鈴木勝利の「つれづれ日記」

コラム

vol.73 心の縁(よすが)、何処に ~心の襞は壊れやすい~
2014/01/15
ASPホームページ向け「つれづれ日記」(72)原稿                   2014年月日

 海洋冒険映画といえば「タイタニック」が有名だが、少し前までは、津波によって転覆、船底を上に遭難した客船から脱出する物語「ポセイドンアドベンチャー」が記憶に残る。封切られたのはかなり前になるが、当時は娯楽作品として一級品の折り紙をつけられる一方で、科学万能主義、商業主義への批判、人間の葛藤、信仰のあり方など、いろいろと考えさせられることが多い映画といわれた。なかでも、信仰心の厚いリーダー役の神父が、最後の難関を突破するときに、「神よ、助けはいらぬから、邪魔だけはしないで欲しい」と叫びつつ、他の人を助けるために命を犠牲にするシーンは印象的で、今でも鮮明に思い出す。欧米人の心理や生活規範は、「神」を抜きに語れないが、時に「神」の存在は、人間社会に憎悪をもたらす。ニューヨークの貿易センタービルがテロ攻撃によって崩落し、日本人を含む多大な犠牲者を出したのが2001年、それから10年を経てテロ実行組織の首謀者ビンラディンがアメリカ軍の手によって殺害された。動機や経過がどうあれ、民主主義社会の規範とテロという暴力の対立という本来の構図は、いつの間にかキリスト教とイスラム教の宗教対立に置き換えてしまう主張も散見される。多様性を認める仏教(仏教の中では日蓮宗だけは一神教であるが)とは違って、キリスト教、イスラム教とも一神教、すなわち他の宗教は邪宗としてその存在を認めない。邪宗である他の宗教はこの世に善をもたらすどころか、存在自体が悪であるのだから排斥して当然となるし、説得して改宗しないのであれば、存在自体が悪である邪宗を信じる人の肉体を抹殺、すなわち殺人を犯してもそれを正当化できるのである。中世ヨーロッパで宗教戦争が皆殺し戦争になるのもうなずける。これだけ強固な「信じる」力を持っている宗教なのに、キリスト教はまだ十分な判断力を持っていない幼児に洗礼を施して信者としてしまうし、イスラム教も同様に、イスラム教の信者の家に生まれた子どもは自動的にイスラム教の信者にさせられてしまう。いくら生活の規範に「神」の存在があったにしても、判断力のない乳幼児を入信させることで信者を拡大させる宗教に違和感を抱いたとしても、所詮無宗教論者のたわごとと非難されるのがオチのようである。

 アメリカに帰化した娘の久々の訪日の際にも、かわいい孫娘の神社・仏閣への初詣に、断固として礼拝をさせない頑固さには些かあきれることもあるが、日本に来ても日曜日には教会に出かける熱心さがあるので負けてしまう。

 さてこれだけ影響力を持っている宗教と並んで、欧米での「ギリシャ神話」も日常生活に溶け込んでいる。日本でいえば「古事記」や「日本書紀」ということになるのだが、日本の神話のほうは科学的な裏づけが不足していることからあまり重要視されていない。「ギリシャ神話」では、ポセイドンは海の神であるし、1913年の処女航海で氷山に衝突、1,513名の命が大西洋に消えたタイタニック号の名前も、この神話に出てくる民族の名である。

 全知全能の神「ゼウス」の妻となった「ヘラ」のローマ名を英語読みにするとジューノ、そのため6月はヘラの月として、6月の花嫁(june bride)は女神ヘラのご加護を受けて幸せになれると言い伝えられている。日本の6月は梅雨、昔は結婚式には歓迎されないといわれてきたが、このジュンブライドによって、不向きどころかロマンチックな結婚式として若い人々に夢を与えるようになった。それが業者の商業戦略などというつもりはないが、ジュンブライドだけで幸せになれるものではないのだから、若い二人にとって、恋によって燃え滾(たぎ)る情熱があるうちに、理性を磨いて相互に尊敬と信頼ができるようになって欲しいものと思ったりもする。恋の情熱だけの結婚は、冷めていく感情に抗しきれず離婚に陥りやすい。尊敬や信頼という理性があれば永久に持続する。

 もともと人間とは「理性」の維持には疲れやすく、「安易さ」に流されやすい。自分をほめてくれる人や、自分が嫌いな人をけなす人に吸い寄せられやすい。自分が完成していない人は、こうしてますます不幸になっていくのが人間の業だから、そうならないためにも、人生における努力が欠かせないのだ。

人間の感情は複雑であり、心の襞(ひだ)は壊れやすい。そのときに心の縁(よすが)ともいうべき「神」の存在が人々の規範を維持させる力を持っている。それが欧米の規範力ということであれば、無宗教・無信心の多い日本人は、何をもって、ややもすれば現実の困難さに折れそうな心を保ち続けてくれるのか。どうやらそれは、仕事に対する「やり甲斐観」、人生における「生きがい観」のようだ。

(本稿は2011年7月にj.union社の社員向け「温故知新」で執筆した原稿を加筆・修正したものである)