鈴木勝利の「つれづれ日記」

コラム

vol.37 世間相場主義は依存症か?~春の交渉で自立性が試される労働組合~
鈴木 勝利 顧問
2011/01/15
   「自分らしさ」「個の時代」「多様性のある時代」、かつては企業でも地域でも集団主義といわれた日本も、いまや個人々々が尊重されるのが当たり前の時代を迎えた。
 古くは戦中の全体主義の中では、家庭では家父長制度、企業内でははるか昔の徒弟制度とまではいわないにしても、似たような上下関係の中で息苦しい生活を強いられてきた。それが、敗戦によるアメリカ占領軍の鶴の一声で、今までのくびきから逃れられる自由主義を迎えて歓喜の声を上げた。
 しかし冷静に考えれば、「自分で物事を決断できる」ということは「自分で決断しなければならない」ということであり、その決断には責任がついて回るということだ。責任を持たない決断は単なる「わがまま」と同じだ。あるいはまた、他人の行為を評論家的に批判するのも無責任のそしりを免れない(本題とは外れるが、最近のメディアの無責任さは眼に余る。政治家の言動を批判することは自由だが、少なくとも社会の公器を自称する以上、批判した上で「こうすべきだ」という建設的な意見を公表するメディアは皆無に近いのが情けなく感じるのだが)。

 メディア批判は別に譲るとして、個人にしろ、組織にしろ、個々の個人、個々の組織の存在が社会から認知され、自らの意思で物事を決められる時代を迎えているにもかかわらず、必ずしもそうでない現象を眼にすることも多い。
 春の交渉時期を迎えた労働組合運動もその例に漏れない。
 もともと日本の労働界全体が春の時期に賃金の引上げなどを求めて会社と交渉することを春闘と称した。戦後間もない1954年(昭和29年)、五つの産業別労働組合(炭労・私鉄・化学・電力・紙パルプ)が集まって同じ時期に要求することを目的に共闘組織を作った。そして翌年1955年に、新たに全国金属・化学同盟・電機労連の三つが加わり八つの産業別組合による共闘会議によって春闘がスタートする。春闘は55年の歴史を持っているのだ。
 当時の日本経済は、1950年の朝鮮戦争における在韓国連軍の軍需物資の特別需要によって高度成長時代を迎えようとしていた。GDPと呼ばれる国民総生産の増加は、必然的に国民生活の向上の根拠になり、戦後の混乱に生活が困窮していた労働者の生活改善の動きを後押しすることになる。
 労働者全体が等しく貧しい中で、企業別組合の弱点である「わが社だけでは」という心細さを、多くの労働組合が同じ時期に同じように賃金の引上げを図ることによって成果を挙げようとするもので、当時の比喩でいえば「暗い夜道も皆で手をつないで歩けば怖くない」方式をとったのである。
 こうして春闘は、「わが社だけ」という弱点を補いながら、加えて皆が貧しい中で少しでも収入を増加させようと始めたもので、当然のように「同じ時期」に「同じような要求」をして、同じ時期に回答を引き出すことになったのである。
 経済の右肩上がりの成長に支えられ、企業業績も伸び続け、3月~4月に労使が合意した賃金の引上げによる負担増も、4月以降の業績で吸収できたゆえに毎年の賃金交渉も機能し、経済の成長、業績の向上に見合って労働者の生活も改善を続けられていく。
 貧しい時代は全体が等しく上がっていくことが重要になるが、ある程度の生活向上がはかられたとなれば、企業は業績格差による対応を考えるようになり、働く労働者の方も「真面目・不真面目」「企業の生産性の違い」などによる格差を容認するようになる。
 ましてや過去に比べて成長が激減し経済の成長も限界を迎えている今日、あるいは熾烈な市場競争に敗退する危険が伴うようになれば、いつまでも等しく引き上げることは至難になる。

