いい年をしてつくづく思うのだが、自分がしたり顔で暮らしているこの社会にはなんと知らないことが多いことか。
政権が変わったとたん、八ッ場ダムの工事中止をめぐって民主党政権と関係都県、それに地元住民との意見の対立がマスメディアをにぎわした。この出来事を通して、全国で計画中(建設途中も含めて)のダムが実に143箇所に上ることを知る。「エッそんなに」と今更ながら驚く自分がいる。
JALの再建をめぐる騒動を通じて、この狭い日本に、97箇所の空港があることを知らされる。97箇所のうち、国が管理しているのが26箇所(後は地方自治体の管理)、そのうち20箇所が赤字という。半官半民と揶揄されるJALが、地元の利益誘導運動や政治家の働きかけによって、赤字を承知で地方空港に乗り入れせざるを得ない環境におかれていた。
かつて、時代の花形であったスチュアーデスの組合が、業務の送り迎えに使われていたハイヤーをタクシーに代えようとする経営方針に、ストライキで反対運動をしたことがあったが、さすがに世論の非難を前に最終的に認めたものの、時代に抗して既得権を守ろうとする風土こそが、経営悪化を招いている元凶なのだろうか。アメリカの自動車会社GMで、再建をめぐって企業年金の削減が労使の争点になったことはつい最近のことだ。普通の民間会社であれば倒産するはずなのに、JALは一万人に及ぶ人員削減はするものの、救済のために税金が投入されようとしている。退職したとはいえ、恵まれた企業年金の恩恵を受ける人々が削減さえ認めなかったとしたら、税金を払っている国民の理解を得ることは出来ないだろう。
こうしてみると、地元の自治体や住民にとって、自分たちの懐を痛めずに税金で空港が作れるなら無いよりあった方がいいから誘致運動に力を入れる。地域によっては労働組合もそのお先棒を担いだケースさえある。地元選出の国会議員も選挙を考えて国に働きかける。その結果、税金を使うために中間に組織をつくり、その組織を自分たちの天下り先として確保する巧妙な官僚政治が中心になって、建設によって恩恵を受ける業界から政権党であった自民党への献金を通じて政・官・業の癒着関係が築かれてきた。
このように官僚だけが悪いわけではない。官僚も、政治家も、地元の自治体も、そして住民も、すべてが「公」より「私」を優先してきた結果でもあるのだ。
その象徴として、地元や政治家に翻弄されてきたJALには少しばかりの擁護をと思うが、ハイヤー問題に代表されるように、時代錯誤ともいうべき労使関係や、その他もろもろの経営施策に首をかしげているのが今の世論なのだろう。戦後六十猶予年、たまりにたまった膿を出すことから始めるしかないのだ。
考えてみれば、かつて銀行に対して公的資金が投入されたが、当時の説明では、金融は経済の動脈であるがゆえに、日本経済を守るためには税金の投入も止むを得ないといわれた。経済的な視点からいえばそのとおりなのだが、民間企業に税金が投入されることに少しばかりの違和感を抱いたのは私ばかりではないだろう。そして槍玉に挙げられたのは金融機関の高い処遇だ。世論の批判に若干の給与の切り下げが行われたようだが、いまや元に戻っているという。JALも民間企業なのだから今のような業績、あるいは企業体質だったら倒産は避けられない。それを、航空産業は日本経済を支える主柱であり、それを代表する航空産業の勇であるがゆえにJALを倒産させるわけにはいかないという理由だ。金融が経済の動脈という、かつての銀行の救済と同質の理由であることに気づくのだが、企業年金を「個人の財産権の侵害」という近代社会の基本原則によって削減できずに税金が投入されたら、おそらく国民の理解を得ることができない。倒産やむなしとなった場合の財務状況は分からないが、給与や退職金、企業年金などの労働債務は重要視されている。一万人にも及ぶといわれるリストラとあわせて、再建か倒産かの選択を迫られている危機を自覚しているのか否か、JAL労働組合とOBの責任は限りなく重い。
今回ダムやJALの問題を通じて、知っているようで全く知らなかった自分に恥ずかしさを感じつつ、あえて、門外漢であったことに言い訳を見出してみたものの、組合運動のプロを自認してきた自分の専門分野で無知に気づかされるとショックは大きい。
読売新聞編集委員の天日隆彦氏によれば、昔、メーデーでよく歌った「♪聞け万国の労働者 轟きわたるメーデーの・・・」という労働歌は、実は軍歌のメロディーであったという(09年10月24日「読売新聞夕刊」)。それによれば、同じメロディーには「歩兵の本領」(軍歌)「アムール川の流血や」(旧制一高寮歌)があり、最も古いのは「小楠公」(軍歌)である。作曲者は陸軍軍楽隊長であった永井建子(けんし)氏(~1940年)で、二つの軍歌、一つの寮歌と労働歌が同じメロディーであることに驚きを禁じえない。
冷静に考えてみれば、軍歌も労働歌も勇ましさにおいては共通するから、歌詞さえ変えれば双方に通用してもおかしくないが(「小楠公」の楽譜には、七五調であれば別の歌詞でも使える旨が記されている)、双方の思想の違いからか、やはり違和感を抱かざるを得ない。天日氏は、「軍歌が寮歌、労働歌に転じて親しまれるのは、唱歌の文化がおおらかに育まれた時代だったのだろう」と締めくくっているが、知らないで口ずさんでいた自分が妙に懐かしく感じた記事でもあった。
さすがに往年の闘士であるj.union社の西尾社長は承知していたが、現役を退いて十年余を過ぎても、いまだ無知である自分を知ることで、今更ながら、日々研鑽の教えを肝に銘じる昨今である。
