鈴木勝利の「つれづれ日記」

コラム

vol.1 教育宣伝活動と「アメリカの心」
鈴木勝利 顧問
2008/01/17

もう何年も前、三十年は経っていると思うが、「アメリカの心」という本が出版された。アメリカのある企業が新聞に毎週一回、一面全ページを使って広告を出しているのだが、その広告内容を紹介した本である。広告は常識を破って提供企業名を出していないから当然読者にはどこの企業が出しているのかわからない。それゆえに社内では広告費を使う意味があるのかと大論争が起こったという。
もっともな意見で同感しつつ読み進むうちに「おや?」と思うようになり、読み終わると提供企業の深謀遠慮の戦略に舌を巻いたのを思い出す。
 一面全ページに確か多くて二十行くらいの文章が載っているだけなのである。この文章が簡潔で秀逸なのである。単に文章がうまいというだけのものではない。たとえばこんな文章である。

 「釘がある
  釘は金槌がなければ役立たない」(以下同様の趣旨がetc)

同様のことがいくつも例示される。それだけなのだ。ただ読んでいくうちに「他人がいてはじめて自分が役に立つ」のだということや、「世の中に役立たない人などいない」ことに気づかされることになる。

 「そこの○○ちゃん、これをコピーしておいて
そこの○○ちゃん、これを届けておいて  etc
私には「ちゃん」ではなく、きちんとした○○という名があるの」

 上の文章では、人を一人の人間として人格を尊重し、分け隔てなく認め合うことの重要性を再認識させられる。自分の上役や尊敬する人をチャンづけにはしない。日本語では「様」が尊敬語、「殿」が対等語だそうだが、テレビで司会者が女性アナウンサーを呼び出すのに「君付け」を使うのをみて、社長や政治家を「君付けで呼べ」と憤るのも大人気ないのだろうか。

こうした内容が一冊の本になっているのであるが、実物を保存していないので記憶に頼らざるを得ないが、この広告が読者の共感と感動を呼び、新聞社には読者から絶賛する投稿が殺到したというのも頷ける。そしていつしかどこの企業が提供しているのかも人の知るところとなり、作者も知れ渡る。とたんに企業イメージはうなぎのぼりに上昇し、それはお金に換えられない効果をもたらしたのである。躍起になって誇大広告もいとわない例を知る身にはなんとも清々しい気になったものだ。

組合で教育宣伝にかかわる仕事が多かった自分は、この本を呼んでから読者(組合員)に知らせる方法に変化があったように思えるのである。「知ってほしいこと」よりも「組合員が知りたいこと」を書くように、それを「教える」のではなく「共に考える」視点で表現しようとしてきたつもりだが、でも果たしてそうだったのか、今になっても自問自答を繰り返す毎日である。