再び娘に―
一年を異国に出す親の心情というのは、よく考えてみると君の決断を賞賛する一方で、あれやこれやの不安が錯綜する複雑な気持ちなのである。
異国文化というのは、本来一年や二年の現地生活で理解できるほど単純なものではない。もっとも、第二次世界大戦中、日本研究に力を注いでいたアメリカで、民俗学者のルーズ・ベネディクトは「菊と刀」を著し、その分析は日本人から見ても正鵠を得、加えて日本を一度も訪れたことのない著者の識見は、今も絶賛を浴びているという例外もあるが、いずれにしても、一般的に言えば外国人には理解しにくいというのが文化なのだと思う。人類はこの世に姿を見せたときから、無限と信じた地球の中を行きかい、混血を繰り返し、言語や宗教の同一性や類似性をもとに民族を構成し、そして文化圏をつくり上げた。だから本来は純血などはありえず、民族の優劣などは存在しないにもかかわらず、いつしか民族を中心にした国家をつくったのも、言い換えれば、家族が骨肉の情で絆を結んでいるのと同じように、人間というのは比較的似通った言語、宗教、習慣、民族性などで集団を形作る本性を持っているからではないだろうか。とすれば、建国二百年余と浅い歴史とはいうものの、祖先であるヨーロッパとの類似性は持ちつつも、アメリカ的文化にもやはり日本文化とは溶融しがたいものがあると見ておかなければならない。この不可思議な文化の相違こそ、わずか一年の生活で不十分なのは覚悟の上で、可能な限り探求すべきことなのである。
人間の業は恐ろしい。毎日が春の国民は、春の暖かさには何の感慨も沸かない。しかし、冬の酷寒を知ったものには、春はたとえようのない天国となる。毎日を両親の庇護の下で送っていれば、両親の愛情を知ることはもちろん、世間の荒波を乗り越えることはできない。同じ意味で、日本という殻をぬけて外へ一歩踏み出すことの意味は大きいということだろう。しかし、そこで気をつけなければならないことは、日本の習慣に問題があったことでも、同じことは異国にもあるということであり、そしてそれらは、長い歴史によって作られたものであるということである。
温和な自然の中では、自然は人間にとってどうにでもなる征服の対象となる。反対に日本のように、人間の力をもってしてもいかんともし難い台風や地震を経験していると、自然は克服するどころか、ひたすら畏敬の念をもってその力を利用したり避けたりすることしかできない。それゆえに、西欧の科学と日本の科学は歴史を見る限りにおいて明らかに違いをもつ。それは科学だけではない。狭い土地しか持たない日本では、土地を社会的地位の象徴として考える歴史をもっている。だから土地に命を懸ける「一所懸命」(「いっしょけんめい」が転じて「一生懸命」(いっしょうけんめい)になる)という言葉が生まれ、ゆえに土地への執着が強い国民性をもつようになった。また、アメリカの自由を尊ぶ理念も、遡れば法律が整備されていなかった西部の開拓時代、市民の多くが有罪と判断すればリンチと呼ばれる私刑が許され、その歴史が現在の陪審員制度と連なっていると述べる識者もいる。(私見だが、国民感情に沿う裁判を行おうと導入された日本の裁判員制度も、アメリカの制度を参考にする限りは、冷静な法律に基づく判断よりも、国民感情を考慮する、極論すれば、少なからずリンチの性格に近い制度になりはしないか心配でもある。)
それは別として、このように、その国の習慣や考えには長く深い歴史があることを知らなければならない。単に表層的な現象に眼を奪われず、その国の歴史や文化との関係にまで思いをいたすことができれば、それだけで今回の留学は意味あるものになるはずである。
(2012年12月20日・本稿は1982年~1988年執筆の原稿を加筆・修正したものである)



