の締結が促進されるのは1950年代に入ってからになる)、労働協約交渉で扱うべき賃金や一時金、労働時間問題が、独立した案件として「春闘」の最大テーマになってしまう。

このため、本来は労働協約に包含される賃金や一時金などの基本的な労働条件が、協約とは別個の存在という誤解を生むことなり、労働条件をトータルで考えられない、春闘がすべてという現在の組合運動を決定付けてしまったのである。
こうした問題点は別に譲るとして話を本題に戻すと、戦後の混乱した時代が落ち着きいよいよ高度成長時代に入っていく。1959年の現平成天皇、当時の皇太子殿下のご成婚パレードをひと目見ようと国民の多くが白黒テレビを購入した。それを期に三種の神器(テレビ、冷蔵庫、洗濯機)時代に入り、1964年の東京オリンピックで3C(カラーテレビ、クーラー、カー)時代になる。「奇跡の復興」といわれた日本の高度成長は、電気製品や自動車という耐久消費財がけん引役となって成し遂げられたのである。

この高度成長時代の組合のスローガンは、「ヨーロッパ並みの賃金」であった。欧米先進国に追いつき、追い越せと国を挙げての経済政策がその効果を挙げ始めたことによって、日本で働く人々も当然のように欧米並みの労働条件、賃金の量と生活の質を求めたのである。
労働者(国民)の収入が引き上げられることによって消費財の購入が盛んになり(需要の増加)、売れるから作る。売れれば業績が向上する。業績の向上は賃上げによる人件費の増加を吸収し、かつ新規の設備投資も可能にする。仕事が増えれば雇用も増える(低失業率)。この好循環こそが日本の高度経済成長を支えた構図であり、労働組合の春闘が日本の高度成長を支えた一つの要因といわれる理由である。

さて、敗戦直後の混乱期から今日まで、日本経済や社会の発展を支えてきた人々は、大雑把にいえば家庭のテレビで流される当時のアメリカのホームドラマを見て、画面に映し出されるアメリカの家庭風景、大きなテレビや冷蔵庫、機能的な洗濯機などの家庭電化製品をみて、自分もああいうものを持てたらどんなに幸福だろうかという思いを抱いた。それだけのために懸命に働いたというのは少し乱暴であるが、後の消費増加のすさまじさを見るとあながち無縁ではなかったといえるだろう。そして今日、曲がりなりにも当時憧れていた品々を持つ生活を実現してみて、「これが昔、思い描いていた幸せなのか」、「何かが違う、何かが欠けている」と心のどこかで疑問を感じているのである。それはモノが満たされているのが当たり前の中で生まれてきた子供たちも同様で、その心に引っ掛かっている形に見えない何かこそ、精神的充足感なのではないか。
世界で「自分の国が最も幸福である」と思っている国は、ブータンやキューバであり、近年はデンマークが高くなっている。
モノを多く持つことが幸せと考えている日本人はブータンやキューバのような生活にはなじめないだろう。「価値観」が違うのだ。
世界で最も貧しい大統領といわれ、その心はどの人物よりも豊かだといわれるウルグアイのムヒカ元大統領はこう忠告している。
【貧乏な人とは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ】。