鈴木勝利 コラム「語りつぐもの」

鈴木勝利 コラム「語りつぐもの」

企業経営者の道徳的義務とは、 社会や環境といったことよりも株主利益を最大限あげることだ
2018/12/20

なんとショッキングなタイトルになってしまったのか。それは今までの日本社会では当然と思われてきた、企業の社会的責任のあり方をものの見事に否定し、「資本主義経済の暴走」ともいうべきニューエコノミーの思想だからである。今まで問われてきた「企業はだれのもの」という問い対しても、企業で働く人間の存在を無視する恐るべき思想でもある。

春闘のスタートと同じ1955年の2月14日に、「日本経済の堅実的な発展を図るために生産性向上は不可欠である。生産性の向上とは資源、人力、設備を有効かつ科学的に活用して生産コストを引き下げ、市場の拡大、雇用の増大、実質賃金と生活水準の向上を図り、労使および一般消費者の共同の利益を増進することを目的」として、労・使・学の三者構成で日本生産性本部が発足した。

そして、生産性の向上の成果について、次のような考え方を確立した。三つの考え方からなる原則を称して「生産性三原則」と呼ばれる。重要な考え方なので当時の文章をそのまま紹介しておく。
第一は「生産性の向上は究極において雇用を増大するものであるが、過渡的な過剰人員に対しては国民経済的観点に立って、能う(あたう=出来る)限り配置転換その他により失業を防止するよう官民協力して適切な措置を講ずるものとする」、
第二に「生産性向上のための具体的な方式については、各企業の実情に即し、労使が協力してこれを研究し協議するものとする」、
第三に「生産性向上の諸成果は、経営者、労働者および消費者に、国民生活の実情に応じて公正に分配されるものとする
というもので、その後、長く労使共通の認識として尊重されてきた。

三原則のうち、第三で利益の配分について明確にしているが、上記第三の原則でいう「経営者」とは経営者個人を指すものではなく企業を指すもので、設備投資などを通じ企業の発展を図るために配分するというものである。加えて労働条件の向上を通じて労働者に配分し、消費者への配分とは、国民生活を良くする新製品の開発や価格の引き下げを通じて消費者に配分するという考え方である。

つまり日本に企業が存在するのは、企業の発展を図りつつ、従業員の処遇を向上させ、その上で消費者のことを考えることで、国民生活の向上に資するのが企業の存在する目的であるという高い理念を掲げていたのである。
それがどういうわけかグローバル化の名のもとに、従業員や社会への貢献が失われ、国民生活とは無縁な存在へと変貌を遂げてしまった。
1976年にノーベル経済学賞を受賞。1982年から1986年まで日本銀行の顧問も務め、1986年には中曽根康弘内閣から「勳一等瑞宝章」を受章した新古典派経済学の父と呼ばれた経済学者のミルトン・フリードマンが、株式会社のあり方について残した言葉がタイトルである。
「企業経営者の道徳的義務とは、社会や環境といったことよりも株主利益を最大限あげることだ。善意やモラルは、それが収益と結びついている時のみ容認される」

フリードマンが言及したこの「株主至上主義」は、IT革命とグローバリゼーションで国境を超えた市場の規模を、急速に拡大させて行った。その代表例が国民間の格差の拡大、とりわけ経営者の高額報酬なのである。

フリードマンの言葉通りに、「企業経営者としての道徳的義務とは、株主の利益を最大限あげることだ」であれば、人員整理も心の痛みを感じることなく平然と行えるし、自らの報酬を異常に高くしても何の躊躇いもない。
話題を集めた日産のゴーン元会長の高額報酬も、自分では高くないと思っているから何の反省も生まれてこない。現に経済評論家を自称する識者には、日本経営者の報酬はアメリカや欧州に比べれば低いと述べる人は多い。
【11年以上前の2007年2月。パリ近郊、ギアンクール(イヴリーヌ県)にあるルノーの技術研究所「テクノセンター」で、4カ月間に3人が相次いで自殺し、事態を重く見た検察当局が捜査に乗り出したと、フランスの複数のメディアが報じたことがあった。
●06年10月、39歳のエンジニアが建物の5階から飛び降り自殺したところを、数名が目撃。
●07年1月、同センター近くの池で、44歳のエンジニアの遺体が発見され、地元警察が自殺と判断。
●その3週間後には、38歳の従業員が「会社が求める仕事のペースに耐えられない」という遺書を残して自宅で縊死。

