差別の象徴として男女差別が挙げられることが多いが、女性が男性に経済的に隷属している関係の中では真の男女平等は成り立たない。日本社会ではあらゆる制度といってよいと思うが、結婚したら女性は家庭にいることを前提につくられている。税制における配偶者控除や健康保険制度の扶養家族、年金も同様だ。それぞれの制度を多少改善してきたものの、妻、あるいは母は家庭にいるべきだという姿が圧倒的に多い。子どもの養育や教育のために、母親はいつも子どものそばに居るべきだとして共働きに批判的な意見も多くある。それが日本の精神的文化と公言してはばからない人も多い。一人の収入(賃金)で、家族四人が生計を営むことを前提にしている処遇制度が差別意識を支えている。世帯主義賃金の弊害でもある。夫婦双方が経済的にそれぞれ自立し、自由な意思によって円満な結婚生活を送ることが理想なのである。「離婚したら生活が出来なくなる」環境の中で離婚しなかったとしても、それには何の価値もない。離婚することに障害がない中で結婚生活を続けることに意味があるのである。突き詰めると男女差別は「男の論理」によって生まれたもののようだ。
明治時代に生まれた母が98歳で天寿を全うしたのは一昨年、その母には忘れ得ぬ思い出がある。幼い頃、夜の帳がおり家々からもれる暖かそうな電球の明かりと、夕飯のおかずになるのだろう、香ばしい焼き魚の匂いの中を、ただひたすらに家路を急ぎ、遊び疲れた体と、泥だらけの顔を勝手口にのぞかせると、いつも、母の「お風呂が沸いてるよ」という声が迎えてくれた。居間では、父が湯上がりの火照った顔で、美味そうにお酒を口に運んでいる。それを横目に見ながら、ろくに洗いもせず、ザブンと湯につかったときのことを、今も鮮やかに思い出すのだが、よほどのことがない限り、母が私たちよりも先にお風呂に入ったことはない。はじめは、家の片づけを終わらせてから入るのだろうと、何気なく思ってみたりもしたが、兄が受験勉強で遅くなっても、コタツで転寝しながらもじっと待って、湯に入るのはやはり最後のようであった。
「女は最後に入るものよ」という母の言葉を聞いたのは、かなり物心がついてからだが、その母もそうした人生を悔いているようには見えなかったが、時折「女って損ね」と、愚痴とも溜息ともつかぬ言葉を漏らしていたものである。
江戸時代まで、女性の出産や生理は不浄のものとされ、地方によってはその間、母屋への出入りは禁止され、忌屋(いみや)での生活を余儀なくされた。「その頃は、出産や月事のけがれの忌(いみ)の間は小屋で暮らして、倉にも入れず、井戸には手をかけてはならず、用事で他家に行っても、庭に入るくらいで、ひたすら慎みおそれなければならなかった」(瀬川清子「女の民俗史」)。明治維新になって、お上から「そんなものはけがれていない」といってきたというから(同書)かなり最近まで因習として残っていたのである。
男尊女卑の思想は、家父長制度によって強固なものになったといわれるが、日本の家父長権は大宝律令(702年)で確立され、儒教による「三従の道徳律」が定められた。それによれば女性は、「幼児にあっては父に従い」「婚して後には夫に従い」「夫死しては子に従う」というもので、何のことはない、女性は一生従って生きよといっているのである。こうして日本の女性差別は、日常の生活に溶け込んでいく。まったく無意識に生活慣習になってしまえば、それを当然と考えるのは当たり前で、そうしているからといって口を極めて非難するつもりはない。いつも自分より後に湯に入る母を見て、父が優越感に浸っていたわけでもないし、母も愚痴はこぼしながらも悔し涙を流していたわけでもない。むしろ男と女ということではなく、父を想い、子を育む母親の心がそうしていたのだと信じていた。もしそこに差別があるとするなら、男性が女性に対し、自分と同じ一人の人間としてみているかどうかにかかっているような気がする。
言い換えれば、お風呂に入る順番が男女差別なのではなく、女性の従順さゆえにしか、自分の存在を意識できない男の愚かさが、差別の根源になっているのである。もし男性の心の内にそうした愚かさがあるにも拘らず意識してないとすれば、最も愚かな男がそこに居るに過ぎない。
今、何の不思議さを感じることもなく当たり前に思っていたことが、実は自分の心の中に差別意識を醸成させているとした恐ろしいことである。会社に入社してこの方、当たり前に受け取っていた賃金、家族四人の生計を維持してきた賃金が、女性の自立を妨げているとしたら、「会社の仕事が忙しい」から、「仕事に疲れた」から、「人間関係に疲れている」からといって、「給料は自分が稼いでいるのだから家事も育児も妻の仕事」、「自分はひたすら会社の仕事さえこなせばいい」のだと考えている夫であったとしたら、到底、妻を一人の人間として認め、尊敬しているとはいえない。それこそが差別意識の根源なのだ。
