鈴木勝利 コラム「語りつぐもの」

鈴木勝利 コラム「語りつぐもの」

「格差拡大をもたらしたアベノミクス」~賃上げへの政府介入の狙いは?~ vol.105
2016/01/15
 議会制民主主義というのは、国会の議員によって政策を決めることを意味する。したがって、国会で多数を占めることが政党の最大の目的になる。国会で多数を占めること。それを実現したのが今の安倍内閣である。

 多数を握ることの意味も今の国会を見ればわかる。絶対多数を獲得したから理不尽な国会運営も許されると考えている。数多い法案の強行採決を見れば一目瞭然である。

 さらに、憲法の第53条では、「内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない」と定めてあっても、憲法には「召集期日の規定がない」から、「開かなくてもよい」と強弁して平然としていられる。もともとこの条文は、内閣の勝手で国会を開かないことを防止する目的で決まっているものであり、権力の独走を防ぎ、少数意見を尊重する目的で作られたものだ。それにもかかわらず平然とうそぶく様を称して「政高法低」(政治の力で法律を無視できる状態)と批判されても、多数を占めているから思い通りの国会運営ができてしまう。
今の自民党は、多数さえ制してしまえば乱暴な国会運営で、すべてがやりたいように国を動かせると錯覚しているようだ。国なり、あらゆる集団を支配する論理に分裂支配という考え方がある。国民を一致させないために、さまざまな利害関係を構築するのだ。
江戸時代、天草四郎で知られている「島原の乱」を引き合いに出してこう指摘する物語もある。切支丹(キリスト教)への宗教弾圧と、悪政に圧迫される農民が連携して「百姓一揆」が起こり、原城に立てこもって、鎮圧しようとする幕府側と壮烈な戦いが繰り広げられる。訓練もしないまま城にたてこもる一揆勢に幕府側は翻弄(ほんろう)されてしまう。多数の武士で城を取り囲む幕府側には厭戦(えんせん)気分が横溢していたからという。

【武士たちはこの一揆が避けられたはずであることを知っていた。前の島原藩主松倉重政と現在の藩主松倉勝家。この圧政の仕方も知らぬ阿保な親子が藩主でなければ、幕府がこんな阿保な一族を藩主に据えなければ、一揆など起こりはしなかった。(中略)無謀な統治は、寛永七年に重政が死に、嫡男の松倉勝家があとを嗣ぐと、統治とも呼べぬ異常なものに変わっていった。
 年貢をひどく滞納している百姓は、裸にし縛り上げ、油を吸わせた蓑を着せ火をつける。切支丹は雲仙岳の火口近くまで連行し、熱泉の中に投げ入れる。しかも、勝家は従わぬ領民を誰一人許さず、分け隔てなく平等に罰していた。
圧政を敷くものが何より考えるべきは、領民どもに団結させないことだ。百姓は取り立てる年貢の量に理不尽な差をつければいい。捕らえた切支丹は与える罰に過度の軽重をつければいい。理由はいらない。不平等な支配をし、領民どもが互いに妬(ねた)み怨(うら)み合う種を蒔くべきだった。そんな当たり前の配慮さえ一切せず、しかも勝家の指示に家老たちが誰一人異論を挟みもせず、家を挙げて幼稚な圧政に邁進した。そうした経緯を一揆勢の立てこもる原城を包囲している武士たちは知っていた。だから動こうとしなかった。「阿保の重政、勝家の尻拭いをなぜせねばならぬ」と思っていた】(「赤刃」長浦京 講談社)。

 アベノミクスは声高らかに失業率の低下を誇っている。日本の非正規労働者数は2014年11月に初めて2000万人を突破。全労働者に占める割合はついに約38%となった。10年前は30%前後だったが非正規社員は増え続け、ついに40%に迫りつつある。

 正規社員60%、非正規社員40%の時代になったのだ。

 平均の雇用者報酬は、製造業でも建設業でも減少している。そして、全雇用者5,586万人の36%にあたる1,887万人が、年収200万円未満(2014年)なのである。何のことはない、正規社員を減らし賃金の低い非正規社員を増やして「失業率は下がった」と嘯(うそぶ)いているのだ。

 一方、日本においてもアメリカと同様に所得の偏在・高額所得者への集中傾向が見え始めている。
またこんな資料もある。内閣府の「子供若者白書平成25年版」によれば、子どもの相対的貧困率は1990年代半ば頃からおおむね上昇傾向にあり,平成21(2009)年には15.7%となっている。子どもがいる現役世帯の相対的貧困率は14.6%であり,そのうち,大人が1人の世帯の相対的貧困率が50.8%と,大人が2人以上いる世帯に比べて非常に高い水準となっている。

 こんな状況から、【安倍政権の経済政策は、人間に目が向いていない。経済活動は人間の営みだ。人間に固有で、人間にしかできない営みである。そのような営みである経済活動に対して、人間に目が向いていない者たちが首尾よく関わることはできない。

 経済活動が人間の営みである以上、経済活動が人間を不幸にするはずはない。多少なりとも、どこかで誰かを不幸な状態に追いやるような活動は、そもそも、経済活動ではない。そのように呼ぶに値しない行為だ。人間であることと、経済活動を営むことは、表裏一体なのである。したがって、経済活動が人権を踏みにじるようなことは、かりそめにもあってはならない。人権の礎であってこそ、経済活動なのである】(同志社大学 浜矩子教授)と警鐘を鳴らす声も多い。

 また、2015年3月期決算の上場企業のうち、6月30日までに2,458社が有価証券報告書を金融庁などに提出した。2015年6月30日17時現在、1億円以上の役員報酬を受け取った役員の個別開示をしたのは209社、人数で409人にのぼっている。

 未曾有の格差社会になりつつある日本の中で、政府はまたもや2016年春闘での賃金の引き上げを労使に働きかけた。賃金が増えることに反対する人はいない。しかし、一方では、年収200万円にも満たない非正規社員は取り残され、正規社員中心で組織している労働組合に対して、「労働組合は自分たちの味方ではない」と感じている。現状はあの島原の乱、「不平等な支配をし、領民どもが互いに妬み怨み合う種を蒔く」統治手法と変わらないのだ。
ものの見事にその支配手法に乗せられ、もし労働組合が「『組合員である正規社員』さえよければいい。『非正規社員』は身分不安定で賃金も安いという犠牲はやむを得ない」と考えていたとしたら、それこそアベノミクスの思うつぼである。
自分たちの賃金引き上げを我慢し、非正規社員制度の処遇改善や廃止に取り組んだとしたら、日本は再びまとまりのある思いやり社会に戻る可能性は生まれるが、組合員の多数が賃金の引き上げを望んでいる中で、賃金の引き上げを見送って非正規社員制度の廃止に向けてメスを入れるのは難しいことである。組合員の理解を得るのが至難だからである。

 しかし、それでもやらなければならない。現状を放置することは、「格差が当たり前の日本社会」「自分さえ良ければいい社会」になってしまうからである。
2016年春闘、それは富める者はますます富み、貧しい人がますます貧しくなっていく社会、国民から絆を奪い分断させられてしまった社会を、再び絆と思いやりあふれる社会にするために、その第一歩を踏み出せるのかを労働組合に問う春闘なのである。