鈴木勝利の「つれづれ日記」

コラム

vol.68 心のよりどころ~モノから心の時代の不安~
2013/08/08
 人間は、おそらくこの地上に姿を見せたときから、その心にいつも不安が同居していたに違いない。この場合、不安とは科学で証明されていない不可思議な自然現象への畏怖だけではなく、人間が人間であるゆえに宿命づけられた心の複雑さにもあったように思える。というのは、もし自然現象に対する不安だけであったなら、すべてではないものの科学によってある程度証明されている現在、心の不安は極めて僅かなものになっていなければならない。にもかかわらず、精神的不安はいつの時代にも存在するし、状況によってはむしろ増えることさえある。大昔の自然現象の中で、人間にとって不可思議であると同時に、最もあこがれ、かつ畏怖していたものは太陽や月であった。

 太陽や月こそが、人々の心を暖め、生活しやすくさせる自然現象として偉大な力を持つ存在だったのであろう。だから、日食とか月食が、太陽や月の変化として人々不安にさせ、不吉な現象として生贄とか奇祭を誕生させてきた。この偉大な太陽こそが人々の心の不安を、それが猛威をふるう自然現象であれ、自分自身の精神的動揺であれ、太陽を崇拝することで心に安らぎを求めていた。

 宗教はこうして、人間の精神的不安をよりどころとして誕生し、やがて太陽のある天上に神が存在すると信じられたのだろう。中近東を中心に信仰されているイスラム教で、モスクと呼ばれる信仰の建物が、いずれもより高く、より天に近くと、塔の頂を上に伸ばしているのは、神に近づきたい意思の表れと見ていい。

 近年になって、日本の宗教の変遷を見ると、四回のブームがあったと言う。一つは幕末から明治維新、つぎが日露戦争から大正期、第二次世界大戦と戦後、そして現在の四回となる。この時期は新しい宗教が誕生したり、信者が急速に増大している。

 なぜこの四回か、と考えてみると、非常に興味深い共通点があることに気付く。幕末から明治維新の時期と、第二次世界大戦と戦後の二回は、いずれも日本の政治体制が大きく転換するときであり、あとの二回のうち、日露戦争と大正は、富国強兵と相俟って、日本が近代資本主義の発達をはかった、いわば経済構造の転換期と言える。

 そして現在は、経済的には従来の重厚長大中心から情報サービス時代への転換、企業内の処遇も年功序列型から成果主義へ、さらに雇用への不安定さから将来への不安を抱え、既存の価値観は大きく揺らぎ、確固たる未来を描くことが出来なくなったといえる。

 人間一人ひとりにとって、政治や社会・経済構造が本質的に転換するときには、今までの価値観、心のよりどころが否定されるから、強い精神的不安を起こす。その精神的不安が強い時期に、宗教ブームが起こっていることをみると、人間に心がある限り、宗教もまた無くならないように思う。

 人の生き方はさまざまである。宗教に頼らずに生きることが出来る人もいれば、信じなければ生きられない人もいる。しかしいずれにしても、今がモノより心のありかたが重要な時代になったことだけは間違いないのである。

(2012年12月20日・本稿は1982年~1988年執筆の原稿を加筆・修正したものである)