鈴木勝利の「つれづれ日記」

コラム

vol.21 人生、希望がかなうのは何人?
鈴木 勝利 顧問
2009/09/15
 派遣労働者が世間の話題になるようになってから、自分でやりたい仕事についている人がどのくらいいるのかがニュースになっている。ある新聞社の調査によれば就職している人の約40%が希望通りの仕事についているという。この数字には些か違和感がある。もし自分に同じ調査が来たとすれば、私自身も現在の仕事にやりがいを感じているし、満足していると答えるに違いない。でも入社したときからそう思っていたわけはない。当時この会社に就職したいと確信して入社したわけでもないし、希望通りの仕事(職種)をしてきたわけでもない。入社して配属が決められ、与えられた仕事を無我夢中にこなしていくうちに、仕事にやりがいを見出し、今を迎えているのである。

 およそ社会の中で、学生時代から自分でやりたいと思っている仕事についている人はそんなにいるとは思えないのである。極端な例をあげれば、スポーツ選手でも、芸能人でも、多くの希望者の中から才能や時の運に恵まれた人のみが、希望通りの仕事につけたということで、夢かなわずという人がその何倍も何十倍もいるのだ。むしろ、希望がかなった人のほうがはるかに少ないのが現実だろう。

 スポーツや芸能人を例えに出すと、それは別だといわれそうだが、普通のサラリーマンでも同じだ。IT技術者や芸術分野の人、職人や匠の世界の分野のように、特別の技能・技量や才能、専門的知識を駆使できる場合であっても、全部が全部希望通りとは言えないだろう。多少の行き違いや思い違い、見掛け倒し、隣の芝が青く見えるのと同じように、仕事についてみたら違うことの方が自然なのではないだろうか。

 就職を最優先し、まず仕事について、仕事をする中で自らが働き甲斐を見出していくのが一般的のはずだ。世の中は変わったのだから、そんな考えは古いとか、若い人の意識とはズレているとも言われるが、むしろズレているのは、人生を甘く考えている人々の方ではないのかとも思ったりする。

 人生にはさまざまな格言とも言うべき至言がある。思い出すままに羅列すれば、「年五十にして四十九年の非あり」のように人生は反省の連続とも言えるし、「自分には天与の才能はないから努力するしかない。短期間に巨利をつかむとろくなことはない。一日に千里走る馬に乗る者は一日に五十里しか走らない馬にいらだつだろうが、五十里の馬が二百日歩み続ければ一万里の彼方に到達する」を戒めの言葉と噛み締める。

 時には、「無益なことでも必ずしも無意味ではない」と言い聞かせ、「苦しみから逃れようとするから、かえって苦しみに捉えられる」、「幸運などというものはわずかなもので、めぐり合うのは苦難ばかりなのだが、それらの苦難をことごとく幸運につくりかえる能力があるか否かである」、「報われる苦労というものはたかが知れてる。報われぬ苦労を積み重ねてこそ、希少の成功をつかめる」と考えようと努力したりもする。
人間関係に疲れれば、「人の住む街や村からはなれて誰もいない野で独居する者はかえって孤独を感じない。人の中にいればこそ孤独は深まる。しかし、その孤独を慰めてくれるのも、人なのである」、そして「仕事においても、私生活においても、家庭においても、人の助けを得ることの大切さを学ぶ」との言葉からは、他人の大切さを心に刻む。

 人間関係の苦労は尽きない。「騙そうとした者が騙されたことを怒り、恨む。人とはどこまでいっても理解しがたいものだ。己の欲望の大きさゆえに自滅したことがわからず、復讐を唱える。その復讐さえ、形を変えた欲望に見える。反省を忘れた彼らは、自滅を繰り返すことになろう」と自らを戒めることもあるし、「人は失うまい、守ろうとすると、薄汚いことを考えるようになる」し、「本当に喜ぶべきことを喜び、怒るべきことを怒る者は少なく、喜ぶべきでないのに喜び、怒るべきでないのに怒る者は実に多い」ことも実感してきた。
「自分を冷静に観るのは良いが萎縮してはならない。人はめぐり合う人によって大きくもなり小さくもなる。大きくなりたかったら、自分がより大きな人にぶつかってゆかなければならない。己の形を捨てるのである。形を持ったままぶつかっていけば、その形は毀れる。が、形のない者は、毀れるものがないのであるから、恐れることはない」といわれれば、人生一種の悟りの心境が必要かと思えたりもする。

 いずれにしても、「人は自分のままでありたい。それは願望とは言えぬほど、そこはかとないものでありながら、実は最大の欲望である」から、自分のままでありたいからといって、希望通りの仕事に就けるなどというのは甘さ以外なにものでもないのだ。

 派遣労働者問題で気になるのは、自分の希望通りの仕事がないから派遣を選択し、気がついたら派遣労働にどっぷり使っていて、転換が無理な年齢に達してどうしようもないケースも散見されることだ。だからといって、今日の理不尽な企業の手法をかばうつもりもないが、一つ一つのケースを冷静に分析した上で、非は非としながら改善すべきことを求めていく姿勢はもっていなければならない。