鈴木勝利 コラム「語りつぐもの」

鈴木勝利 コラム「語りつぐもの」

テロと日本~日本を覆う暗雲~ vol.108
2016/04/15
 2016年を迎え、社会的には「何か不気味な空気」を感じて仕方がない。事の起こりは昨年11月のフランスのパリにおける同時多発テロ、年の明けた今年の3月のベルギーでのテロである。真相はメディアを通じてしか知り得る手立てはないが、実行犯はISによるものと断定された。日本は今までどちらかといえば、「専守防衛」に徹してあらゆる地域の国と公正に付き合ってきたことによって、被害国とは無縁といわれてきたが、安倍首相の「同じ価値観を共有する国としての連携の強化」「集団的自衛権による他国への武力支援」という姿勢によって、日本もテロの対象国となり無縁というわけにはいかなくなった。だから2016年のサミット、2020年の東京オリンピックに際して厳重な警戒が必要とのメディアの論調が多かったようだ。

 もともとテロというのは、フランス革命末期、ロベスピエール率いるジャコバン派(フランス革命期にできた政治党派の1つ。名称はパリのジャコバン修道院を本拠としたから)の独裁による恐怖政治(レジーム・ド・ラ・テルール)のテルール(恐怖)が語源という。

 自由と人権を尊重する法治国家は民主主義国の最大の長所だが、それを利用して攻撃してくるテロに対して、長所は最大の弱点になってしまう。
「自由と人権を尊重し、法律を守って」防ごうとしても防ぎようがないからである。テロとは、国家間の戦争では勝てそうも無いから、敵と見なした国や団体の一般市民を無差別にできるだけ多く虐殺して、世間を震え上がらせ、テロは防ぎようがないという無力感を蔓延させ、自分たちの思い通りの世の中にしようと目論むからである。
独裁者フセインが倒れたイラクでは、一時、自爆テロの志願者が後を絶たなかったという。真実かどうかは分からないが、貧しいイスラム国家は同じような状況にあると言う人もいる。自爆テロ志願者には死亡後の家族の生活が保障されるという説もある。「イスラエルある限りテロは続ける」という彼らの宗教戦争の真意は私たちには測り知れない。ただ浅学の身を顧みず、もし許していただけるのであれば、あえて「テロの根源は貧しさと絶望にある」のではと思ってしまう。

 新聞で言うシリアも、イラクも、アフガニスタンも、バングラデシュも、およそ自爆テロ志願者の供給源といわれる国々は貧困にあえいでいる。人間は貧しいからといって争いを好むわけではない。が、貧しさゆえに、現状に苦しみ、何とかしたいと悶々としているときに、何かの拍子に貧しさの原因が「宗教対立」や「一部富裕国の横暴を糺すのが正義」と囁かれることによって、「一神教独特の宗教観」に基づく公正や正義のためと信じ、あるいは世の中に絶望を感じて自らの命をささげる行為に走ることはあり勝ちではと思ってしまうのである。
3月17日、世界三大通信社のAFPは、11日にイラク西部ラマディで起きた自爆攻撃を実行したとされるオーストラリアの18歳の少年が、なぜISの「殉教者」になったかという、本人が綴ったブログを紹介している。少年は、学校で支給されたノートパソコンを使って、インターネットで調べものを続けた。

 その結果、少年は、
【とりわけイラクとアフガニスタンの紛争に関する、欧米諸国の「嘘と欺まん」に嫌悪感を覚えるようになった。「さまざまな土地で活動するイスラム武装組織を支持することには気乗りしなかった私が、暴力をともなったグローバルな革命こそ、世界の病に対する処方箋だと確信するに至り」、「オーストラリアや世界の大半の国々が基盤としている体制すべてを憎悪し、異を唱える」ようになった。】

 18歳の少年の言い分は到底正しいとは思えないが、【豪政府によれば、約90人のオーストラリア人がイラクとシリアにおけるISの戦闘に参加しており、政府は自国民の過激化に警戒を強めている。今月初旬にはシドニー空港で10代の兄弟が中東行きを阻止された(AFP)】。

