日本経済全体が落ち込んでいる中で、一部企業の好業績がマスメディアをにぎわせている。前号で失業率について述べたが、このままいくと来年末には6%に達する可能性もあるという。それだけに元気のよい企業として取り上げられるのは当然なのだが、それでも喜んでばかりはいられないようだ。好業績企業がやはり特別な業種に偏っていることであり、また好業績が雇用状況に寄与しているとは言い難いからである。固有名詞を出して恐縮だが、たとえばユニクロと任天堂のゲーム、国民に安さと娯楽を与える意味では価値を持つが、生産は中国が主体で国内の雇用を増やしているわけではない。あるいはディズニーランドのオリエンタルランド、これも娯楽に大きく寄与しているが、ここ数年、正規社員は増えておらず、もっぱら非正規社員が増加しているだけだ。肝心の雇用状況への寄与が少なければ、「一企業が儲かっているだけ」で終わってしまうのだ。もちろん、不況下での企業努力は大いに評価されるし、消沈しがちな社会の雰囲気を高める効果は計り知れない。
失業率が高止まりの日本においては、必要なのは雇用者数を劇的に増大させる産業の創出や回復なのである。これ以上景気の落ち込みはないという確証がないまま、日々無策で過ごす政治への不信はぬぐい難い。
私たち国民一人ひとりも同じようだ。デフレによって価格が下がることを歓迎する。デフレは消費者に優しい現象だ。職場の宴会でも、あるいは友人との会食でも、「食べ放題・飲み放題○○円」の看板に大喜びする。喜んでいるうちに、時には「安かろう・悪かろう」の罠にはまり、「産地偽装食品」に振り回され、安さのために従業員の処遇を犠牲にしていることに気づくとき、喜んでばかりはいられない自分を発見する。
デフレによって価格が下がれば、企業の売り上げは落ち込む。売り上げ減を補えなければ企業を縮小せざるを得ない。かくて従業員のリストラの危険が増大するのである。デフレが雇用に悪影響を与え、インフレは現金生活者に生活水準の低下を強いる。どちらにしても物価の変動によって一番犠牲になるのは現金で生活している私たち労働者なのである。
タクシーのメーター料金を上げる際に、業界が必ず言うことは「従業員の処遇改善に使う」であるが、今日まで、料金を値上げした後に従業員の賃金を引き上げた話は聞いたことはない。もちろん、労働界全体の賃金引上げの時期にはいささかでも相場を反映したのであろうが。
何事につけても、国民の中で最大の比率を占める労働者に皺寄せが行くシステムになっていると感じるのは僻みなのだろうか。
今回の金融危機についてアメリカ悪者説が有力だが本当なのだろうか。もちろん、国際競争力をなくした製造業に代わって「経済で世界を支配できるものは」、と考えた末の「金融で世界を支配する国策」が根本にある以上、アメリカが経済危機の元凶であることに疑いはない。しかし、いくらアメリカが消費で世界をリードしていたにしても、いくら強力な軍事力を有しているにしても、アメリカの一存で世界中が金融マネーにまみれるとは考えにくい。
かつて日本はアメリカに対し、大量に買い入れている「アメリカ国債」の売却をほのめかしたことがある。アメリカの国家財政は日本と同じように借金経営で維持されている。アメリカは借金をするために借用書(国債)を発行し、日本は国債を大量に買って保有している。日本が保有しているアメリカ国債を売りに出せば、アメリカは財政破綻することは目に見えている。日本もまた実際にアメリカ国債を売るとなると、手持ちの国債が価値を失うというリスクを負う。だから売るに売れない理由もあるのだが、アメリカにとって日本のこうした態度は脅威だ。日本からの要求は輸出しやすいように円高から円安に修正してほしいということだ。アメリカは日本からの輸出製品を買いやすくするためにドル高・円安に誘導する政策を採らざるを得ない。貿易の赤字垂れ流しによって世界中にドルがあふれかえることになる。あふれたドルは行き場を失ってアメリカのマネーゲームに投資される。
