鈴木勝利 コラム「語りつぐもの」

鈴木勝利 コラム「語りつぐもの」

「危機に瀕する裁判員制度」 ~裁判員制度は民主主義の一翼を担う~
2016/08/15
 2016年5月で開始から7年目を迎えた日本の裁判員制度が危機に瀕している。選挙人名簿から無作為に選ばれた裁判員の4割が無断欠席しているのだ。選任手続きを無断で欠席した裁判員の割合は、制度開始の2009年には16%だったが、15年は33%と初めて3割を超え、2016年1~3月では37%にのぼった。裁判員法では、正当な理由なく欠席した人は「10万円以下の過料」と定めているが、適用された例はない。このまま無断欠席が増え続ければ、裁判に市民感覚を反映させようと導入された裁判員制度が維持できなくなると危惧されている。
 加えて、裁判員裁判を有利に運ぶため裁判員に声をかけたとして、裁判員法違反(威迫・請託)の疑いで、福岡地裁小倉支部でひらかれていた裁判の被告人(暴力団員)の知人(同じく暴力団員)2人が逮捕される事件が起こった。裁判員に恐怖を与え公正な判断をさせないことを狙ったものだという。

 話は変わるが、開拓時代のアメリカに見られる町は西部劇の格好の舞台である。町にいる善良な市民がたくみに仕組まれた悪漢の扇動によって、今まさに正義の主人公をロープで吊るし首にしようとしている。映画の観客は、こういう時に必ず登場するであろう正義の味方によって主人公が救い出されることを予想しつつ、次のドラマの展開に胸を膨らませるのである。
こうした私刑(リンチ)場面は、西部劇ではよく登場するのだが、扇動される市民の心情を追求する作品はあまりない。ことの真相を知らぬままに、扇動によって作られた虚偽を真実と思い込み、一人の人間の命を奪おうとしている自分の行為が、人間として許されるのかどうかの冷静な判断もなく、感情の赴くままに行動する姿に、言いようのない身震いを覚えるのは私だけではあるまい。私刑の恐ろしさである。

 西部劇時代から時を経て、アメリカはいまや世界に冠たる民主主義国家を標榜している。私刑から陪審員裁判制度へと、時の流れに応じて「人が人を裁く」方法も変わってきた。
日本にも裁判員制度が導入され、市民が裁判の一翼を担う時代になった。日本の裁判員制度は、裁判官と一緒になって判決を下す権限を持つが、アメリカの陪審員制度は、有罪か無罪かを決めるだけで、判決の量刑は裁判官の判断に委ねられる。
 陪審員制度の始まりはイギリスにある。ウイキペディアによれば、12世紀のイングランドの王ヘンリー2世は、土地と相続の争いを解決するために、法律上の資格のある男12人を集め、宣誓の下で土地と相続について誰が所有者か、誰が相続人かについて意見を述べさせたと言う。そして訴追された者は、神明裁判にかけられた。この神明裁判も時代の反映で、火と水を使って、正しい者には神の意志が働き、援助や奇跡が起こると考えられていた。
火と水をどのように使うのかというと、①沸騰した湯、油の中の小石や指輪を拾い上げる。②加熱した鋤(すき)の刃の上を、または加熱した鉄塊を握って一定の距離(通常9フィート)歩く。①と②では、ともに数日後に火傷が治癒しだせば無実、化膿し始めれば有罪である。③手を縛り水に沈める。沈めば無実、浮けば有罪。水は清浄であるため、穢れたものを弾くとされた。後の魔女裁判でも使用された。④聖職者から清められた乾いたパンなどを口に入れ、喉に詰まらせれば有罪。⑤原告、被告ともに十字架の横に立って腕を広げて伸ばし、先に腕を落とした方が敗訴。⑥殺害された死体に容疑者を近づけて、死体から血が吹き出れば有罪。
などというものであった。これは何もヨーロッパだけではなく、同じような方法は日本でも行われていた。神に潔白などを誓わせた後、「釜で沸かした熱湯の中に手を入れさせ、正しい者は火傷せず、罪のある者は大火傷を負う」とされるものや、「毒蛇を入れた壺に手を入れさせ、正しい者は無事である」というというように、科学的・合理的には全く無意味な方法をとっていた。
1215年のマグナ・カルタでは、同輩からなる陪審の判決によるものでなければ処罰されないという権利が宣言され、神明裁判にかわって陪審による審理が広がっていった。
初期の陪審員は時の権力者の意向に沿った有罪評決を答申するまでは監禁されることもあったが、1670年のブシェル事件と呼ばれる裁判で、有罪評決を出すことを拒んだ12人の陪審員は、食べ物や水も与えられずに2晩監禁され、それでも無罪評決を撤回しなかったため、罰金を納めるまでの間、懲役刑に処せられた。ブシェルをはじめとする4人の陪審員は罰金を納めることを拒否し、高等法院王座部の首席判事は、「陪審員は事実の認定について他からの干渉を受けない」という画期的な判断を下した。この判断によって、陪審員制度というものが、被告人にとって「過酷な刑罰からの防護壁」という重要な位置づけを与えられるようになっていく。
さて、アメリカは、植民地時代からイギリスの陪審制を受け継いでおり、憲法で陪審制を保障していた。植民地時代には検察官と裁判官はイギリスの任命で、陪審員だけがアメリカ人であったために、自国民が務める陪審員制度の重要性が強く意識されるようになる。
当初は、陪審員になることができるのは十分な資力のある白人男性に限られていたが、これも1868年に「人種による差別」が禁止され、1975年には女性の陪審員も認められるようになった。
この陪審員制度は、素人の私たちでさえも危惧しているように、時として明らかに間違った評決を下すことがある。極端な例では、アメリカで泥棒が侵入した家で転倒し怪我をしたが、家の持ち主に対し賠償を請求し泥棒が勝ってしまった。また、人種差別に関係する事件のように、陪審員は感情や偏見に左右されやすく、地域感情や歴史的経緯などの点で、「よそ者」、「嫌われ者」が不利になるという批判もあるなど、陪審員制度の短所も少なくない。
 長所として挙げられているのは、陪審員は社会(市民)の感覚を示すことができるとされていること。あるいは、陪審制は歴史的に権力の濫用に対する防護壁としての位置づけが与えられてきたことなどである。防護壁とは一般市民によるチェック機能のことである。
 長々と裁判に関係することを述べてきたが、裁判制度は民主主義と密接につながっているからである。民主主義とは、一部の人々だけで物事を決める危険を可能な限り避けるために、何重にも民意による判断の網を克服しなければならないシステムなのである。
 社会に民意が反映されなくなれば、権力者は独善に走り、まったく一部の人の意思ですべてが決められる社会になってしまう。国会で少数政党が乱立すると物事が決められなくなる。ならば多数党が誕生すれば好ましいかといえば、政策は決められてもその中身は国民全体の利益ではなく、一部の人々を利するだけの政策に陥りやすい。アベノミクスを見ればよく分かる。
「富める者が富めば、貧しい者にも自然に富が滴り落ちる(トリクルダウンする)」とする経済理論を掲げて始まったアベノミクスは、国民間の格差が拡大するだけで完全に破たんしてしまった。また、数々のスキャンダルを繰り返しても、国会の多数の力によっていつの間にか蓋をされてしまう。
裁判においても、政治においても、国民の判断のチェックが機能しなければ民主主義国家とは言えないのである。