 貧困や絶望だけがテロリストを生む温床とは思わないものの、それでも多くの国が、そこそこの豊かさを享受し、相互信頼の社会が出来れば、テロは撲滅とはいかないまでも、今とは違う世界が生まれるような気がする。でも現実はそうはいかないようだ。国民の貧しさに眼を瞑(つむ)ってでも核兵器を持とうとする国もあるし、領土をめぐる意見対立も後を絶たない。

 人間が人間である限り、宗教戦争やテロはなくならないのだろうか。

 いや、人間が人間であるがゆえに、相互に理解するよう努力できるし、何らかの平和的解決の道を見出すことが出来るに違いない。それが叶わぬ夢に近いことであっても、ひたすらそのための不断の努力を重ねるしか、自分を含めた人間の尊厳、自由と人権を維持する道は無いのである。そんな理想論では解決できないとの声も聞こえてくる。そうかもしれないとも思う。

 民主主義や自由を容認している国にとって厄介なのは、テロを防止しようとすれば、国民の自由を制限したり、一時的にはフランスのように「非常事態」を宣言してあらゆることに国家権力を最優先させる政策をとるようになることである。

 現に、2015年11月17日には、自民党が一時成立を目指しながら世論の反対で見送った共謀罪・通信傍受法について、菅官房長官は「共謀罪は慎重に検討する段階」と述べているし、19日には河野公安委員長が「日本だけ穴がある状況になってはいけない」と、法案の成立に意欲を示す(11月20日付「読売新聞」)。

 昨年の「集団的自衛権」に続いて、テロ問題を利用して何かキナ臭い動きが見え隠れする。

 世界は、とみればテロに振り回されている。アメリカでは移民受け入れの拡大を図ろうとするオバマ政権と、移民受け入れは認めないとする共和党の意見対立が激しくなっている。ロシアとトルコの対立も生まれてしまった。このように国家の中の世論が対立すること、国と国が争うようになること、いずれもテロリストのネライでもあるのだ。

 思えばアメリカの9.11テロ、今回のパリやベルギーにおける同時多発テロ然り、到底許されるものではない。それを武力で解決しようとするのか、あるいはまた何か別の方法があるのか、心の中で堂々巡りを繰り返すが、はっきりしているのは、テロは憎悪、不信、報復の終わりなき連鎖を繰り返すことだ。それは武力で断ち切れるものではない。
日本国内には民族蔑視、人種差別の感情をあおる人々が多くいるが、私たちは一時の感情に走ることなく、人としてあるべき道をひたすら歩み続けることでしか、この不幸な連鎖を止める手立てはないような気がする。
しかも、フランスやアメリカのように自国民が感化されてテロに走り始めた。税関で入国をいくら規制しても効果はない。他国への警戒を呼び掛けるだけでも効果はない時代を迎えている。

 テロの発生が世界に与えた影響は非常に大きい。その影響の一つに、世界中で極右勢力が台頭し世論の支持を拡大していることがあげられる。
アメリカでは、「イスラム教徒の入国禁止」、「メキシコ移民は犯罪と麻薬の温床」と主張する共和党のトランプ大統領候補が、貧しさゆえに心の余裕がなくなった「白人の中・低所得者層」から熱狂的な支持を得ているという。

 フランスも同様に、極右政党の「国民戦線」が州議会選挙で大幅に支持を伸ばしている。
スイスでさえ、移民排斥を訴える「国民党」が支持を拡大。ポーランドでも、クロアチアでも、ギリシャでも、極右政党の台頭は著しい。
EUの盟主、ドイツでも「メルケル出てゆけ」のデモが発生。「移民受け入れ」を訴えていた市議選候補者が国内のテロにあってしまった。
こうした極右勢力を支持する国民の意識の背景には、「貧しいのは移民のせい」という単純化した主張に、「敵をひとくくりにしてくれるので、考えるのが面倒臭い人々」の支持を得ている。あるいは、国民に「本当の敵」「本当の原因」が分からないという「考える力」の衰えがあること。そして既存政権への不満、不信があるという。

 しかし、どのような理由があろうが、社会が極右勢力の台頭を許してしまうと、国民には「寛容のない社会」、「偏狭なナショナリズム」の意識が蔓延し、その先には「国家間・民族間」の離反が進み、戦争へとつながりやすい状況が生まれる。
日本も例外ではない。最近では理由が分からない犯罪が増加しているし、私生活においても、昔なら相互に思いやりを持った地域の暮らしも、殺伐とした「ご近所」に姿を変えつつある。