 賃金の引上げが等しく、あるいは一定のゾーンで収まることが当たり前であれば、春闘は「相場」によって成り立つのは当然で、だからある時期までは相場形成役の役割が期待された。
 春闘の初期には公務員の公労委の仲裁裁定が相場となった。しかし、その相場が税金によって成り立つことの矛盾が指摘され、相場形成役は私鉄が取って代わるようになる。しかし私鉄も同様に運賃という公共料金、言葉を変えれば国民の負担によって成り立つ産業が国の労働条件の指標になる矛盾から、民間の基幹産業である鉄鋼が主役に躍り出ることになる。どこの国も国の労働条件の指標は民間の基幹産業に委ねられているのであり、やがて成熟した鉄鋼産業に自動車・電機産業が加わりJC(金属産業)がその役割を担うことになる。

 こうして春闘は相場形成役が獲得した水準をゾーンとして他産業にも波及しある時期まで機能してきた。そして春闘を取り巻く環境も変化を見せ始め、企業業績の面からは熾烈な生存競争による影響から、労働者もある程度の生活の向上が図られたことによる区別(格差)の容認から、ヨーイ・ドンと横並びを目的に交渉することの限界を知り、それぞれの組織が、自らの置かれた産業や企業の環境に応じて自主的に、主体的に決めていこうとするようになる。いわば自立した労働組合運動が必要になってきたのである。

 しかし、30年、40年と続けてきた相場に基づく賃金の引上げは、組織自らがあらゆる環境条件を分析・検討しながら主体的に・自主的に判断することを必要としなかったから、自らが決断できなくなってしまっていた。相場があることによって、その水準が「高い」とか「低い」といって批判する一方で、結局、相場を軸にある判断を下せばよかったのである。

 つまり、相場という他人の作った水準に依拠して判断する枠から踏み出すことが出来なくなってしまった。その上、相場を中心に決めた結果に、組合員の不満が集中すると、相場をつくった「他の労働組合が悪い」と、例えは悪いが、他人から踏み台を借りて手が届かなかったら、「借りた踏み台が低かったのが悪い」と他者の責任に転嫁するに等しい。 よく耳にするのは「『力が不足している組合』、あるいは『環境が悪い組合』がある以上、相場形成役が水準の突破口をひらきリードしなければならないのでは」という声だが、やはり他者に依存し、結果を無責任に評論する域を出ていない。どうしても自らを叱咤激励して自立しようとしているようには見えない。時代が求めている自立とはあらゆる状況を分析・検討しながら、自らが考え決断し、結果に責任を負うことなのである。

 よく労働組合のない企業が、あるいはその企業で働く労働者が、「組合がなくても世間並みの労働条件が確保されているから」として、労働組合の必要性を否定する声を聞くこともあるが、これなどは他者依存の典型で、自分たちに世間並みに支給され満足している労働条件そのものが、組織されている労働組合が汗水流して作りあげた水準であることを忘れているのである。言い換えれば、その企業も労働者も、他の労働組合と企業が作り上げた水準を確保していることによって自らを納得させ、自らは労働組合の存在を否定するという矛盾に満ちた考え方をしているに過ぎないのである。

 話を個の自立や多様性に戻せば、社会的には中央集権から地方分権の流れもその一環であり、社会の制度や仕組みも同様である。そして労働組合もまた同様に個々の組合員の自立が求められ、個々の労働組合の主体性が尊重される時代を迎えたのである。

 集団的労使関係を基軸にした大原則の上に立って、連合は産別の自立と主体性を支援し、同じように産別は単組の自立と主体性を支援し、単組は支部の自立と主体性を支援し、支部は個々の組合員の自立と主体性の確立を促していくことができれば、新しい時代を迎えた労働組合の未来は洋々たるものになる。
 そして、「個の自立」「多様性」は又、労働組合が金科玉条のように掲げてきた「統一的行動」「団結ある組織」の命題に真向うから対立する概念のために、両者の整合性がとれる運動を作り上げるよう労働組合に新たに突きつけているのである。