立て続けに起きた従業員の自殺に、同社の従業員約500名が敷地内を沈黙しながら歩くというデモが行われた。当初、労働環境と自殺の関連性について否定的だったルノーも、「我々に多くの疑問が突きつけられ、また、各個人の責任について見直しを迫られている」 とコメントを表明したのだ。
実はこの時のトップこそが、「ミスター コストカッター」。連日連夜、有価証券報告書への虚偽記載容疑などがメディアで報じられている、日産自動車元会長のカルロス・ゴーン氏である。】(「日経ビジネスオンライ」河合薫 12月4日)

人員整理さえすれば業績は回復するという妙な神話が日本社会に蔓延してはいないだろうか。人員整理された従業員には家族がいて生活がある。明日から路頭に迷うかもしれない。その一方で何億円という高額な報酬を得ている現実。

11月22日付の朝日新聞は、「高額役員報酬、米欧流の波 1億円以上、国内上場企業で最多538人」と、企業の役員報酬が異常に高くなっていることを報じている。1億円以上の役員がいた企業は、2017年3月期決算時には221社、役員は2016年の414人から2017年には457人に増え、過去最多だったといわれていたが、2018年にはさらに538人と増加しているのである。

保守の論客、京都大学名誉教授の佐伯啓思氏でさえ、日本の価値観が米国流のグローバル
スタンダードと違ってもよいと次のように述べている。(「朝日新聞デジタル」 12月7日)
【グローバルに拡大した市場競争を支える経済理論の基本は、スミス以来ほとんど変わっていない。ただ、社会を構成する道徳感情をすっかり捨て去っただけである。そして、市場理論が抽象化されて理論として高度化するにつれて、経済は、倫理や道徳からはすっかり切り離されてきた。そのことと、今日のあまりの格差や過剰なまでの短期的な成果主義の現状は無関係ではなかろう。

倫理観や道徳観念は国や地域によって少しずつ異なっている。一般論としていえば、米国では、自由競争、自己責任、法の尊重(逆にいえば法に触れなければよい)、能力主義、数値主義などが大きな価値を持って受け入れられる。しかし、日本ではそうではない。協調性やある程度の平等性、相互的な信頼性などが価値になる。

だが米国流の価値をグローバル・スタンダードとみなした時、グローバル競争は、日本の価値観や道徳観とは必ずしも合致しなくなる。しかしそれでよいではないか。もともとグローバル・スタンダードなどという確かなものはないのだ。あるのは、それぞれの国の社会に堆積(たいせき)された価値観、つまり「常識」であり、そこには明示はされないものの、緩やかな道徳観念がある。企業も市場経済も、この「われわれの常識」に基づいているはずなのである。】

そして、皆さんはこんな話をどう思うだろうか。
【高額な資産などを持つ富裕層に対し、全国の国税局が今年6月までの1年間に5219件の税務調査を実施し、総額670億円の所得の申告漏れを指摘したことが29日、国税庁のまとめで分かった。】(「時事通信コム」 11月29日)
【超富豪の仲間たち、ご注意を ―民衆に襲われる日がやってくる】(「TED」ニック・ハノーアー 8月25日)
フランスの  【「黄色いベスト」運動は何を求めているのか? 彼らは仏政府が予定していた燃料税引き上げの中止を要求した。だがそこからエマニュエル・マクロン大統領に対する幅広い抗議運動へと拡大している。同国地方部ではマクロン氏を「金持ちの大統領」だとみなす人が多い。マクロン政権の税制改革で廃止された富裕税の復活を求める声も多い。マクロン氏への退陣要求も出ている。】(「ダイヤモンドオンライン」12月11日)