「英雄色を好む」ということばがある。時の権力者ともなれば、色と飽食はつきものということになるのだが、ならばと、「色を好めば英雄になれる」と考えた人がいるという笑い話もある。
この英雄色好み説は、男尊女卑社会の典型的な現象を表しているが、江戸時代における日本の権力者の特徴は、後継嗣の確保を目的として、いわば妻妾同居で、大奥に代表されるように城内にいる。これは日本の土地が狭いというわけではないと思うが、中国では最高権力者が使う紫禁城を除いて一般的には妾宅は別個に構えて、旦那が牛車に乗って訪ねたという。
女性にとっては、旦那の関心をいつまでも引きとめておくために、毎夜の来宅を心待ちにする。そこで一計を案じて、旦那様を我が家に寄らせるために、牛の好物である塩を門前に置き、牛が立ち止まるように仕向けた。この習いが、現在料理屋がお客が来るようにと、玄関に塩を置く風習になっていったという。もちろん、お清めの意味もあるとの説も聞く。
しかし、英雄は何も男の専売特許ではない。歴史上も女傑と名のつく人々は多いが、最近もNHKのテレビドラマで話題になった中国の西太后(せいたいこう)もその一人である。中国の清の時代というとはるか昔のような錯覚を持つが、末期は日本の明治時代だから日本との比較にも現実味が沸いてくる。
西太后が独裁者として政治権力の頂点にたつに当たって、男女を問わず政敵をことごとく謀殺した歴史もすさまじいが、歴史というのは、それを観る立場によって評価を一変させる。西太后とて始めは純真であったが、周囲の誤解や権謀術数の中で悪女にならざるを得なかったという説もあろう。中国の権力構造は日本から見て分かりにくいことが多い。日本に愛読者が多い三国志でも、権謀術数はもとより、賄賂は日常茶飯事。現在の中国を象徴する汚職政治も、それを当然のこととして習慣化させてきた中国の歴史から見れば、今はその延長にあるだけで決して特別のことではないように思える。
話は余談になるが、日本でも江戸時代に悪名高い賄賂政治と糾弾されているある老中の談として、【役職を望むなら自分の「全財産を使うか」、それとも「わずかしか使わないか」が重要で、前者であることこそが、依頼する真剣さの現れになる】と述べ、賄賂を公然と要求する論を立てている。まさしく「泥棒にも三分の理」である。
日本は中国の影響を最も受けた国でもある。仏教でさえ、釈尊が誕生したインドの影響よりも、遣唐使・遣隋使を通じて日本にもたらされた宗教と考えられてきた。今の公務員試験も、「科挙」の輸入で制度化されたものである。しかし、日本は中国のすべての制度を採用したわけではない。中国の権力構造の中枢にいる宦官(かんがん)制度が悪弊と指摘する声は多い。宦官は宮中に仕える去勢された男で、当初は異民族の奴隷をあてていたのが、後に発展したものらしい。この男でない男たちは、去勢した自分自身を卑しみつつ、その反動として富に執着し、皇帝に取り入ることで政治をないがしろにするのだが、中にはカネでごまかし、男性のままで宮中に仕え、西太后の情夫として君臨した李蓮英という宦官さえ現れる。女性とて権力者に立てば色を好むということかもしれない。
また中国の法律は、唐の時代から律令(りつりょう)で運営されてきた。律とは刑罰規程、令は行政法規で、国法上の刑罰規程(律)と行政上の禁止規定(令)を分離したもので、日本も中国にならい、この律令制度を採り入れた。仏教や論語や禅、そして公務員採用の試験制度としての科挙制度、それに律令制度を中国から導入しておきながら、宦官制度は導入していない。すべての制度を中国に依存していた訳ではないのである。採り入れる制度、採り入れない制度を厳然と区分してきた当時の日本の権力者の判断は特筆に値する。
明治初期に、となりの中国では女性の独裁者が、宦官制度の中で荒淫放縦の政治生活を送っていた。そのとき、先人たちの的確な判断によって悪弊を除外してきた日本は、好ましい制度だけを採用して明治以降の発展へとつなげていくのである。敗戦直後、日本の経済復興への妬みからか、欧米に横溢していた「日本は猿真似民族」論は、そこにしか日本との競争に救いを求めなかった欧米ゆえに、後の日本の技術力や生産力の後塵を拝せざるを得なくなったといえないだろうか。
