鈴木勝利の「つれづれ日記」

コラム

vol.62 心のキャンパス~描く画家は誰?~
2013/02/15
 私が生まれた昭和17年(1942年)、東京の場末の劇場で一人の女の子が役者としてデビューした。小学五年生であった。
 彼女は父親が働いている姿を見たことがないまま、母親の稼ぎだけで育てられた。派出婦、工場勤め、そして夜は飲み屋と、母親の懸命な働きにもかかわらず、家賃の滞納で両親が留置場に止められたこともあるほど貧しい暮らしから抜け出せなかった。六歳で口減らしのため芸者置屋に出され、十歳で芝居一座に弟子入りをしていた。「わたし、犬になりたかった。師匠がね、犬にピスケットやるでしょ。あのピスケットが羨ましくってねえ。チンチンさせておいて、みんな私が食べちゃうもんだから、とうとう犬の係りやめさせられちゃった」。
 十七歳で初潮、十九で五十近い妻子持ちの政治家とはじめて異性体験を持つ。母は、彼女の「一本刀土俵入り」や「瞼(まぶた)の母」の上演できる日を夢に見ていたが、すい臓ガンでその命も最後という日、舞台の合間に病院にかけつけた彼女は、ガン末期のやせた母を抱いて親子で泣いた後、飛んでかえった舞台で「一本刀土俵入り」を演じ、永遠に娘の芝居を見られなくなる母にそのテープを届けた。母はテープを聴きながら途中で容態が変わった。母は「テープをとめさせ、残していく娘を案じながら息をひきとる。娘は浅草奥山劇場の舞台の上にいた。」(澤地久枝「あなたに似た人」)。
 1999年にはプロ野球野村元監督の沙知代夫人(サッチ―)との間で舌戦を繰り広げ、世にいう「ミッチー・サッチー騒動」で話題を提供し、それ以前の1992年には、作曲家、作詞家、俳優、コメディアンと幅広く活躍をしている世志凡太(せし ぼんた)氏との結婚(入籍はせず)でも世間をアッと言わせ、最近では、2012年2月16日号の「週刊文春」で、売り出し中のAKB48メンバーを礼儀知らずと激怒、「礼儀は大切であり、とくに芸の世界は礼に始まり礼に終わる。AKB48はそれができないだけでなく芸能界を甘く見ている」と手厳しい意見を述べ、これまた世間を騒がせている浅香光代。
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 ときおり、鏡で自分の顔をしげしげと眺め、そこに濁って清らかさのない自分の眼を発見すると、これも心のせいかなと思ったりする。大人になっても、顔つきや目つき、あるいはしぐさに、ものすごく素直さを持っている人に出逢うことがある。それは子どもっぽさとは意味が違うようにも感ずるのだが、乳児のあどけない顔と、澄んだ眼を連想してしまう。
 子どもは、無垢で真っ白なキャンパスに生まれ、そして大人によって絵を描かれ、本人が彩色をほどこしていく過程で、汚れが出てきてしまうのだろが、それでも、きれいな彩りのまま成人を迎える人もいるのである。そして一方では、大人によって滅茶苦茶な絵を描かれ、彩色も、他人に翻弄され続ける人もいる。
 現代の社会では、環境罪悪説というべきものがあって、人間の本性は善であって、道を外れるのは環境がそうさせるのだという。そうか、自分も善人なのだ、と思おうとすると、なぜか人への憎悪や嫉妬が心の片隅に巣食っている自分に気づいて、環境罪悪説を信じるわけにはいかなくなってしまう。大人によって描かれたキャンパスの絵も、成長の過程で自分自身が修整し描き加えることは可能なのである。
 それまでテレビを通じてしか知らなかった浅香光代が、人生の「傷」を、自らの力と努力で克服したことを知って、彼女は稀にみる有能な心の画家であったように思う。

(2012年4月20日・本稿は1982年~1988年執筆の原稿を加筆・修正したものである)