 政治家の発言もその影響を考えない信じがたい発言が多くなった。昔なら「言っていいこと・悪いこと」が理性で守られてきたが、今は構うことなく右翼的言動が満ち溢れている。社会もそれを許しているのである。自主独立を目指すと主張する右派・保守にとって、アメリカ大統領候補トランプ候補の躍進は「またとない機会」と受け止められているように。

 現に、トランプ氏の「日米安保不要論」の発言を受けて、待ってましたとばかり、【おおさか維新の会代表の松井・大阪府知事は29日、日本の核保有の是非について議論するべきだとの認識を示した。
松井氏は府庁で記者団に「完璧な集団的自衛権(で日本も相応の負担をする代わりに米軍に守ってもらう)か、自国で全て賄える軍隊を備えるのか(を議論すべきだ)。武力を持つなら最終兵器が必要になってくる」と述べた】(読売新聞3月30日)。
最終兵器とは当然のように核兵器をさすが、松井氏のみならず前代表の橋下氏も持論の核武装論を繰り広げる。
【おおさか維新の橋下徹・法律政策顧問もツイッターに「トランプ氏躍進は平和ボケ意識を改める大チャンス。集団的自衛権の否定は完全自主防衛そして核保有の流れになる」と書き込んだ】(「読売新聞」3月30日)。

 もともと橋下氏は、大阪府知事就任前のテレビで、「日本も核兵器を持つべきだ」と述べており、「やっぱり」の感は否めないが、「集団的自衛権を否定すれば、それは即完全自主防衛論であり、核保有の流れになる」という論理は強引と言わざるをえない。そしてタッグを組むかのように一方で「日本も徴兵制を敷くべきだ」と言う東国原元宮崎県知事がおり、挙句の果てに「今夏の参院選で勝利し、自民と公明と維新で憲法を改正すべきだ」(橋本氏)という極論まで主張する始末だ。

 安倍首相は、憲法改正を参議院選挙の争点にはしないようだが、自民党の憲法改正の草案では空恐ろしい内容が考えられている。前号でフランスのテロ対策として実行した「非常事態宣言」に触れたが、日本の自民党草案では、それを憲法に明記すべきということになっている。
草案によれば、条文中、「緊急事態の宣言」の項では、【第九十八条 内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。】とした上で、さらに「緊急事態の宣言の効果」の項目を設け、
【第九十九条 緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。】

 東日本大震災やテロの発生を受けて、迅速に対応するとして「緊急事態」を宣言する草案なのだが、その限りでは一考に値するが、実は大震災やテロに限ったものではないところがミソなのである。まず第一に、98条の「等」というのはいくらでも対象範囲を広げることができるのが問題とされ、第二に、「社会秩序の混乱」の判断も、時の権力者が決めるという点も問題になっている。

 そして総理大臣が【「等」による混乱】と考えて非常事態を宣言すれば、国会で審議することなしに法律をつくることができ、財政も自由に処分でき、地方自治体の長にも指示ができることになる。まるで戦前の日本の軍部独裁・全体主義が復活したかのような錯覚を覚えてしまう。

 テロは西欧や中東の専売特許ではない。日本でも軍部独裁が始まるきっかけを作った「テロの時代」があった。昭和7年(1932年)2月から3月に発生し、当時の井上大蔵大臣などが射殺された「血盟団事件」、同年5月には、軍部による反乱事件として有名な「5・15事件」、翌昭和8年には未遂に終わったものの、昭和維新を目指した「神兵隊事件」。そして、「蟹工船」の作者、小林多喜二の警察による虐殺事件を経て、昭和11年(1936年)に蔵相、内大臣を殺害した2.26事件へとつながり、軍部独裁が確立されていったのである。この後、日本政府が公式に採用している230万人(1937~45年、日中戦争から太平洋戦争で亡くなった軍人・軍属の数)、一般人80万人の犠牲を出した第二次世界大戦へと破滅の道を歩み始めたのである。

 カネ至上主義の社会、やり場のない格差社会への不満、思いやりが欠如し始めた社会、極右勢力が台頭する社会、何かおかしな空気に覆われた日本社会が、テロと無縁に存在することは出来るのだろうか。悩みは尽きない。