鈴木勝利 コラム「語りつぐもの」

鈴木勝利 コラム「語りつぐもの」

「『賃上げで内需拡大』は幻想か?」 ~連合も時代の変化に対応すべき時~
2016/10/15
「語り継ぐもの」(115)                          2016年10月10日

 1960年から始まった労働組合による春闘は、紆余曲折を経ながらも日本経済の成長に大きく寄与してきた。朝鮮戦争特需によって、敗戦の荒廃から復興の土台ができた日本経済は、一方で労働協約の締結(1950年以降、続々と締結される)による安定した労使関係のもと、その後の高度成長の足掛かりをつかんだ。

 労働組合運動の側面からいえば、単独の組合が孤立した交渉をするよりも、多くの組合が同時に賃金引き上げ交渉に臨むことが効果をもたらすと考えられていた。また経済的側面からは、賃金の引き上げによって「モノ」を買うようになる。「モノ」が売れれば企業活動も活発化し、次の賃金の引き上げを可能にする条件が整っていく。「賃上げ→内需拡大→企業業績の向上→経済成長→賃金引き上げ原資の確保→賃上げ」とういう循環が始まったのである。消費者である私たちは、生活の向上を旗印に電化製品を買い、車を買い、家庭に「モノ」を充足させていくことになる。国民の消費意欲は、1954年の皇太子(現在の平成天皇)ご成婚を機に、「三種の神器」と言われた白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫の購入に火がつき、1964年の東京オリンピックでは3C(カー、カラーテレビ、クーラー)ブームが到来、「いざなぎ景気」をけん引した。

 日本経済が高度成長といわれた時期は、1955年(昭和30年)に始まり、1973年(昭和48年)
までの実に18年間に及ぶ。この18年間に、日本は年平均10%以上の経済成長を達成した。敗戦の荒廃から立ち直っての高度成長の実現によって、日本経済は世界から「奇跡の復興」と称賛された。

 労働組合が取り組んだ「春闘」は、このようにして「賃上げによる内需拡大」をもたらし、他の要因とも合わせ日本の高度成長の一翼を担ったのである。

 このことが、「賃上げによる内需拡大」という図式を作ってきたのである。

 その後、オイルショック(1973年に第一次、1979年に第二次。ピークは1980年)、日米貿易摩擦、プラザ合意(1985年)による円高不況、バブル崩壊(1991年~)、アジア通貨危機(1997年にタイから始まる)、リーマンショック(2008年)などの経済変動を経て今日に至っている。

 さてここで、この「賃上げによる内需拡大」の循環を成し遂げた背景について分析してみなければならない。それこそが労働組合の「春闘」を可能にした経済的条件と言えるからである。
それらの条件は必ずしも連動したものではないが、いくつかの条件が複合的に影響を与えあって「春闘」を可能にしてきたのである。

 その経済的条件とは、
①経済成長率(経済が成長していれば成長に見合った生活改善が求められる)。
②旺盛な購買意欲(可処分所得が増えれば、人間の物質的欲求にもとづいて消費行動を強めていく)。
③物価動向(生活の維持や向上のためには、物価上昇に対応する賃金の引き上げが必要になる)。
④労働市場の動向(労働力の需給関係が影響する。失業者が多い時は組合にマイナス効果をもたらし、少ない時は組合にプラスの効果をもたらす)。
⑤産業・企業業績の動向(業績がよければ企業の支払い能力が高まる。また、将来を見通して伸びる展望があるか否かが経営側の判断に影響を与える)。
⑥日本経済の環境(外部環境の変化により高度成長、安定成長、マイナス成長と、それぞれによって交渉に及ぼす影響力が異なる)。
などがあげられる。

 これらの条件が労働組合側に有利な状況であることによって、「大幅賃上げ」が実現できたのである。春闘の歴史はそれを明確に指し示している。たとえば、①の経済は成長を続け、それは当然のように⑤の企業業績と連動し、②の国民の消費意欲が高ければ、賃上げによる内需拡大が期待される。そして③物価上昇が高ければ、組合は物価をクリアする賃上げを要求する。④労働市場の動向、すなわち失業者が少なければ、俗に言う「労働市場では売り手市場」となるので、企業は人材確保のためには組合要求を無視できなくなる。⑥国の経済を左右する環境条件(円高などの外部要因、グローバル経済の到来など)によって交渉は左右されるが、高度成長が証明しているように経済環境は順調であった。
 ところが、経済環境の変化によって企業業績は産業間・企業間にバラツキが生まれ、グローバル化も進展し、市場競争に立ち遅れた企業は自然淘汰されるようになった。

 しかしそれよりも決定的な変化は、人口減少である。人口の減少は、すなわち消費者の絶対数が減ることであり、全体の内需は拡大しなくなる。さらに追い打ちをかけるように、政府は国の予算において社会保障にしわ寄せをさせ、老後(定年後)の年金や医療も自助努力が必要だと声高に主張している。人々は将来のために「お金を蓄えざるを得ない」状況に追い込まれている。
 また、国民の意識は、今までの「モノ」さえ満たせれば豊かな生活を営めるという「価値観」に疑問を持ち始めている。ある程度の「モノ」を持っている生活の中で、モノさえ持てば本当にこれが人間の幸せなのかと自問自答を繰り返すようになった。やみくもにモノを買い続けるのではなく、せいぜい買い替えの消費に抑えようとしている。「モノ」から「心」の時代になったといわれる。

 国民が幸せと感じている国のトップに君臨するブータンやキューバの生活を見つめなおしているし、4月に来日した「世界一貧しい大統領」、ウルグアイの前大統領ムヒカ氏の「日本人へのメッセージ」を涙して聞き入る学生たちがいる。

「貧乏とは少ししか持っていないことではなく、限りなく多くを必要とし、もっともっとと欲しがることである。(中略)もっと働くため、もっと売るための使い捨て社会なのです。私たちは発展するために生まれてきたわけではありません。幸せになるために地球にやってきたのです」
「現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです」
「残酷な競争で成り立つ消費主義社会で『みんなの世界を良くしていこう』というような共存共栄な議論はできるのでしょうか?」
 アメリカの心理学者マズローはいう。人間の欲望とは、①生きていくために食べたい、寝たいなどの本能的な欲求から、②雨風をしのぐ家、健康など安全・安心な暮らしがしたい欲求へ。そしてこれらの物質的欲求が満たされると、次には③集団に属したり、仲間が欲しくなったりする社会的欲求を求め、さらに④他者から認められたい、尊敬されたいという欲求である尊厳欲求(承認欲求)が芽生え、最後には⑤自分の能力を引き出し創造的活動がしたいなど「自己実現欲求」へ昇華すると分析している。

 まさしく人々の意識は、今までの「物質的豊かさ」から「精神的充足」を求めるようになっている。東日本大震災を経験して、「絆」の重要性に気付いたのもその一つの表れであろう。

 社会にお金をジャブジャブ流せば景気は良くなると錯覚しているアベノミクスも、「賃上げで内需拡大」を唱える労働組合の賃上げ闘争も、過去の成長神話にすがる幻想かもしれない。その中で唯一の救いといえるのは、賃上げの根拠として「人への投資」を掲げる組合も出始めていることであろう。いずれにしても、過去の成長神話に代わって、「生き甲斐」や「働き甲斐」を求める時代になって、どのようにして国民に「働く場所」を提供できるのか、その回答が求められる時代を迎えたのである。