~複雑で微妙な人間の心~
先日も「語り継ぐもの」(46)号で、中国の孔子の名言「民は由らしむべし 知らしむべからず」(民は知らしむべからずー民衆は、目先のことや自分の利害にかかわることには関心をはらうが、遠い将来や教理などについて理解してもらうのは難しいから、民は由らしむべしー民衆から信頼される指導者になることである)が、今なおリーダー論の重要な一角を占めているのは、孔子の偉大さの反面、人間関係の難しさが依然として紀元前と比べて進歩していないことを意味しており、人間の内面の複雑さにふれた。
フランスの哲学者ヴィクトル・シェルブリエによれば、紀元前1500年から紀元1860年までの3360年間に署名された平和条約は、全世界で約8000件もあったが、どれも平均2年しか続いていないという。
当事者はもとより誰もが恒久的な平和を願い、努力を誓い合いながら、わずか2年で反故になるのでは、いくら非情の世界政治の舞台とはいえ、人と人との約束ごとのはかなさばかりが目に付きさびしい限りだ。
もっとも「人と人との約束ごとはあてにしてはならない」という識者もいるから、信じる方が悪いということになってしまうのではさびしすぎるし、戦争は個人ではなく国家間の争いであることを考えると、個人間の信頼に置き換えてはいけないのかもしれない。
そうはいっても「自分の方が悪い」といって戦争を起こす国はないのだから、政府を構成している人間集団の意思として国際政治の「だまし合い」を成り立たせているのか。
人間にとって、心が複雑で難解なのは次のことをもってしても頷ける。
「人間の吐く息を、零212度の冷却装置の中に吹き込むと、息が液化してカスができる。そのカスは精神状態によって色が違ってくる。
平静であればほとんど無色に近く、悲しんでいるときは灰白色、恐怖のときは青色、恥ずかしいときは桃色、そして人を憎んで殺害し、興奮の極にある人の息は、毒々しい栗色を帯び、それをモルモットに注射すると、モルモットは極度に興奮して、場合によっては頓死したりする。
そこでアメリカの科学者が極悪犯罪者の息のカスを調べたところ、現在薬局にあるいかなる毒薬よりも猛毒であったということが報告されている」(安岡正篤「人物を修める」)。
人間の心が、単に思考や行動に影響を与えるというだけではなく、呼吸する息の色をも左右するというのだから驚いてしまう。
人間は生きていくうえで、理性の1に対して情感には百くらいの神経を使うという。
そして理性で行動するよりも感情で行動するほうが数倍も多い。
だから不健全なのだがメディアはその人間の特質を利用するようになる。
そのほうが読者・視聴者の共感を得やすいし、購買数や視聴率を上げられるからである。
もっともそれは、読者・視聴者である私たち国民が歓迎しているからなのだ。
メディアは単にそうした国民に佞(おもね)ているだけなのかもしれない。
2011年9月に起きた一連の大臣の失言問題も、大臣たる者が口にすべきことではないのは当然なのだが、その陰にチラつく「記者の揚げ足取り」にも辟易してしまうものの、見事に国民の情感に訴えて辞任を実現させた。
ほくそ笑む記者の顔が浮かんでくるのは自分だけなのだろうか。
こうした人々の感情に訴える手法を利用するリーダーも登場する。
代表的な例はナチス・ドイツのヒトラーであろう。
ドイツ人の優越性を誇り、ユダヤ人の撲滅をかざし、世界制覇のために国民の情感に訴えて絶大な支持を得た。
感情を優先してヒトラーを支持したドイツ国民は、後に敗戦という途轍もなく高い代償を払わされたのである。
戦争は古代から口では正義を唱えながら憎悪の連鎖によって生まれる。
理性よりも感情を優先しがちな人間は、理性=正義を信じて行動しても残念ながら長続きしない。
途中の困難にいとも簡単に挫折しがちだ。
反対に、感情=憎しみで行動すると長続きしやすい。それゆえに、人間の集団をリードするには、正義の旗を掲げるよりも、集団に相手への憎悪を掻き立てておくのが長持ちの秘訣だ。
「○○反対 ?」「○○粉砕 ?」のスローガンも、時に相手に対して敵、敵、敵と、憎悪をかき立たせることに終始していることが多い。
私たちの日常生活でも同じだ。他人を尊重し、敬い、素直に接すべきだと思いつつも、なかなかできない自分がいる。
友だちや周囲の人に、憎しみを持ったらなかなか抜け出せない。
そんな自分で居ると、知らぬ間に人間の品位を日々落としていくのである。
(2012年2月10日・本稿は1982年~1988年執筆の原稿を加筆・修正したものである)
