鈴木勝利 コラム「語りつぐもの」

鈴木勝利 コラム「語りつぐもの」

不当解雇で経済成長をはかる?~本末転倒の規制改革~ vol.99
2015/07/15
 ついに歴史に残る悪法といわれる「不当解雇の金銭解決」の具体化が始まった。日本経済が成長しないのは規制が多すぎるからだと、政府の規制改革会議は事もあろうか「不当な解雇があった場合、労働者が申し出れば金銭補償をして貰って退職する」という法案の具体的検討に入った。

 この法案が歴史に残る悪法といわれる理由は、「不当解雇=法律に違反する解雇」を前提にして「法律を守らなくていい」と言わんばかりの、まったく無茶苦茶な法案なのだ。本来政府や経済団体の仕事は、企業が法律に違反するような不当な解雇をしないように指導すべきであるのにもかかわらず、あたかも「おカネさえ払えば不当解雇をしてもよい」と言わんばかりの性質をもたせ、労働者の保護よりも、企業の不法行為さえも擁護しようとしていることにある。

 法律を守らなくてよいという悪弊は、社会を徐々に蝕んでいく。世の中には「してよい」ことと、「してはならない」ことがあり、それが社会の規範や倫理を形作っていく。日本に来る外国人が日本の文化、日本人の心遣いに感嘆の声を上げるのを聞くと心地よいが、倫理的に生活する日本人にとっては、それは当たり前のことであり、他人に見られることを意識しているわけではない。無意識に社会人として身についた生活態度なのである。

 しかしこの無意識に考え行動するのは、社会全体が法を守ろうとしている前提があり、その積み重ねによって日本社会の精神文化の形成へとつながっているからである。
たしかにいずれの国にも多数の国民の中には、社会の法や倫理や規範を守らない少数の人々がいる。しかしそれはあくまで少数の人であって、多数の国民は法も規範も倫理も守り、あるいは守ろうとしている。それが今日の治安のよいと評価される日本社会をつくっているのである。
こうした日本の空気ともいうべき素晴らしい社会風潮も、権力者や力を有する企業が法を軽視してしまうと、人々の心は荒(すさ)び自制心を薄れさせ、社会の規範自体を崩壊させていく。俗に言うモラルハザードを起こしてしまうのである。

 規範が崩壊するのは社会ばかりではない。企業の中においても、「法は守るもの」という当たり前の状態だからこそ、日本人は愛社心をもち一生懸命に働くことが美徳であるという勤労観を持つようになってきたのである。
その勤労観が「改善や提案」の企業施策を成功させる従業員の精神となっている。

 今回の方針は解雇が法に照らして間違っていても、「本人が求めれば」金銭の支払いさえすれば「不当解雇」が許されるという意味だが、解雇をめぐる紛争の現状がどうなっているのか少し検証してみよう。
【解雇をめぐる裁判所への提訴は、2013年で966件、解雇無効の確定判決は195件
に上る。ただ、裁判で不当解雇と判断されても、職場にいづらくなって離職せざるを得ないケースが多く、新たなルールには、こうした「泣き寝入り」を防ぐ効果も期待されている。経営者側にも解雇紛争の決着の仕組みを明確にできるメリットがある。】(2015年6月17日(水)読売新聞朝刊)。

 この数字は従業員が「不当」と思った解雇が年間966件もあったということであり、その中で裁判によって解雇は無効と判決されたのは195件もあるということだ。
上の新聞によれば、「現職復帰が難しく泣き寝入りを防ぐ効果も期待されている」とあるが、裁判とは違うとはいうものの、労働争議を審判する労働委員会でも同様の解雇問題は存在している。その経験からいえば、確かに「解雇は無効・原職復帰」という労働委員会命令が出されても、原職復帰が出来ないケースも多い。それは使用者側に原職に復帰させる意思がない場合、あるいは業務の革新や合理化によって原職そのものがなくなってしまうケースなどの理由がある。
しかし後者の場合でも、労働委員会の委員からは、しつっこいほど、職場の現状が問いただされ、復帰に向けて使用者側に努力を求めるのである。それでも客観的にも復帰が難しいと判断された場合にはじめて金銭での和解が進められる。

 今回の規制改革会議の答申は、はじめから「法律違反の解雇」であっても、本人に原職復帰が難しいことを強要し、金銭和解を選択させれば「法に違反した解雇」が有効とされることを意味している。

 さらにわからないのが、【安倍首相は、自らの経済政策「アベノミクス」のカギを握るのは労働生産性の向上とみており、あくまで改革を進めるとみられる。】(同紙)という考え方だ。

 法律に違反する解雇を認めることがなぜ「労働生産性の向上」につながるのかが分からない。

 さらに規制改革会議の答申では、【(解雇された労働者による)訴訟で解雇無効の判決が出ても、職場復帰を保証するものではない。雇用継続以外の方法として、(企業が金銭を支払うことで解雇を受け入れてもらう)金銭解決を明示し、(問題解決の)選択肢の多様化を検討するべきだ。15年中に速やかに、労使の代表者や法曹関係者、学識関係者らによる議論の場を設置し、検討を進める。】(同紙9面「規制改革会議答申の要旨」)とまで言及している。

 解雇無効の判決を想定し、「無効であっても職場復帰を保証していない」と言うに至っては、そもそも法律とは何なのかも疑問だし、法律に違反しても職場復帰を保証しないことを前提に「選択肢の多様化」になると結論付ける。

 今の日本の大きな流れを見ると、まずは、政府が自分たちの行為のうち国民に知らせるべきでないことを決められる「特定秘密保護法」を決め、つぎには、時の政府が勝手に憲法の解釈を変更して、国際紛争を自衛の名目をもって武力で解決しようとする「集団的自衛権」の法制化を図り、今度は、これらの法案に対して批判は許さないと、報道規制を進める自民党の暴走が始まる。とくに、報道規制の動きは、すでに4月17日、気に入らない内容だからと関係者を自民党本部に呼びつけることに始まっている。6月25日の安倍首相支持派の勉強会には、右翼的思想の識者を呼び、挙句の果てが戦国時代の「兵糧攻め」よろしく、「気に入らない社の広告収入を絶って財政的に締めあげる」、さらには「沖縄の二紙はつぶしてしまえ」とまで公言する。
その一方で、格差の温床になりつつある非正規社員制度の永久化を狙う法律改正、そして不当解雇の容認化を目指す安倍政権。

 自然に恵まれた国、知的に洗練された国民、そんな日本は徐々にむしばまれ、なくなりつつあるのか。どこかが狂い始めている日本。恐ろしい社会がやってくる予兆なのだろうか。