政権が変わったとたん、八ッ場ダムの工事中止をめぐって民主党政権と関係都県、それに地元住民との意見の対立がマスメディアをにぎわした。この出来事を通して、全国で計画中(建設途中も含めて)のダムが実に143箇所に上ることを知る。「エッそんなに」と今更ながら驚く自分がいる。
JALの再建をめぐる騒動を通じて、この狭い日本に、97箇所の空港があることを知らされる。97箇所のうち、国が管理しているのが26箇所(後は地方自治体の管理)、そのうち20箇所が赤字という。半官半民と揶揄されるJALが、地元の利益誘導運動や政治家の働きかけによって、赤字を承知で地方空港に乗り入れせざるを得ない環境におかれていた。
かつて、時代の花形であったスチュアーデスの組合が、業務の送り迎えに使われていたハイヤーをタクシーに代えようとする経営方針に、ストライキで反対運動をしたことがあったが、さすがに世論の非難を前に最終的に認めたものの、時代に抗して既得権を守ろうとする風土こそが、経営悪化を招いている元凶なのだろうか。アメリカの自動車会社GMで、再建をめぐって企業年金の削減が労使の争点になったことはつい最近のことだ。普通の民間会社であれば倒産するはずなのに、JALは一万人に及ぶ人員削減はするものの、救済のために税金が投入されようとしている。退職したとはいえ、恵まれた企業年金の恩恵を受ける人々が削減さえ認めなかったとしたら、税金を払っている国民の理解を得ることは出来ないだろう。
こうしてみると、地元の自治体や住民にとって、自分たちの懐を痛めずに税金で空港が作れるなら無いよりあった方がいいから誘致運動に力を入れる。地域によっては労働組合もそのお先棒を担いだケースさえある。地元選出の国会議員も選挙を考えて国に働きかける。その結果、税金を使うために中間に組織をつくり、その組織を自分たちの天下り先として確保する巧妙な官僚政治が中心になって、建設によって恩恵を受ける業界から政権党であった自民党への献金を通じて政・官・業の癒着関係が築かれてきた。
このように官僚だけが悪いわけではない。官僚も、政治家も、地元の自治体も、そして住民も、すべてが「公」より「私」を優先してきた結果でもあるのだ。
その象徴として、地元や政治家に翻弄されてきたJALには少しばかりの擁護をと思うが、ハイヤー問題に代表されるように、時代錯誤ともいうべき労使関係や、その他もろもろの経営施策に首をかしげているのが今の世論なのだろう。戦後六十猶予年、たまりにたまった膿を出すことから始めるしかないのだ。
考えてみれば、かつて銀行に対して公的資金が投入されたが、当時の説明では、金融は経済の動脈であるがゆえに、日本経済を守るためには税金の投入も止むを得ないといわれた。経済的な視点からいえばそのとおりなのだが、民間企業に税金が投入されることに少しばかりの違和感を抱いたのは私ばかりではないだろう。そして槍玉に挙げられたのは金融機関の高い処遇だ。世論の批判に若干の給与の切り下げが行われたようだが、いまや元に戻っているという。JALも民間企業なのだから今のような業績、あるいは企業体質だったら倒産は避けられない。それを、航空産業は日本経済を支える主柱であり、それを代表する航空産業の勇であるがゆえにJALを倒産させるわけにはいかないという理由だ。金融が経済の動脈という、かつての銀行の救済と同質の理由であることに気づくのだが、企業年金を「個人の財産権の侵害」という近代社会の基本原則によって削減できずに税金が投入されたら、おそらく国民の理解を得ることができない。倒産やむなしとなった場合の財務状況は分からないが、給与や退職金、企業年金などの労働債務は重要視されている。一万人にも及ぶといわれるリストラとあわせて、再建か倒産かの選択を迫られている危機を自覚しているのか否か、JAL労働組合とOBの責任は限りなく重い。
今回ダムやJALの問題を通じて、知っているようで全く知らなかった自分に恥ずかしさを感じつつ、あえて、門外漢であったことに言い訳を見出してみたものの、組合運動のプロを自認してきた自分の専門分野で無知に気づかされるとショックは大きい。
読売新聞編集委員の天日隆彦氏によれば、昔、メーデーでよく歌った「♪聞け万国の労働者 轟きわたるメーデーの・・・」という労働歌は、実は軍歌のメロディーであったという(09年10月24日「読売新聞夕刊」)。それによれば、同じメロディーには「歩兵の本領」(軍歌)「アムール川の流血や」(旧制一高寮歌)があり、最も古いのは「小楠公」(軍歌)である。作曲者は陸軍軍楽隊長であった永井建子(けんし)氏(~1940年)で、二つの軍歌、一つの寮歌と労働歌が同じメロディーであることに驚きを禁じえない。
冷静に考えてみれば、軍歌も労働歌も勇ましさにおいては共通するから、歌詞さえ変えれば双方に通用してもおかしくないが(「小楠公」の楽譜には、七五調であれば別の歌詞でも使える旨が記されている)、双方の思想の違いからか、やはり違和感を抱かざるを得ない。天日氏は、「軍歌が寮歌、労働歌に転じて親しまれるのは、唱歌の文化がおおらかに育まれた時代だったのだろう」と締めくくっているが、知らないで口ずさんでいた自分が妙に懐かしく感じた記事でもあった。
さすがに往年の闘士であるj.union社の西尾社長は承知していたが、現役を退いて十年余を過ぎても、いまだ無知である自分を知ることで、今更ながら、日々研鑽の教えを肝に銘じる昨今である。