ところで、アメリカ国債を保有しているということは、このことでも分かるようにアメリカとの交渉の切り札にもできる。しかし、今、世界でアメリカの国債を一番保有しているのは日本ではなく中国である。軍事力だけでなく、アメリカにとっていまや中国は日本にとって変わる経済的パートナーになりつつある。軍事力と経済で両国が切っても切れない関係になりつつあるとき、日本の国際政治・外交のあり方をさらに難しくしている。浅学な私などには到底分かりようはないが、ただ一つ、今までのようにアメリカ追随のみの外交ではすまなくなってきたことだけは確かなようだ。
話を経済に戻そう。こつこつと物を作って経済を支えることよりも、右から左へお金を動かすことで利益を得られ、しかも「一攫千金」や「濡れ手に粟」の言葉どおり、大金を得た一部の人々のニュースが流されるたびに国民の欲望は刺激され、「自分も」の囁きに抵抗できずに自らもマネーゲームに参加していく。新聞には株式や投資を中心にしたマネーゲームへ誘導する記事があふれかえる。かつて「失われた十年」のバブル崩壊前も、同じように「金儲け」の記事で紙面は埋め尽くされていた。そしてバブル経済が崩壊した後の反省では、必ずといってもいいくらい「行き過ぎたマネーゲーム」が取り上げられた。あれから、わずか十数年、社会や経済は全く同じ状態、同じ雰囲気をへて、大多数の国民が被害を受け、一部の少数者はほくそ笑んでいる。
世の中、ハイリスク・ハイリターンの定理みたいなものがある。ローリスク・ハイリターンはないのである。ハイリターンの恩恵は黙って享受し、ハイリスクには社会の救済を求めることは許されない。個々のケースで見なければならないが、ハイリスクでホームレスになっても救いの手は得られないだろう。それこそ自己責任なのだ。でも社会というのはそうは行かない。昔、何があったにしても、現実に飢え死にしそうな人を見殺しにはできないのだ。社会は救済しなければならない。
世の中は以外に不条理でその時には自分で選んでおきながら、結果が思わしくないと他人や社会のせいにしがちだ。アメリカによるカジノ経済も、アメリカだけの責任ではない。日本や中国も、多くの国がアメリカの赤字垂れ流しの消費によって経済的恩恵を受け、あるいはまた、カジノに自らも参加して一儲けをたくらみ、日本国民も、外国為替の取引に参加して栄耀栄華の生活を夢見ようとした。こうした様を貧困にあえぐ人や、元手のない人々は指をくわえながら見ていただけだ。そしてバブルがはじけて危機が訪れたとき、失業や社会保障の低下など最も被害を受けるのがカジノに参加していなかった人々なのだ。
失業率が高止まりの日本においては、必要なのは雇用者数を劇的に増大させる産業の創出や回復なのである。これ以上景気の落ち込みはないという確証がないまま、日々無策で過ごす政治への不信はぬぐい難い。
私たち国民一人ひとりも同じようだ。デフレによって価格が下がることを歓迎する。デフレは消費者に優しい現象だ。職場の宴会でも、あるいは友人との会食でも、「食べ放題・飲み放題○○円」の看板に大喜びする。喜んでいるうちに、時には「安かろう・悪かろう」の罠にはまり、「産地偽装食品」に振り回され、安さのために従業員の処遇を犠牲にしていることに気づくとき、喜んでばかりはいられない自分を発見する。
デフレによって価格が下がれば、企業の売り上げは落ち込む。売り上げ減を補えなければ企業を縮小せざるを得ない。かくて従業員のリストラの危険が増大するのである。デフレが雇用に悪影響を与え、インフレは現金生活者に生活水準の低下を強いる。どちらにしても物価の変動によって一番犠牲になるのは現金で生活している私たち労働者なのである。
タクシーのメーター料金を上げる際に、業界が必ず言うことは「従業員の処遇改善に使う」であるが、今日まで、料金を値上げした後に従業員の賃金を引き上げた話は聞いたことはない。もちろん、労働界全体の賃金引上げの時期にはいささかでも相場を反映したのであろうが。
何事につけても、国民の中で最大の比率を占める労働者に皺寄せが行くシステムになっていると感じるのは僻みなのだろうか。
