鈴木勝利 コラム「語りつぐもの」

鈴木勝利 コラム「語りつぐもの」

「自民党の広報紙に堕したメディア」~連合批判の次は組合無用論か~ vol.98
2015/06/15
 平凡に暮らす人間が世の中のさまざまな出来事を知る機会はメディアに依存している。新聞やテレビなどを通じてしか世の中の出来事を知ることができない。メディアが重要だということの理由である。それだけにメディアの責任も重いのである。誤った情報は国民に誤った判断をもたらすからである。

 かつてのナチス・ドイツが独裁権力のもとに国民を情報操作したことは有名だが、日本も例外ではない。先の戦争で、国際連盟を脱退し国際的に孤立を選択したのも、メディアがこぞって脱退をあおり、国際連盟の総会を脱退して帰国した外相をチョウチン行列で歓迎する国民を作った。

 2011年2月27日(2015年5月10日にはアーカイブスとして再放送)に放映されたNHKスペシャルでは、日本国民が時には軍部よりなぜ開戦に熱狂してしまったのかを、当時の軍部や政府関係者の話を交えて鋭くえぐっている。

 同番組の紹介では【世界大恐慌で部数を減らした新聞が満州事変で拡販競争に転じた実態、次第に紙面を軍の主張に沿うように合わせていく社内の空気、紙面やラジオに影響されてナショナリズムに熱狂していく庶民、そして庶民の支持を得ようと自らの言動を縛られていく政府・軍の幹部たちの様子が赤裸々に語られていた。

 時には政府や軍以上に対外強硬論に染まり、戦争への道を進む主役の一つとなった日本を覆った“空気”の正体とは何だったのだろうか。日本人はなぜ戦争へと向かったのか、の大きな要素と言われてきたメディアと庶民の知られざる側面を、新たな研究と新資料に基づいて探っていく。】としている。まさしくメディアに扇動され取り返しのつかない戦争への道を歩む国民のあり様が描かれて、メディアの影響力のすさまじさを実感させられる。

 日本にはなぜか新聞やテレビなどのメディアは、中立・公正であるとの思いがある。だから社会の出来事を知ると同時に、その内容も中立・公正であると信じられている。それがメディアの責任であり、信頼される根本と考えられてきた。そうでなければ一般国民が、「時には政府や軍部以上に対外強硬論に染まり、戦争への道を歩む主役」にはならなかったはずである。

 戦争前夜に犯したメディアの扇動によって、大多数の国民は家も家族を何もかも失う悲惨さを味わったのである。そこに権力者の意向が入ると絶対的になる。ナチスの手法がその典型であった。
「もちろん一般の国民は戦争を望みません。ソ連でも、イギリスでも、アメリカでも、そしてその点ではドイツでも同じです。政策を決めるのはその国の指導者です。そして国民は常に指導者の言いなりになるように仕向けられます。難しいことではない。われわれは他国から攻撃されかかっているのだと危機を煽り、平和主義者に対しては、愛国心が欠けていると非難すればよいのです。そして国を更なる危機に曝(さら)す。このやり方はどんな国でも有効です」(1946年8月31日のニュルンベルク国際軍事法廷 ヘルマン・ゲーリングの最終陳述より)。

 おりしも国会で審議に入った自衛隊の海外派遣に対する安倍政権の答弁は、このナチスの考え方どおりの道を歩んでいる。
考えてみれば、一つの出来事に記者や編集者、あるいは社としての考え方があるのは当たり前なのである。対立する意見があっても一方の立場に立って主張する場合もある。記者や編集者がまったく自分の意思とは無縁に記事を書き取材をすることはあり得ないのである。

 今日のマスメディアの問題は、実際は明確な意見を持っていながら、読者にはさも公平・公正であると装っていることにあると指摘されている。言いかえれば読者や視聴者を欺いているのである。したがって、「わが社」の編集方針は「こういう立場です」と明確にしたうえで紙面や番組を作らなければならないはずである。

 その意味で、日本の各新聞をながめてみると、自民党の思想・政策とまったく同じ立場に立つと宣言しているのが産経新聞。そして読売新聞も、1984年元旦号の三面の半分以上を埋めて、「平和・自由・人権への現代的課題」という社説を掲げて立場を鮮明にしている。「日本の役割と新聞の使命を考える」という副題を付けたこの社説は、反核平和運動の現状を批判し、日本が西側の一員であることの重要性を説いており、「大部数を発行する新聞は、どっちつかずのあいまいな国際的無責任、進歩を偽装した保守的、観念的中立主義に耽溺することは許されないと考える」と言い切っている。

 それゆえ、両新聞とも安倍政権の外交政策、集団的自衛権などの安全保障に関する政策、アベノミクスという経済政策にも、もろ手をあげて賛成し、そうした記事を書き続けている。そう宣言しているのだからそれは非難されるものではない。内容の是非は読者が判断していけばいいのである。

 しかし、その延長線上に、連合批判の立場も併せ持っているのではと思える主張が多い。
読売新聞は5月6日朝刊で、「政治の現場」「労働改革」の特集を組み、「安倍首相が、労働に関する法律を見直すことで、日本の働き方を大きく変えようとしている。その狙いを追った」とする連載記事を4回にわたって掲載している。
その第1回は、「メーデー かすむ連合」と題し、サブ見出しでは「賃上げ政府主導 存在感低下」の見出しが躍る。内容は見出しのとおりである。第2回は、「生産性向上へ信念貫く」とし、派遣法の改正、ホワイトカラーエグゼンブションの導入を評価、第3回の「巧みに連合揺さぶる」の中では、安倍首相の「連合は選挙では民主党を応援して、自民党政権に陳情するなんて虫が良すぎる」の本音を明らかにした上で、「連合を政治の表舞台から遠ざけながら、政権とのパイプを欲しがる連合の本音を逆手に取るしたたかさを見せている」と述べている。また、第4回では、旧来型の労使関係からの脱皮を図る象徴として、首相が旧来の経団連との関係を維持しつつ、ITを中心としたベンチャー企業経営者で組織する新しい経済団体へシフトしていることを、「影響力高める『新経連』」で触れている。この新経連は、「不当解雇の金銭解決」が、成長を妨げる岩盤規制改革の一つである考えている。

 そして、各号の中で、自民党内の見方として、「首相の意地や経済的効果だけではない。働き方の抜本的な見直しは、連合や民主党を大きく揺さぶる可能性がある。改革には、もっと大きな戦略が秘められているはずだ」とか、あるいは、「首相は、意思決定の仕組みから労組の影響力の排除も狙っているといえる」とか、「首相は最近、周囲にこう漏らした。『来年夏の参院選に、新経連からも候補者を出せばいい』。首相は新しい起業家たちとの連携をさらに深めようとしている」などと、関係者の言葉を使って、「政権支持・連合批判」の論陣を張っているのである。

 一方で、自民党に至っては、記事の内容が気に入らないから、表面は「意見を聴きたい」と糊塗して、メディア関係者を自民党本部に呼びつけて暗黙の圧力をほのめかす。メディア側もまたそれに唯々諾々と従うさまは、外国から「日本のメディアは独立性を脅かされている」と危惧されているほどである。

 こういう逆境ともいえる環境の中で、労働組合の社会的評価を高める努力をしなければならないから大変なのである。大変だけれども、そうしなければ、そのうち、「連合批判」から「労働組合無用論」の暴論にもつながっていく気がしてならない。