鈴木勝利 コラム「語りつぐもの」

鈴木勝利 コラム「語りつぐもの」

「自民党政権を支えるメディア群」 ~読者や視聴者が真実を見分ける能力を持たなければ~ vol.111
2016/06/15
「語り継ぐもの」(111)(参議院選挙特集3の③)     


面白いコメントを紹介しよう。「おおさか維新」の橋下氏は、自・公が新聞にも軽減税率を適当させることに合意したことを評して次のような意見を述べている。
【これが政治の現実。読売新聞の完勝だね。読売新聞は徹底して政権を支えてきた。その見返りで軽減税率を勝ち取った。政権批判をしてきた朝日や毎日くらい新聞への適用を批判・返上しないのかね。(2015年12月14日)】

 これほど自民党擁護を主張する読売新聞の偏向を正確に表現したコメントも珍しい。
 事実、読売新聞には首をかしげたくなるような記事が多い(政党名は当時のもの)。報道記事の中に野党批判を紛れ込ませるようにして当時の民主党批判を繰り返す。2015年9月17日の夕刊では、参院の強行採決に関して、「野党 女性議員らが通路封鎖」という見出しで、【民主党などの野党は16日夜から17日未明にかけて、安全保障関連法案の成立阻止のため、女性議員を「盾」にするなど、なりふり構わぬ抵抗を繰り広げた。】との記事が続く。あからさまな民主党非難では読者の支持を得られないと考えたのか、「なりふり構わぬ」とか「女性議員を盾にするなど」という悪意ある表現を紛れこませる。まさに「空気」を作り出そうとしているのである。
こうした日本のメディアの偏向報道に対しさすがに目に余るのであろう、テレビで分かり易い解説で人気のある池上彰氏も次のように警告を発している(「東洋経済オンライン」9月5日)。

【7月に衆議院特別委員会で採決された際、これを「強行採決」と報じた新聞と「与党単独採決」とした新聞、その夜国会前に6万人が集結した抗議デモを大きく扱った新聞と無視した新聞があるわけでしょ。各論調とは別に、あれだけの人が集まった事実は報道する価値がある。産経は、あれを安倍晋三さんに対するヘイトスピーチだって言ってますけど(笑)。
 安保法制賛成の新聞は反対意見をほとんど取り上げない。そこが反対派の新聞と大きく違う点です。読売は反対の議論を載せません。そうなると、これがはたしてきちんとした報道なのかってことになる。読売でとりわけ驚いたのは、安保法制への賛否を問う世論調査の質問文です。「日本の平和と安全を確保し、国際社会への貢献を強化するために、(中略)こうした法律の整備に賛成か反対か」って、これ、明らかに誘導ですよね。こんな聞き方されたら、それはいいことかもって思わされるような質問の仕方です。
たとえば集団的自衛権を認めるか否かを調査したとき、読売は賛成か反対かだけじゃなく、「必要最小限ならいい」という選択肢を入れたんですね。必要最小限っていう言葉自体、そもそもいいことを前提としての聞き方でしょう。そりゃ何だろうと必要最小限はいいですよね。賛成・反対の間に必要最小限を置いて、賛成と足し合わせた答えが多くなるよう誘導しているんですよ。以前はまだ客観的な聞き方をしてたはずなんですけど、去年からの読売の世論調査は明らかな誘導尋問調査ですね】。

まだまだある。3月8日の朝刊では、政府が年金財源を運用するGPIF(「語り継ぐもの」107号を参照)が、現在金融機関に委託している「株式投機」を政府自身が直接売買する動きに関連して、【国会では野党から「政権に近い企業は株を買って応援してもらえる」など、的外れな批判も相次いでいた】と解説している。

もともとGPIFが直接株の投機をすることに対して、経団連は「国の機関による民間企業支配の恐れが払拭(ふっしょく)できない」として反対し、連合も「体制整備の費用がかさみコスト削減にならない」と、連合・経団連ともに反対しているものなのである。それだけ問題があるにもかかわらず、国会で民主党が指摘すると「的外れな批判」と非難し、自民党に軍配を上げる。こうした編集方針が、国民をミスリードする「自民党政権を支える新聞」といわれる所以(ゆえん)なのである。

 また2015年9月18日の朝刊の「編集手帳」はこのように綴る。

【戦争に触れた文章をつづるたび、その少年に読んで聞かせる。感想が返ってくることはないが、いつしか身についた習わしである(中略)◆少年に読んで聞かせるのは、彼の目に触れても後ろめたくない記事であるのを確かめたいからで、まあ、自己満足の儀式に過ぎない。安全保障関連法案を取り上げるときもそうしている◆かわいい子や孫を、甥や姪を戦場に送りたいと願う日本人がどこにいる。一人も、ただの一人もいまい。「戦争反対」は廃案を望む人々の専売特許ではなく、小欄を含めて法案に理解を寄せる人々だってバリバリの戦争反対である。日米同盟をより緊密にすることで戦争の芽を遠ざけようとする法案に「戦争法案」の汚名を着せ、実りある議論に水を差したのは誰だろう(後略)】
 編集手帳はもともと個人の主観で書かれているから、安全保障関連法案を「戦争法案の汚名」を着せているとして、賛成の立場から批判する記事も許される。だから問題は読者が新聞を「中立・公正」と誤解していることにある。
 一般の記事において事実の報道といっても、事実は記者の眼を通じて、記者の主観・思想を通じて書かれるから、必ずしも公平とか公正という記事にはならない。政治問題でいえば、記者が民進党支持か自民党支持かで解説記事も違ってくるのは道理だ。これは避け難いマスメディアの宿命みたいなものだから、読者や視聴者としての私たちが真実を見分ける能力を持たなければならないのである。
立場は違うが、「儒教の毒」(PHP研究所)などの著作で有名な文学者である村松瑛氏も、保守といわれる立場から同じ指摘をしている(下記の意見は村松氏が、朝日新聞の「中国の文化大革命礼賛報道」と「慰安婦報道」を批判した「言論人 581・582号」からの抜粋である)。
【(前略)マスコミの意見が世論であるかの如き形になる。そのマスコミが、善意で、あるいは善意の皮をかぶって、意図的に情報操作を行う。世論がそれを自国に不利なものだと見破れば問題はない。しかし、情緒をくすぐり、正義感に訴えて絶えず繰り広げられるマスコミのキャンパーンに対して、常に警戒心を持ち続けるということは不可能に近い。(後略)】

 メディアが中立・公正などとは無縁といってもいいのだが、最大の問題は、政権への批判に対しては、現在の自民党がやっているように、権力をもっている方は統制できるが、メディアが政権の旗振り役になられてしまうと、国民にはマスメディアを統制することはできない関係にあることだ。

 大量に流される情報のなかかで、どれが正しく、どれが意図的なのかを見抜ける能力、その能力を持たない限り、国民はマスメディアに翻弄されて、過去の失敗、あの戦争への道を再び歩まされてしまうのである。
参議院選挙の投票日も近づいている。労働組合は組合員がマスメディアに翻弄されないよう、真実を知ってもらう活動を進めなければならない。