先日わがふるさとの電機連合で、メンタルヘルスを目的とした「ハートフルセンター」開設10年周年の記念シンポジュウムが開かれた。この活動を始めてから10年の歳月を経たということで、設立に多少のかかわりを持った一人として感無量の思いで出席させて頂いた。
当時、世間では必ずしもメンタルヘルスなる言葉さえ一般的ではなく、ましてや労働組合が取り組む運動なのかと疑問の声も多い時期であった。もともと労働組合には、職場で何か問題が起きると、それをめぐっての取り組みにいろいろな意見が出される傾向が強い。よく言えば民主主義の証しということなのだが、必ずしもそうではなく、運動に対する思想上の相違に根ざしている節が垣間見られる。端的に結論だけいえば、職場にある現象が起こると、「それによって影響を受ける組合員の立場を最優先にしてまず解決に取り組む」のか、あるいは、「その現象を引き起こした根本的原因を解明するのが先だ」という二つの考え方である。このメンタルヘルス活動についても同様で、時代の変化を予見すれば、組合員の生活にとってメンタルヘルス活動は重要な要素になるには間違いないから、全国津々浦々にネットワークが張り巡らされ、組合員が直接カウンセラーに相談できる体制が最も望ましいということになる。その意味から取組む組織としては地域ごとに組織を持つナショナルセンターの「連合」が最もふさわしいと考え、当時誰彼となく関係者に要請をしたものである。反応はさまざまだ。最も驚いたのは「組合員の悩みの原因は会社の仕事にあるのだから、その原因を解決するのが組合運動の筋だ」と、トイレの脱臭剤のコマーシャル「もとを断たなきゃダメ」もどきの意見を聞いたときだ。結局は、こうした議論をしている間にも、悩んでいる組合員は救いの手を待っているので連合で取り組んでもらうことを断念し、電機連合単独での取り組みを決断したのである。
しかし、メンタルヘルスといえば今は一般的なテーマになったが、その根本にある組合運動のあり方と密接不可分な関係にある。むしろ、根本から伸びる枝葉の一つであって、枝葉は同じようにさまざまな運動にも転換を迫っている。
心理学の世界では常識といわれるマズロー(アメリカの心理学者)の「動機付けの基本原則」によれば、人間とは、生存に汲々としているじきには「生きるため」に全力を挙げる。生きることに心配がなくなると、「よりよい」ものを求めるようになる。食べ物で言えば、「よりおいしいもの」を「より多く食べたい」ということだ。ここまではいわば「もの」自体と、物の質と量が動機付けの要素だ。それが満たされると、次は「もの」に代わって精神的な価値が重要性を持つようになる。会社で、自分は「必要とされているのか、認められているのか」という自分の存在価値や、他人からはどのように見られているのか、などなど。家庭でも同じだ。家族に必要と感じてもらえなければ家庭には居づらくなる。個の確立とか自立とか多様性とか、今は自分という一個の存在が意味を持つ時代だ。
しかし、社会とは一人では生きられない。何事も社会とのかかわりを持たなければ生きていけないのだ。時代がどのように変わろうとも、他人とのかかわりを抜きに人生は送れない。人間関係の重要さはいささかも変わらない。人間関係が苦手なら引き込むしかない。こうして悩み深き人々が生まれる。組合員も例外ではない。その人々に手を差し伸べるのは組合しかない。そう考えれば組合運動としてのメンタルヘルス活動の重要さがわかるはずである。
人間の意識の変化、それは組合員の意識の変化でもある。貧しい時代の組合運動は、「モノ」のために全力を挙げた。戦後間もない時代の組合のスローガンは、「食える賃金」、一時金闘争は「越年資金闘争」と称した。当時の組合員の意識に沿った運動をしていたのである。それはやがて、「ヨーロッパ並みの賃金」に変わり、「より良いものをより多く求め」てきた。高度成長にやっと購入したテレビを通じて流されるアメリカのホームドラマを見て、家庭で使われている冷蔵庫や掃除機を自分も持てたらどんなに幸せかと夢見、やっと持てるようになってフッと思い返す。クーラーも自動車もカラーテレビも持つことができた。「でもチョッと待てよ」、これが夢にまで見た幸せな人生なのか、何かが足りない、何かが違う、人々は立ち止まって考えている。自分には、そのような「モノ」よりも、もっと大事なものがあるのではないのか。
そんな意識に沿った組合運動とは。組合員は、長年の惰性のごとく「カネ」と「モノ」のみに目を奪われる運動を求めてはいない。では、連合が掲げた「真の豊かさ」の冠詞「真の」運動とは何なのか。多くの組合の方針で見られる「モノから心へ」の運動とは。
「動機付けの基本原則」が根本だとすれば、組合員一人ひとりの「働き甲斐」や「生き甲斐」に、組合運動はどのように応えるのか。精神的価値の充足を求める意識にどのような運動で対応するのか。それらの運動は、根元から発した枝葉であり、すべての枝葉(具体的活動)を見直す時期を迎えてはいないだろうか。
ハートフルセンターの活動もその一枚の枝葉なのである。以来10年、何人の組合員が利用し心をすくわれてきたことか。よく組合運動の原点は、助け合いとしての共済事業と職場での世話役活動にありといわれる。後者の世話役活動で言えば、もし職場の委員ひとり一人、全員がカウンセラーに匹敵する活動ができたら、組合員からの信頼はいうまでもないだろう。専門的な知識や能力を必要とするカウンセラーは、そんなに単純なものではないことがわかっていても、組合リーダーの夢として今も見続けているのである。
