鈴木勝利の「つれづれ日記」

コラム

vol.58 家つき、カーつき、ババァつき
2012/10/15
 ~わが実践的教育論〔4〕~


  人間は他の動物と違って両足で立ったために二つの弱点をもった。
体重をわずか二本の足で支えるために骨盤が発達し、そのために産道が極端に狭
くなり、難産を宿命づけられた。

 もう一つは、急所である心臓を外敵にさらすため、左手は心臓を守るために、
右手は仕事をする役割を担う。だから人間は右利きが多い。

 動物の生存の条件は、出産と外敵からの防衛であるから、人間はかなりのハン
ディを負っているが、このことに限らず生きていくことはむずかしいことである。
出産後に親が直面するのは子育てである。獅子が子を谷底に突き落とすのも、か
わいい子に旅をさせるのも、一人前にさせるためには、親の苦悩がつきまとうこ
とを表しているのだ。
子どもは母親のお腹から世に出た瞬間、親から離れ社会の中で一人生きていくこ
とを義務づけられる。
子育てはそのためにある。
自分の手元から離れさせるために子を産むというのは辛いことだが、それを成し
遂げなければ世代の営みは続かない。
社会に出ても、一人で生きていける逞しさや精神力を育むのが親の責任であり、
それまでは子どもが一個の人間であっても、
親子は対等というわけにはいかない。
親、兄弟、祖父母、そして向う三軒両隣が協力して育てるのが教育である。
子ども教育にとって、大家族がどれほど重要であるかが忘れ去られて久しい。
姑(舅)・小姑のむずかしさだけが強調され、何世代もの家族が同居することの
素晴らしさが疎かにされる。

 私の祖父母が健在だったのは五、六歳くらいまでであったが、私がチョッとし
たやけどを負ったときも、祖母がすかさず自家製の特効薬を持ってきた。
百合の根を腐らしたものだといわれた記憶があるが、それを塗って治してしまっ
た。核家族であればすぐ病院へということになるのだが、代々継がれてきた生活
の知恵で誰も休むことなく事がしのげる。
多少の風邪なら医師の手を煩わすことなく、家族の看病で回復させてしまう。
こうした経験は子ども心に、
家族の協力で自分が救われたのであり、それを通じて親兄弟への思いやり、他人
の重みを感じるようになる。

 福祉国家として保育所などの完備を誇るスウェーデンの婦人活動家の中で、生
後間もない乳幼児を保育所に預けることは、
成人後の心理に微妙な影響を与えるとして、せめて3歳までは親の手元で育てる
のが好ましいという声が上がっている。
女性の自立を図る、共稼ぎをする現実の中でむずかしいことだが、幼児に親の存
在は欠かせない。
スキンシップもはかれ、共稼ぎもできる道を探す手立てを考える時代のようだ。

 一時期流行した、家つき、カーつき、ババァ抜きというような考えでそれがで
きるはずはない。
もう一度、大家族の意義を見直すなり、育児休職制度の充実や活用を考えなけれ
ばならない。
しかし、これらの制度は、単に収入さえ増えればとか、単なる自立論からだけで
はなく、あくまで親としての、子どもに対する慈しみと責任に根ざしたものでな
ければならない。

 今の時代、ババァつきほどありがたいことはない。
(2012年4月20日・本稿は1982年~1988年執筆の原稿を加筆・修
正したものである)