日本やフランスの技術援助で作られた中国版新幹線を、世界への進出を目指すために、アメリカで自社(自国)製品として特許申請する厚顔・欺瞞的な態度は、日本企業との契約内容が不明とは言うものの、賄賂やコピー文化が日常化しているのと同じように、歴史に培われた中国の精神文化といえるかもしれない。自ら中華思想(中華とは世界の中心という意)といってはばからないように、自らの政策を押し通すためには近隣諸国との紛争をためらわないのが中華思想ということになってしまう。そうした思想に立てば賄賂は権力者であることの証明でもあるし、コピー文化も利のためには必要という理屈にも疑問は生まれてこない。
時、中国新幹線の追突事故が報じられている。中国共産党の威信をかけた新幹線の事故は認めたくないとばかり、人命軽視を繰り返すお国柄。13億人の人口、中央の権威が届きにくい広大な国土。三国志に限らず中国の歴史物語による内戦の犠牲者数は日本の比ではない。日本の内戦では申し合わせたようにわずかの死者しか出さない。関ヶ原の戦いでも精々数千人規模、悪名高い織田信長の比叡山の焼き討ちも、死者数よりも残虐さが焦点になる。一方、中国では10万人単位の死者が当たり前であったようだ。敵方を全滅させることで国の権力を維持していくのである。一般の国民もそれに異を唱えない。そして事故直後の再開にも平然と利用する乗客の姿は、国民もそれに慣らされて権力と同じように人命を尊ぶ気持ちが薄れてしまったからなのか。狭い国土にひしめき合う日本人の生命観と、膨大な国民が存在する中国とでは、人命の価値観が違うのだろう。生存者が居る可能性があっても早々と救出を断念したり、共産党の国家権力の維持をすべてに優先させることも、昔から中国に脈々と流れる人命軽視や権力維持の延長でしかないのだ。だから、事故車両を埋めたら原因究明に支障をきたすという発想もなければ、都合が悪いとなれば鶴の一声で掘り起こすのも、国家の権威を維持しさえすればいいという共産党の一党独裁政治下では不思議なことではない。そんな中国との特許争い、正直者が馬鹿を見ることがあるかもしれないが、あえて日本は中国の真似をして対抗する必要はない。猿真似されたらさらに高度な技術力をもつ製品を作ればいいのだ。日本には日本にしかない技術力と誇るべき精神文化があるからである。
(2011年8月10日・本稿は1982年~1988年執筆の原稿を加筆・修正したものである)
この英雄色好み説は、男尊女卑社会の典型的な現象を表しているが、江戸時代における日本の権力者の特徴は、後継嗣の確保を目的として、いわば妻妾同居で、大奥に代表されるように城内にいる。これは日本の土地が狭いというわけではないと思うが、中国では最高権力者が使う紫禁城を除いて一般的には妾宅は別個に構えて、旦那が牛車に乗って訪ねたという。
女性にとっては、旦那の関心をいつまでも引きとめておくために、毎夜の来宅を心待ちにする。そこで一計を案じて、旦那様を我が家に寄らせるために、牛の好物である塩を門前に置き、牛が立ち止まるように仕向けた。この習いが、現在料理屋がお客が来るようにと、玄関に塩を置く風習になっていったという。もちろん、お清めの意味もあるとの説も聞く。
しかし、英雄は何も男の専売特許ではない。歴史上も女傑と名のつく人々は多いが、最近もNHKのテレビドラマで話題になった中国の西太后(せいたいこう)もその一人である。中国の清の時代というとはるか昔のような錯覚を持つが、末期は日本の明治時代だから日本との比較にも現実味が沸いてくる。
西太后が独裁者として政治権力の頂点にたつに当たって、男女を問わず政敵をことごとく謀殺した歴史もすさまじいが、歴史というのは、それを観る立場によって評価を一変させる。西太后とて始めは純真であったが、周囲の誤解や権謀術数の中で悪女にならざるを得なかったという説もあろう。中国の権力構造は日本から見て分かりにくいことが多い。日本に愛読者が多い三国志でも、権謀術数はもとより、賄賂は日常茶飯事。現在の中国を象徴する汚職政治も、それを当然のこととして習慣化させてきた中国の歴史から見れば、今はその延長にあるだけで決して特別のことではないように思える。
話は余談になるが、日本でも江戸時代に悪名高い賄賂政治と糾弾されているある老中の談として、【役職を望むなら自分の「全財産を使うか」、それとも「わずかしか使わないか」が重要で、前者であることこそが、依頼する真剣さの現れになる】と述べ、賄賂を公然と要求する論を立てている。まさしく「泥棒にも三分の理」である。