当時、世間では必ずしもメンタルヘルスなる言葉さえ一般的ではなく、ましてや労働組合が取り組む運動なのかと疑問の声も多い時期であった。もともと労働組合には、職場で何か問題が起きると、それをめぐっての取り組みにいろいろな意見が出される傾向が強い。よく言えば民主主義の証しということなのだが、必ずしもそうではなく、運動に対する思想上の相違に根ざしている節が垣間見られる。端的に結論だけいえば、職場にある現象が起こると、「それによって影響を受ける組合員の立場を最優先にしてまず解決に取り組む」のか、あるいは、「その現象を引き起こした根本的原因を解明するのが先だ」という二つの考え方である。このメンタルヘルス活動についても同様で、時代の変化を予見すれば、組合員の生活にとってメンタルヘルス活動は重要な要素になるには間違いないから、全国津々浦々にネットワークが張り巡らされ、組合員が直接カウンセラーに相談できる体制が最も望ましいということになる。その意味から取組む組織としては地域ごとに組織を持つナショナルセンターの「連合」が最もふさわしいと考え、当時誰彼となく関係者に要請をしたものである。反応はさまざまだ。最も驚いたのは「組合員の悩みの原因は会社の仕事にあるのだから、その原因を解決するのが組合運動の筋だ」と、トイレの脱臭剤のコマーシャル「もとを断たなきゃダメ」もどきの意見を聞いたときだ。結局は、こうした議論をしている間にも、悩んでいる組合員は救いの手を待っているので連合で取り組んでもらうことを断念し、電機連合単独での取り組みを決断したのである。
しかし、メンタルヘルスといえば今は一般的なテーマになったが、その根本にある組合運動のあり方と密接不可分な関係にある。むしろ、根本から伸びる枝葉の一つであって、枝葉は同じようにさまざまな運動にも転換を迫っている。
心理学の世界では常識といわれるマズロー(アメリカの心理学者)の「動機付けの基本原則」によれば、人間とは、生存に汲々としているじきには「生きるため」に全力を挙げる。生きることに心配がなくなると、「よりよい」ものを求めるようになる。食べ物で言えば、「よりおいしいもの」を「より多く食べたい」ということだ。ここまではいわば「もの」自体と、物の質と量が動機付けの要素だ。それが満たされると、次は「もの」に代わって精神的な価値が重要性を持つようになる。会社で、自分は「必要とされているのか、認められているのか」という自分の存在価値や、他人からはどのように見られているのか、などなど。家庭でも同じだ。家族に必要と感じてもらえなければ家庭には居づらくなる。個の確立とか自立とか多様性とか、今は自分という一個の存在が意味を持つ時代だ。
しかし、社会とは一人では生きられない。何事も社会とのかかわりを持たなければ生きていけないのだ。時代がどのように変わろうとも、他人とのかかわりを抜きに人生は送れない。人間関係の重要さはいささかも変わらない。人間関係が苦手なら引き込むしかない。こうして悩み深き人々が生まれる。組合員も例外ではない。その人々に手を差し伸べるのは組合しかない。そう考えれば組合運動としてのメンタルヘルス活動の重要さがわかるはずである。
人間の意識の変化、それは組合員の意識の変化でもある。貧しい時代の組合運動は、「モノ」のために全力を挙げた。戦後間もない時代の組合のスローガンは、「食える賃金」、一時金闘争は「越年資金闘争」と称した。当時の組合員の意識に沿った運動をしていたのである。それはやがて、「ヨーロッパ並みの賃金」に変わり、「より良いものをより多く求め」てきた。高度成長にやっと購入したテレビを通じて流されるアメリカのホームドラマを見て、家庭で使われている冷蔵庫や掃除機を自分も持てたらどんなに幸せかと夢見、やっと持てるようになってフッと思い返す。クーラーも自動車もカラーテレビも持つことができた。「でもチョッと待てよ」、これが夢にまで見た幸せな人生なのか、何かが足りない、何かが違う、人々は立ち止まって考えている。自分には、そのような「モノ」よりも、もっと大事なものがあるのではないのか。
そんな意識に沿った組合運動とは。組合員は、長年の惰性のごとく「カネ」と「モノ」のみに目を奪われる運動を求めてはいない。では、連合が掲げた「真の豊かさ」の冠詞「真の」運動とは何なのか。多くの組合の方針で見られる「モノから心へ」の運動とは。
「動機付けの基本原則」が根本だとすれば、組合員一人ひとりの「働き甲斐」や「生き甲斐」に、組合運動はどのように応えるのか。精神的価値の充足を求める意識にどのような運動で対応するのか。それらの運動は、根元から発した枝葉であり、すべての枝葉(具体的活動)を見直す時期を迎えてはいないだろうか。
ハートフルセンターの活動もその一枚の枝葉なのである。以来10年、何人の組合員が利用し心をすくわれてきたことか。よく組合運動の原点は、助け合いとしての共済事業と職場での世話役活動にありといわれる。後者の世話役活動で言えば、もし職場の委員ひとり一人、全員がカウンセラーに匹敵する活動ができたら、組合員からの信頼はいうまでもないだろう。専門的な知識や能力を必要とするカウンセラーは、そんなに単純なものではないことがわかっていても、組合リーダーの夢として今も見続けているのである。



