鈴木勝利の「つれづれ日記」

コラム

vol.42 男の涙、女の涙 ~涙は人生の糧~
鈴木 勝利 顧問
2011/06/15
 男たるもの、人前で涙を見せてはならぬ、とは、昔から語り継がれてきた"男の美学"でもある。男の美の本質は、女との比較において、男の強さを強調するもののようで、たとえば悲しさや辛さのために、女性が涙しても、男はその悲しみに耐え、辛さを克服することが「男の美学」となる。最近の草食系男子といわれる人々がどちらなのか知る由もないが、はるか原始時代から、男は家を守るために、あるいは食料を確保するために外敵との戦いを専らとしてきたことと、女が出産という大役を担うゆえに戦いに不向きな体型・体質を余儀なくされたことによるとの説も聞く。昔、宮中や貴族に仕えた高位の女官を、「自分の部屋」(=房)が与えられていたことから「女房(にょうぼう)」と呼び、転じて妻を女房と言うようになる。これに対して、家や店の主人を「亭主」ということから夫を「亭主」といい、双方を「女房と亭主」というようにくだけた言い方が定着する。この表現も、家の最高権利者は名前のとおり「女房」ではなく「亭主」だから差別用語の類に入る。また、妻は専業主婦として家の中(内)にいればいいということから「家内」という表現も生まれてくる。いずれにしても男女差別の意識は日常生活に無意識に浸透している証左でもあるのだ。

 話を涙に戻そう。涙は物理的に出るものと感情によるものとの二種類があって、女性は男性に比して5.3倍も泣くそうである。物理的な涙は反射涙といって玉ネギなどで泣くもの、感情の涙は悲しみや喜びによって出てくる。アメリカのミネソタ州に「涙研究センター」があって、ここでの実験によると、反射涙より感情涙のほうがたんぱく質の含有量がはるかに多く、塩分はわずかに0.9%しか含まれていないのにしょっぱいといわれているのは、体内の有毒物を排出する作用があるからといわれている。

 感情涙の場合、涙は人によって、俗にいう涙もろい人とそうでない人がいる。自分自身の辛さや悲しみに耐えられても、他人の感動的な人生を見ることで思わず、ということも多い。甲子園の高校球児の入場式をテレビで観戦していても、甲子園にくるまでの辛さや苦労を思って涙することもあれば、他愛ない漫画の中で、知らず知らずに目頭が熱くなることも多い。よく涙顔を覗かれて、こんな程度で、とからかわれるのだが本人にしてみればいたって真剣で、涙を見せない人のほうを不思議に思う。だから「男の美学」には程遠い自分であることは承知しているのだが、心理的に言えば、泣くことはストレスの発散、緊張の減少に役立つという。これによって、泣かない人は、胃潰瘍、高血圧、リュウマチにかかりやすいという統計上からもいえるという。ただ男性であっても女性であっても、人間の成長という面から見ると、悲しみや辛さや感動に涙したとしても、泣くだけで終わってしまったのでは意味を持たない。実は涙をこらえるという価値は、悲しむべき事実を、泣くことでやり過ごすのではなく、その事実を冷静に受け止め、自身の糧に転換させることにある。愛する人が死ねば悲しいが、その死から何を学ぶかによって悲しみは克服できる。仕事や友だちのことで辛いことがあっても、涙を流した後で、辛さの原因から自身が学ぶことができる。感動したできごとがあれば、自身がそう生きるよう努力することができる。

 書道家 「あいだ みつお」氏は言う。

 なみだをこらえて かなしみにたえるとき /

 ぐちをいわずに くるしみにたえるとき / 

 いいわけをしないで だまって批判にたえるとき / 

 いかりをおさえて じっと屈辱にたえるとき /

 あなたの眼のいろが ふかくなり / 

 いのちの根が ふかくなる

 他愛ないことと笑われてもいい。こんなことで、と言われてもいいから、泣きたくなったら涙を流すことにしよう。しかし、そのあとで、ちょっと自分の生き様や人生を考えてみることにしよう。
(2011年2月10日・本稿は1982年~1988年執筆の原稿を加筆・修正したものである。)