鈴木勝利の「つれづれ日記」

コラム

vol.17 思い出すのは「一億総白痴化」
鈴木 勝利 顧問
2009/05/15
 日本で働いて賃金を得て生活する雇用労働者、俗にいえばサラリーマンは約7千万人いる。ゴールデンウイークの初日、5月1日に厚生労働省が発表した3月の有効求人倍率は0.52倍を記録した。有効求人倍率とは、働きたい労働者1(求職者1)に対して企業が採用したい労働者数(求職者数)の比率を表すものだ。有効求人倍率が1になれば、求職者が100人いれば、採用者数も100人いるということを意味する。数字の上からだけでいえば失業者は出ないということになるが、双方が希望する職種や条件が合わなければミスマッチになり失業ゼロとはならない。有効求人倍率が0.52ということは、就職希望者二人のうち一人しか就職できないのだ。

 日本はおかしな国で、有効求人倍率の統計を担当するのは厚生労働省で、失業率を把握するのは総務省の管轄になっている。この総務省が同日に発表した3月の完全失業率は4.8%、7千万人のうち335万人が失業していることになる。この数字は2005年10月以来、実に3年5ヵ月ぶりに300万人を超えたものだ。

 内訳を見ると、失業率は女性(4.7%)よりも男性(4.9%)のほうが高く、若年労働者(15歳から24歳まで)は平均を上回っている。また、一年以上の長期失業者も増えており、数字に表れる以上に「質が問題」の労働市場になっている。たとえば、若年者層の失業率が高いと、ご存知のように日本企業は伝統的に新入社員には社内教育を行うが、教育内容は幅広いものの、挨拶や電話の応対、職場の人間関係など初歩的な社会人教育が含まれている。この大切な時期に就職できない人が、五年後、十年後には社会の中心的な年齢に達する。社会人として基礎的な教育を受けていない人が中心になった社会がどうなってしまうのか、若年者層の高い失業率は、失業という当面の問題を孕むのはもちろん、将来の社会のあり方にまで影響を与えるので極めて深刻な問題なのである。

 また、一年以上の長期失業者の存在は、日本のように一人の収入で家族全体を養う賃金システム(賃金の世帯主義)の中では、本人の生活だけではなく家族全員の生活を破綻させる。家族は生活を支えるために、学生の子どもは中途退学して就職しなければならなくなるし、配偶者も同様に働き口を探す。採用は新規学校卒業者中心の日本では、中途退学者の就職をより難しくしている。また配偶者も同様で、辛うじて見つけた働き口はどうしてもパート労働や派遣労働にならざるを得ない。かくして非正規社員は増加を続ける一方、長期失業者本人は年齢を重ねてますます就職口を見つけられず、最悪のケースだと、好むと好まざるとに拘わらずホームレスにならざるを得ない。

 幸いにも、今就職している人々には理解され難いのだが、失業者一人ひとりの気持ちを慮ったとき、その心情や察するに余りある。自分のこと以外に目を瞑るのはたやすいが、いつか自分にも降りかかる可能性を持っているのが失業なのである。だからこそ、ワークシェアリングに思いをいたさなければならない時代といわれるのである。

 そんな労働市場の問題を抱えていながら世はまさに浮ついた社会といっていいのか、「このままでは」と危機感を持つ人も多い。

 浮ついた社会という言葉で思い出すのが、評論家の大宅壮一(1900.9.13~1970.11.22)の言葉だ。氏は新聞、雑誌、ラジオ、テレビに欠かせない地位を占め、「マスコミ界の四冠王」とまで言われた。死後には「大宅壮一ノンフィクション賞」が設けられ今もなお、その功績が讃えられている。氏は多くの名言をはいたが、中でも1959年に当時のテレビ番組の低俗さを「一億総白痴化」と嘆いた言葉は流行語にもなった。

 最近のテレビ番組を通して気になるのは「お笑い芸人」の露出である。もちろんお腹を抱えて笑っている自分もいるのだが、この深刻な不況の中でなんとも空々しい思いに至るときもある。有名芸人にでもなればかなり高額な出演料になっているらしいが、時に名も知らない芸人の大して面白くない芸に辟易していると、不景気による企業広告費の縮小に対応するため、番組の製作者が高額な芸人よりも出演料の安いまだ売れていない芸人を多用しているからだという。

 以前、NHKの番組審議委員を務めていたとき、タレントの爆笑問題を起用した番組をめぐって、各委員から賛否両論の意見が出されたことがあった。タレントだからといってその名のとおり「才能」の有無が問題になったわけではなく、訪問した相手に対する彼らの礼儀についての指摘が多かった。もちろんそのくらいは、という意見もないわけではなかったが、実はこの「そのくらい」というのが曲者で、わずかな変化が「そのくらいなら」と許容されていくうちに、実に「大きな変化」になって後戻りがきかなくなることが多い。多かれ少なかれ世の中の変化の大半はそんなものだが、「一億総白痴化」も気がついたらそうなってしまっていたということか。番組制作者にとって芸人タレントを起用すれば、あまり苦労しないで番組を作れる。安易に流れているうちに「とんでもないことにならなければ」と気をもんだのももう昔話だ。

 かつて、旧ソ連など共産主義国家の娯楽は一様にサーカスなどに集中していた。しかも、入場料は格安で国民にとって唯一の楽しみでさえあった。独裁を旨とする共産党にとって、国民の鬱積した不満を抑えるために、いわば娯楽をはけ口として国営化し一党独裁を維持していたのである。こうした例を持ち出すまでもなく、人間が生活していく上で緊張の連続には耐えられないから、何も考えずにただ笑って済ませられる「芸」は必要なのである。しかし、どこのチャンネルをひねっても騒々しい番組が氾濫するのは少し考えもののような気がする。今から50年も前に大宅氏が喝破した「一億総白痴化」の現象は、今もその度合いを強めながらさらに「白痴化」を推し進めているのかもしれない。

 非正規社員が取り残され、失業率も上がっていく中で、私たちが、ただただ無為に過ごしているうちに、とんでもない日本になっているのではないか、それが杞憂で終わることを願わずにはいられない。