先日不幸にも心不全で逝去したが、中学校の同級生であったG君は横浜の関内というところで寿司屋を経営していた。音信不通であったG君と、
ひょんなことから再会したのが二十数年前になる。それから何度かは店に足を運んだのだが、朝の市場通いから深夜の閉店まで一人で取り仕切ってきたが、
よる年波のせいか数年前に店を閉めていた。
地方新聞とはいえ、大手の「神奈川新聞」に連載された「関内百店」のトップに掲げられ、今は亡き作曲家の高木東六さんをはじめ、有名人が立寄る店として
当時は有名であった。最盛期にはこの関内店のほかに、横浜駅の東口と西口に店を構えていたので三店の店主ということになるのだが、私と同年での活躍ぶりに
圧倒されたものだ。
横浜の有名進学校を卒業して、大学に行かずに敢然とこの道に飛び込んだ経歴から、もって生まれた才覚と勇猛果敢さで成功を成し遂げたのかと思っていたが、
いろいろと世間話をしているうちに、どうもそんな生易しいことではないことに気づく。彼の何気ない会話にあるのは、実は貪欲なまでの職業意識なのだ。
たまの奥さんとの買い物では、店に並ぶあらゆる商品を、自分の店で使えるのか、ふさわしいものはないのか、そんな眼で見ている。彼にとっては、
すべての時間が店にとって、顧客にとってどうかということを考えて過ごしている。その姿勢たるや到底及ぶべくもないが、そこまでいけば、職業意識も間違いなく哲学である。
某化粧品メーカーに香料の研究室があるが、ここの研究員は臭(にお)いに敏感でなければならない。
鼻に自信があるというのは、たとえばあるアメリカ人が、「日本のケンタッキー・フライドチキンは魚臭い」といったというが、ニワトリの餌にイワシなどを使っていることさえ
見抜けるという。
さて、この化粧品メーカーの主任研究員は、海外旅行をした際には飛行場の臭いの違いを見抜けるという。もっとも私たちでも、隣の韓国の空港に降り立ったとき、
強烈な臭いを感じるから、大なり小なりそういう嗅覚はあると思うが、パリの空港では葉巻とチーズ、ドイツでは針葉樹の匂い、ロンドンでは石炭の臭いがしたという。
そして日本に舞い戻ったときの臭いは、やはり魚であったといえるのはやはり才能である。
通勤電車でいつも会う大学の先生から、あるとき腐敗臭を感じた。一ヵ月後に気になって問い合わせてみたら、胃癌で亡くなっていた。「人の死期がわかってしまうなんて」と
言葉が途絶えるが、臭いを嗅ぎ分けるには、鼻から吸い込む空気は五分の一くらいにして、犬のようにクンクンと嗅ぐのが最適と、やはり職業意識のかたまりのようだ。
人生、仕事のためだけにあらず、というが、人生というのは、仕事を通じて培われた、「ものの見方、考え方」によって左右されるのだから、たとえ、それが人の嫌がる仕事でも
職業意識といわれるくらいの信念を持つのが必要なのだろう。
また、よく会社で上長からコピーなどの雑用ばかりさせられていう愚痴を聞くこともある。きれいごとばかりを並べるつもりはないが、コピーを頼むほうも、頼まれるほうも、
少しばかり考えてみよう。上長は、部下がコピーをしてくれたことによって、始めて自分の仕事が完結する。コピーしてくれなければ仕事は中途半端のままだ。
部下がコピーしてくれたからこそ、自分の仕事が完成するのである。そんな大事なコピーだからこそ、礼を尽くしてコピーを依頼するべきなのである。
コピー自体は単純な仕事といえるかもしれないが、実は重要な意味を持っている仕事でもあるのだ。頼むほうも、頼まれるほうも、そうした姿勢をもっていたとすれば、
コピーは雑用などとはいえないのである。
釘はハンマーがなければ役に立たない。仕事も、それぞれが相互に役立つことで成り立っている。どれをとっても、役に立たない仕事などないのである。
仕事を通じて培われる「人間の価値」とは、そうした考えになれるか否かで決まるような気がするのだが。
(本稿は2011年7月にj.union社の社員向け「温故知新」で執筆した原稿を加筆・修正したものである)