今回の金融危機についてアメリカ悪者説が有力だが本当なのだろうか。もちろん、国際競争力をなくした製造業に代わって「経済で世界を支配できるものは」、と考えた末の「金融で世界を支配する国策」が根本にある以上、アメリカが経済危機の元凶であることに疑いはない。しかし、いくらアメリカが消費で世界をリードしていたにしても、いくら強力な軍事力を有しているにしても、アメリカの一存で世界中が金融マネーにまみれるとは考えにくい。
かつて日本はアメリカに対し、大量に買い入れている「アメリカ国債」の売却をほのめかしたことがある。アメリカの国家財政は日本と同じように借金経営で維持されている。アメリカは借金をするために借用書(国債)を発行し、日本は国債を大量に買って保有している。日本が保有しているアメリカ国債を売りに出せば、アメリカは財政破綻することは目に見えている。日本もまた実際にアメリカ国債を売るとなると、手持ちの国債が価値を失うというリスクを負う。だから売るに売れない理由もあるのだが、アメリカにとって日本のこうした態度は脅威だ。日本からの要求は輸出しやすいように円高から円安に修正してほしいということだ。アメリカは日本からの輸出製品を買いやすくするためにドル高・円安に誘導する政策を採らざるを得ない。貿易の赤字垂れ流しによって世界中にドルがあふれかえることになる。あふれたドルは行き場を失ってアメリカのマネーゲームに投資される。
ところで、アメリカ国債を保有しているということは、このことでも分かるようにアメリカとの交渉の切り札にもできる。しかし、今、世界でアメリカの国債を一番保有しているのは日本ではなく中国である。軍事力だけでなく、アメリカにとっていまや中国は日本にとって変わる経済的パートナーになりつつある。軍事力と経済で両国が切っても切れない関係になりつつあるとき、日本の国際政治・外交のあり方をさらに難しくしている。浅学な私などには到底分かりようはないが、ただ一つ、今までのようにアメリカ追随のみの外交ではすまなくなってきたことだけは確かなようだ。
話を経済に戻そう。こつこつと物を作って経済を支えることよりも、右から左へお金を動かすことで利益を得られ、しかも「一攫千金」や「濡れ手に粟」の言葉どおり、大金を得た一部の人々のニュースが流されるたびに国民の欲望は刺激され、「自分も」の囁きに抵抗できずに自らもマネーゲームに参加していく。新聞には株式や投資を中心にしたマネーゲームへ誘導する記事があふれかえる。かつて「失われた十年」のバブル崩壊前も、同じように「金儲け」の記事で紙面は埋め尽くされていた。そしてバブル経済が崩壊した後の反省では、必ずといってもいいくらい「行き過ぎたマネーゲーム」が取り上げられた。あれから、わずか十数年、社会や経済は全く同じ状態、同じ雰囲気をへて、大多数の国民が被害を受け、一部の少数者はほくそ笑んでいる。
世の中、ハイリスク・ハイリターンの定理みたいなものがある。ローリスク・ハイリターンはないのである。ハイリターンの恩恵は黙って享受し、ハイリスクには社会の救済を求めることは許されない。個々のケースで見なければならないが、ハイリスクでホームレスになっても救いの手は得られないだろう。それこそ自己責任なのだ。でも社会というのはそうは行かない。昔、何があったにしても、現実に飢え死にしそうな人を見殺しにはできないのだ。社会は救済しなければならない。
世の中は以外に不条理でその時には自分で選んでおきながら、結果が思わしくないと他人や社会のせいにしがちだ。アメリカによるカジノ経済も、アメリカだけの責任ではない。日本や中国も、多くの国がアメリカの赤字垂れ流しの消費によって経済的恩恵を受け、あるいはまた、カジノに自らも参加して一儲けをたくらみ、日本国民も、外国為替の取引に参加して栄耀栄華の生活を夢見ようとした。こうした様を貧困にあえぐ人や、元手のない人々は指をくわえながら見ていただけだ。そしてバブルがはじけて危機が訪れたとき、失業や社会保障の低下など最も被害を受けるのがカジノに参加していなかった人々なのだ。