先日も「語り継ぐもの」(46)号で、中国の孔子の名言「民は由らしむべし 知らしむべからず」(民は知らしむべからずー民衆は、目先のことや自分の利害にかかわることには関心をはらうが、遠い将来や教理などについて理解してもらうのは難しいから、民は由らしむべしー民衆から信頼される指導者になることである)が、今なおリーダー論の重要な一角を占めているのは、孔子の偉大さの反面、人間関係の難しさが依然として紀元前と比べて進歩していないことを意味しており、人間の内面の複雑さにふれた。
フランスの哲学者ヴィクトル・シェルブリエによれば、紀元前1500年から紀元1860年までの3360年間に署名された平和条約は、全世界で約8000件もあったが、どれも平均2年しか続いていないという。
当事者はもとより誰もが恒久的な平和を願い、努力を誓い合いながら、わずか2年で反故になるのでは、いくら非情の世界政治の舞台とはいえ、人と人との約束ごとのはかなさばかりが目に付きさびしい限りだ。
もっとも「人と人との約束ごとはあてにしてはならない」という識者もいるから、信じる方が悪いということになってしまうのではさびしすぎるし、戦争は個人ではなく国家間の争いであることを考えると、個人間の信頼に置き換えてはいけないのかもしれない。
そうはいっても「自分の方が悪い」といって戦争を起こす国はないのだから、政府を構成している人間集団の意思として国際政治の「だまし合い」を成り立たせているのか。
人間にとって、心が複雑で難解なのは次のことをもってしても頷ける。
「人間の吐く息を、零212度の冷却装置の中に吹き込むと、息が液化してカスができる。そのカスは精神状態によって色が違ってくる。
平静であればほとんど無色に近く、悲しんでいるときは灰白色、恐怖のときは青色、恥ずかしいときは桃色、そして人を憎んで殺害し、興奮の極にある人の息は、毒々しい栗色を帯び、それをモルモットに注射すると、モルモットは極度に興奮して、場合によっては頓死したりする。
そこでアメリカの科学者が極悪犯罪者の息のカスを調べたところ、現在薬局にあるいかなる毒薬よりも猛毒であったということが報告されている」(安岡正篤「人物を修める」)。
人間の心が、単に思考や行動に影響を与えるというだけではなく、呼吸する息の色をも左右するというのだから驚いてしまう。
人間は生きていくうえで、理性の1に対して情感には百くらいの神経を使うという。
そして理性で行動するよりも感情で行動するほうが数倍も多い。
だから不健全なのだがメディアはその人間の特質を利用するようになる。
そのほうが読者・視聴者の共感を得やすいし、購買数や視聴率を上げられるからである。
もっともそれは、読者・視聴者である私たち国民が歓迎しているからなのだ。
メディアは単にそうした国民に佞(おもね)ているだけなのかもしれない。
2011年9月に起きた一連の大臣の失言問題も、大臣たる者が口にすべきことではないのは当然なのだが、その陰にチラつく「記者の揚げ足取り」にも辟易してしまうものの、見事に国民の情感に訴えて辞任を実現させた。
ほくそ笑む記者の顔が浮かんでくるのは自分だけなのだろうか。
こうした人々の感情に訴える手法を利用するリーダーも登場する。
代表的な例はナチス・ドイツのヒトラーであろう。
ドイツ人の優越性を誇り、ユダヤ人の撲滅をかざし、世界制覇のために国民の情感に訴えて絶大な支持を得た。
感情を優先してヒトラーを支持したドイツ国民は、後に敗戦という途轍もなく高い代償を払わされたのである。
戦争は古代から口では正義を唱えながら憎悪の連鎖によって生まれる。
理性よりも感情を優先しがちな人間は、理性=正義を信じて行動しても残念ながら長続きしない。
途中の困難にいとも簡単に挫折しがちだ。
反対に、感情=憎しみで行動すると長続きしやすい。それゆえに、人間の集団をリードするには、正義の旗を掲げるよりも、集団に相手への憎悪を掻き立てておくのが長持ちの秘訣だ。
「○○反対 ?」「○○粉砕 ?」のスローガンも、時に相手に対して敵、敵、敵と、憎悪をかき立たせることに終始していることが多い。
私たちの日常生活でも同じだ。他人を尊重し、敬い、素直に接すべきだと思いつつも、なかなかできない自分がいる。
友だちや周囲の人に、憎しみを持ったらなかなか抜け出せない。
そんな自分で居ると、知らぬ間に人間の品位を日々落としていくのである。
(2012年2月10日・本稿は1982年~1988年執筆の原稿を加筆・修正したものである)



