~わが実践的教育論(1)~
私の父親はかなり前、60歳台半ばで急死したが、職人としては結構名のとおった表具師であった。最も父の評価を知ったのは亡くなってからであり、生前は良く言えば職人気質、悪く言えば偏屈で口うるさい親父ぐらいにしか思っていなかったのだから、親父から見れば私などは親不孝の見本みたいであったに違いない。
その父に祖母と母、母も2年前に父のもとに旅立ったが、子どもは男ばかりの五人兄弟、私は三番目ということになる。当時の私は腕白坊主で、父に殴られ、母に諌められる毎日で、時に口答えに業を煮やした父に外へ放り出され、裸足のまま泣きじゃくっていたものである。
親にしてみれば、放り出す瞬間の気持ちは複雑なものだったと思う。
放り出したあとの不安と、懲らしめなければという気持ちの葛藤の結果であるが、その時の親の気持ちがわかったのは、自分で子育てを経験してからである。
当時は放り出された悔しさがすべてで、たとえ自分がしたことが悪いと気がついても、成り行きで喧嘩し、果ては締め出されたということになれば、子どもいえども意地がある。 「よし、絶対に謝るものか」、「頭を下げられても誰が家に戻るものか」と、裸足のまま、わざと賑やかな商店街を、涙と埃でくしゃくしゃになった顔で歩いたものだ。
自分が恥ずかしいというより、みっともない子ども、その親の顔が見たいという視線を意識し、親を困らせてやれという、まったく我ながらどうしようもない悪ガキの強がりであった。
しかし、悪ガキの強がりなど脆いものだ。やがて人通りが途絶え、家々の明かりが少なくなってくると、疲労や空腹よりも、自分がやる瀬なく惨めな気持ちに襲われ、家の前の暗闇で膝小僧を抱えてうずくまる。謝らねばという良心と、断じてという意地と、幼心の中で葛藤が始まる。止まらぬ涙を真っ黒な手でぬぐいながら…。
そんな時、必ず近所のおばさんが来て、私を諭しながら親に懇願してくれる。母親はキッと私をみすえ、「しょうがない子だ。近所に迷惑をかけるから、今日のところは入りなさい。」と答える。その言葉が終わらぬうちに、私が家に飛び込むのが、いつも筋書きとなってしまった。
私は今、二人の娘の父親だが、娘が幼いころ、躾のためと言い聞かせながら、女の子だから殴るわけにもいかず、お仕置きは板の間の正座と決めたものの、親の血筋か時には外へ放り出すこともあった。
私の親と同じ、感情と理性と不安と悲壮感の混ざった複雑な気持ちでするのだが、放り出したはいいが、さてどうやって中へ入れるか悩むころ、我が家の戸をたたく音に顔を出すと、筋向いの奥さんが娘の手を引き、「もう反省しているよネ」と、娘の顔を見ながら微笑んでいる。もちろん、天の助け、厚く謝意を述べて一件は落着するが、今はなくなりつつある隣人愛の重みをかみしめ、そこに住めることの喜びに浸ったものである。
大過なく娘が成長した今、筋向いの奥さんに感謝し、自分もそうした思いやりをもち、近所づきあいをしなければならないと、一番分かっているのは、どうやら娘のようである。
(2012年3月12日・本稿は1982年~1988年執筆の原稿を加筆・修正したものである
私の父親はかなり前、60歳台半ばで急死したが、職人としては結構名のとおった表具師であった。最も父の評価を知ったのは亡くなってからであり、生前は良く言えば職人気質、悪く言えば偏屈で口うるさい親父ぐらいにしか思っていなかったのだから、親父から見れば私などは親不孝の見本みたいであったに違いない。
その父に祖母と母、母も2年前に父のもとに旅立ったが、子どもは男ばかりの五人兄弟、私は三番目ということになる。当時の私は腕白坊主で、父に殴られ、母に諌められる毎日で、時に口答えに業を煮やした父に外へ放り出され、裸足のまま泣きじゃくっていたものである。
親にしてみれば、放り出す瞬間の気持ちは複雑なものだったと思う。
放り出したあとの不安と、懲らしめなければという気持ちの葛藤の結果であるが、その時の親の気持ちがわかったのは、自分で子育てを経験してからである。
当時は放り出された悔しさがすべてで、たとえ自分がしたことが悪いと気がついても、成り行きで喧嘩し、果ては締め出されたということになれば、子どもいえども意地がある。 「よし、絶対に謝るものか」、「頭を下げられても誰が家に戻るものか」と、裸足のまま、わざと賑やかな商店街を、涙と埃でくしゃくしゃになった顔で歩いたものだ。
自分が恥ずかしいというより、みっともない子ども、その親の顔が見たいという視線を意識し、親を困らせてやれという、まったく我ながらどうしようもない悪ガキの強がりであった。
しかし、悪ガキの強がりなど脆いものだ。やがて人通りが途絶え、家々の明かりが少なくなってくると、疲労や空腹よりも、自分がやる瀬なく惨めな気持ちに襲われ、家の前の暗闇で膝小僧を抱えてうずくまる。謝らねばという良心と、断じてという意地と、幼心の中で葛藤が始まる。止まらぬ涙を真っ黒な手でぬぐいながら…。
そんな時、必ず近所のおばさんが来て、私を諭しながら親に懇願してくれる。母親はキッと私をみすえ、「しょうがない子だ。近所に迷惑をかけるから、今日のところは入りなさい。」と答える。その言葉が終わらぬうちに、私が家に飛び込むのが、いつも筋書きとなってしまった。
私は今、二人の娘の父親だが、娘が幼いころ、躾のためと言い聞かせながら、女の子だから殴るわけにもいかず、お仕置きは板の間の正座と決めたものの、親の血筋か時には外へ放り出すこともあった。
私の親と同じ、感情と理性と不安と悲壮感の混ざった複雑な気持ちでするのだが、放り出したはいいが、さてどうやって中へ入れるか悩むころ、我が家の戸をたたく音に顔を出すと、筋向いの奥さんが娘の手を引き、「もう反省しているよネ」と、娘の顔を見ながら微笑んでいる。もちろん、天の助け、厚く謝意を述べて一件は落着するが、今はなくなりつつある隣人愛の重みをかみしめ、そこに住めることの喜びに浸ったものである。
大過なく娘が成長した今、筋向いの奥さんに感謝し、自分もそうした思いやりをもち、近所づきあいをしなければならないと、一番分かっているのは、どうやら娘のようである。
(2012年3月12日・本稿は1982年~1988年執筆の原稿を加筆・修正したものである



