鈴木勝利の「つれづれ日記」

コラム

vol.61 心の痛み ~強く猛(たけ)き者を友とするなかれ~
2013/01/15
 親にとって子どもは永遠の慈しみの対象であるように、子どもにとっても親は尊敬と愛情を教えてくれる永遠の師であろう。
そして親のあり様と子供との関係は、それぞれの家庭でさまざまな形をとっているが、どれが幸福で、何が不幸なのかも、人によって解釈を異にする。
 同僚の先輩と夕食をともにしているとき、いささかの酒で座も和やかになった頃、二人はどちらが先に言うでもなく、問わず語らず子ども話題になっていた。彼は初めての子を事故で亡くしたのだが、そのときの悲しみはいかばかりであったろうか。
 彼ら夫婦にとって、宝のように慈しみ育ててきた子ども、子どものために生きているといってもよい親として突然訪れた死に、長い間悲しみにくれたとしても無理はなかった。しかし、彼は、このあまりにも悲しく不幸なできごとから、人にはさまざまな人生が隠されていることを、そして人の心の傷みをわかることが社会生活にもっとも必要であることを悟るのである。
「つれづれなるまゝに、日くらし、硯(スズリ)にむかひて、心に移りゆくよしなし事(ゴト)を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」の序文で有名な「徒然草」を著した兼好法師は、「強く猛き者を友とすることなかれ」という。
……不幸も悲しみも知らぬ人間は、人の心をわかることはできないから、友としてはふさわしくない……という意か。
 千葉県のマザー牧場を創業した前田久吉さんは、八十歳を過ぎても母親の愛情を忘れなかった。何かにつけて「おっかさん」と口ぐせのように言い、九人の子どもの一人として、その貧乏暮らしから大阪の呉服屋に奉公にでる。辛い日々に耐えかねて夜通し歩いて家に帰ってしまう。おっかさん怒るだろうと思って家に入りかねていると、いつの間にか母親が出てきていた。「ぼくの顔を見るなり家に中に入れて、ドロドロになった足を洗い、残り物を一生懸命あっためてくれる。で、『はい、おあがり』と、ひとことも叱らずにね。思わず涙がぼろぼろ流れた。で、フッとおっかさんの顔を見たら、おっかさんもボロボロ涙流してるんです。」
 こうして前田少年は、こんな優しいおっかさんを困らせてはいけないと、奉公先に戻っていった。
 前田さんの心には、貧しい農家であった時代、母親が「家に牛が一頭でもいたら暮らしはずっと楽なのに」と口癖のように言っていた言葉を忘れることはなかった。この心の中にいるおっかさんは、やがてマザー牧場となり、おっかさんに手を合わすお寺「仏母寺」に形を変える。
 これが産経新聞の創業者であり、東京タワーを建設した前田久吉氏の素顔でもある。
 こうして人は、過去から現在まで、自分で経験したできごとを心の奥深くにしまって生きている。それは他人の眼でおし諮ることはできないのだが、ただひとつ、その体験をどう生かすかということが、人生を大きく左右することは間違いない。
 子ども死をひたすら悲しみ、無情の世を嘆きつづける人もいれば、その悲しみを人の心の痛みを知る心情にまで昇華させる人もいる。母の涙を一笑に付す子もいれば、その涙の中に母の愛情を感じ自らを奮い立たせる子もいる。自分に同じ境遇が降りかかったときに、どうなるのかはわからないが、悲しみや不幸が、人を強く優しくすることができることだけは忘れないでいたい。

(2012年4月20日・本稿は1982年~1988年執筆の原稿を加筆・修正したものである)