世の中に、差別や封建的制度が残っていたら、それに警鐘を鳴らし改革に取り組むのは労働組合の責務である。革新を標榜する労働組合の姿のはずである。賃金を含む内外価格差ゆえに国際競争力を失い、働く人々の三分の一を超えてしまった非正規社員、かつての経済成長が期待できない中で、六千万人を超える雇用労働者が働く職場は日本にあるのか、家計を支えた世帯主が失業して家族が路頭に迷う悲惨さ、平均失業率を上回る若年労働者の失業率、一年以上も失業を続ける人々の増加、そして男女差別。多くの人々が閉塞感に打ちひしがれて出口が見出せない今だからこそ、労働組合が改革に向けて自らも血を流す覚悟をもって立ち上がらなくてはならないのである。
(2011年1月31日・本稿は1982年~1988年執筆の原稿を加筆・修正したものである。)
明治時代に生まれた母が98歳で天寿を全うしたのは一昨年、その母には忘れ得ぬ思い出がある。幼い頃、夜の帳がおり家々からもれる暖かそうな電球の明かりと、夕飯のおかずになるのだろう、香ばしい焼き魚の匂いの中を、ただひたすらに家路を急ぎ、遊び疲れた体と、泥だらけの顔を勝手口にのぞかせると、いつも、母の「お風呂が沸いてるよ」という声が迎えてくれた。居間では、父が湯上がりの火照った顔で、美味そうにお酒を口に運んでいる。それを横目に見ながら、ろくに洗いもせず、ザブンと湯につかったときのことを、今も鮮やかに思い出すのだが、よほどのことがない限り、母が私たちよりも先にお風呂に入ったことはない。はじめは、家の片づけを終わらせてから入るのだろうと、何気なく思ってみたりもしたが、兄が受験勉強で遅くなっても、コタツで転寝しながらもじっと待って、湯に入るのはやはり最後のようであった。
「女は最後に入るものよ」という母の言葉を聞いたのは、かなり物心がついてからだが、その母もそうした人生を悔いているようには見えなかったが、時折「女って損ね」と、愚痴とも溜息ともつかぬ言葉を漏らしていたものである。
江戸時代まで、女性の出産や生理は不浄のものとされ、地方によってはその間、母屋への出入りは禁止され、忌屋(いみや)での生活を余儀なくされた。「その頃は、出産や月事のけがれの忌(いみ)の間は小屋で暮らして、倉にも入れず、井戸には手をかけてはならず、用事で他家に行っても、庭に入るくらいで、ひたすら慎みおそれなければならなかった」(瀬川清子「女の民俗史」)。明治維新になって、お上から「そんなものはけがれていない」といってきたというから(同書)かなり最近まで因習として残っていたのである。
男尊女卑の思想は、家父長制度によって強固なものになったといわれるが、日本の家父長権は大宝律令(702年)で確立され、儒教による「三従の道徳律」が定められた。それによれば女性は、「幼児にあっては父に従い」「婚して後には夫に従い」「夫死しては子に従う」というもので、何のことはない、女性は一生従って生きよといっているのである。こうして日本の女性差別は、日常の生活に溶け込んでいく。まったく無意識に生活慣習になってしまえば、それを当然と考えるのは当たり前で、そうしているからといって口を極めて非難するつもりはない。いつも自分より後に湯に入る母を見て、父が優越感に浸っていたわけでもないし、母も愚痴はこぼしながらも悔し涙を流していたわけでもない。むしろ男と女ということではなく、父を想い、子を育む母親の心がそうしていたのだと信じていた。もしそこに差別があるとするなら、男性が女性に対し、自分と同じ一人の人間としてみているかどうかにかかっているような気がする。
言い換えれば、お風呂に入る順番が男女差別なのではなく、女性の従順さゆえにしか、自分の存在を意識できない男の愚かさが、差別の根源になっているのである。もし男性の心の内にそうした愚かさがあるにも拘らず意識してないとすれば、最も愚かな男がそこに居るに過ぎない。
今、何の不思議さを感じることもなく当たり前に思っていたことが、実は自分の心の中に差別意識を醸成させているとした恐ろしいことである。会社に入社してこの方、当たり前に受け取っていた賃金、家族四人の生計を維持してきた賃金が、女性の自立を妨げているとしたら、「会社の仕事が忙しい」から、「仕事に疲れた」から、「人間関係に疲れている」からといって、「給料は自分が稼いでいるのだから家事も育児も妻の仕事」、「自分はひたすら会社の仕事さえこなせばいい」のだと考えている夫であったとしたら、到底、妻を一人の人間として認め、尊敬しているとはいえない。それこそが差別意識の根源なのだ。
世の中に、差別や封建的制度が残っていたら、それに警鐘を鳴らし改革に取り組むのは労働組合の責務である。革新を標榜する労働組合の姿のはずである。賃金を含む内外価格差ゆえに国際競争力を失い、働く人々の三分の一を超えてしまった非正規社員、かつての経済成長が期待できない中で、六千万人を超える雇用労働者が働く職場は日本にあるのか、家計を支えた世帯主が失業して家族が路頭に迷う悲惨さ、平均失業率を上回る若年労働者の失業率、一年以上も失業を続ける人々の増加、そして男女差別。多くの人々が閉塞感に打ちひしがれて出口が見出せない今だからこそ、労働組合が改革に向けて自らも血を流す覚悟をもって立ち上がらなくてはならないのである。
(2011年1月31日・本稿は1982年~1988年執筆の原稿を加筆・修正したものである。)