日本は中国の影響を最も受けた国でもある。仏教でさえ、釈尊が誕生したインドの影響よりも、遣唐使・遣隋使を通じて日本にもたらされた宗教と考えられてきた。今の公務員試験も、「科挙」の輸入で制度化されたものである。しかし、日本は中国のすべての制度を採用したわけではない。中国の権力構造の中枢にいる宦官(かんがん)制度が悪弊と指摘する声は多い。宦官は宮中に仕える去勢された男で、当初は異民族の奴隷をあてていたのが、後に発展したものらしい。この男でない男たちは、去勢した自分自身を卑しみつつ、その反動として富に執着し、皇帝に取り入ることで政治をないがしろにするのだが、中にはカネでごまかし、男性のままで宮中に仕え、西太后の情夫として君臨した李蓮英という宦官さえ現れる。女性とて権力者に立てば色を好むということかもしれない。
また中国の法律は、唐の時代から律令(りつりょう)で運営されてきた。律とは刑罰規程、令は行政法規で、国法上の刑罰規程(律)と行政上の禁止規定(令)を分離したもので、日本も中国にならい、この律令制度を採り入れた。仏教や論語や禅、そして公務員採用の試験制度としての科挙制度、それに律令制度を中国から導入しておきながら、宦官制度は導入していない。すべての制度を中国に依存していた訳ではないのである。採り入れる制度、採り入れない制度を厳然と区分してきた当時の日本の権力者の判断は特筆に値する。
明治初期に、となりの中国では女性の独裁者が、宦官制度の中で荒淫放縦の政治生活を送っていた。そのとき、先人たちの的確な判断によって悪弊を除外してきた日本は、好ましい制度だけを採用して明治以降の発展へとつなげていくのである。敗戦直後、日本の経済復興への妬みからか、欧米に横溢していた「日本は猿真似民族」論は、そこにしか日本との競争に救いを求めなかった欧米ゆえに、後の日本の技術力や生産力の後塵を拝せざるを得なくなったといえないだろうか。
日本やフランスの技術援助で作られた中国版新幹線を、世界への進出を目指すために、アメリカで自社(自国)製品として特許申請する厚顔・欺瞞的な態度は、日本企業との契約内容が不明とは言うものの、賄賂やコピー文化が日常化しているのと同じように、歴史に培われた中国の精神文化といえるかもしれない。自ら中華思想(中華とは世界の中心という意)といってはばからないように、自らの政策を押し通すためには近隣諸国との紛争をためらわないのが中華思想ということになってしまう。そうした思想に立てば賄賂は権力者であることの証明でもあるし、コピー文化も利のためには必要という理屈にも疑問は生まれてこない。
時、中国新幹線の追突事故が報じられている。中国共産党の威信をかけた新幹線の事故は認めたくないとばかり、人命軽視を繰り返すお国柄。13億人の人口、中央の権威が届きにくい広大な国土。三国志に限らず中国の歴史物語による内戦の犠牲者数は日本の比ではない。日本の内戦では申し合わせたようにわずかの死者しか出さない。関ヶ原の戦いでも精々数千人規模、悪名高い織田信長の比叡山の焼き討ちも、死者数よりも残虐さが焦点になる。一方、中国では10万人単位の死者が当たり前であったようだ。敵方を全滅させることで国の権力を維持していくのである。一般の国民もそれに異を唱えない。そして事故直後の再開にも平然と利用する乗客の姿は、国民もそれに慣らされて権力と同じように人命を尊ぶ気持ちが薄れてしまったからなのか。狭い国土にひしめき合う日本人の生命観と、膨大な国民が存在する中国とでは、人命の価値観が違うのだろう。生存者が居る可能性があっても早々と救出を断念したり、共産党の国家権力の維持をすべてに優先させることも、昔から中国に脈々と流れる人命軽視や権力維持の延長でしかないのだ。だから、事故車両を埋めたら原因究明に支障をきたすという発想もなければ、都合が悪いとなれば鶴の一声で掘り起こすのも、国家の権威を維持しさえすればいいという共産党の一党独裁政治下では不思議なことではない。そんな中国との特許争い、正直者が馬鹿を見ることがあるかもしれないが、あえて日本は中国の真似をして対抗する必要はない。猿真似されたらさらに高度な技術力をもつ製品を作ればいいのだ。日本には日本にしかない技術力と誇るべき精神文化があるからである。
(2011年8月10日・本稿は1982年~1988年執筆の原稿を加筆・修正したものである)



