鈴木勝利の「つれづれ日記」

コラム

vol.74 毎日が一センチの今日をどう生きる~地球の歴史の中の瞬間であっても~
2014/02/15
 地球の年齢は約45億年。この45億年を一年間として、人類が地球上で生存し始めたのがいつごろかと見ると、12月31日の夜8時~10時頃になる。
何のことはない、私たち人間は地球の生命から見れば、ほんのチョッとした時間しかこの世に存在していないことになる。
1月1日に地球が誕生し、いよいよ12月の大晦日、除夜の鐘が聞こえる頃、やっと人間が地球上に姿を見せたということだ。
地球の長い命に比べれば、人間が存在している期間ははかない時間だ。人生八十年、さまざまなことを経験する。
なんとなく「苦しきことのみ多かりし」の感がないわけではないが、人類の歴史が12月31日の瞬間の短さの中で、自分の八十年の人生の長さなど、ものの数ではない。
そのはかない時間に、いろいろな経験をし、時に喜び、時に悩み、時に苦しんだとしても、地球の命と比べればあってなきに等しい瞬間の出来事でしかない。
そんな束の間の悩みや苦しみは、悩む程でも苦しむ程でもないような気がする。「くよくよするな」些細な出来事だ。
そう思えばこの悩みも苦しみもちっぽけなものだ。
科学で自然を制覇したといわれる栄光の人類も、地球の歴史の中では、いまだ瞬間にしか生きていないのだ。

 ウェゲナーが大陸移動説を唱えたのは1912年。ヨーロッパ大陸とアフリカ大陸西岸の凹んだ部分が、南北アメリカ大陸の東岸の膨らんだ部分とが重なることを発見して、
世界の大陸は昔は一つであったと世に問うたわけだが、陸は一つ海も一つの世界から、陸が分かれ始めたのは約1億5千年前。
地球の年齢45億年に比べれば、これもつい最近のようなものである。

 地球物理学者の竹内均氏が、昭和天皇陛下にこの大陸移動説の話しをしたところ、陛下から、「地球が45億年前に誕生して、
1億5千年前までジッとしていて、そこから急に動いたというのはおかしいじゃないか」という意味の質問をされたそうであるが、
現在の科学では、その前もやはり大陸の離合集散があったらしい、という程度しか言えぬらしい。

 東日本大震災で明らかなように、いくつものプレート上に存在する日本ゆえに、地盤が大きく沈下した地域もあれば、かなりの距離を移動した地域もある。
そうした不確定要素を除外しても、大陸移動説によると、日本はおよそ一年に一センチ程度、少しづつ南下している。一年に一センチであれば、一億年たつと千キロメートルになる。
千キロといえば、東京―下関間。毎日の私たちの生活が、子々孫々、永遠に受け継がれていって、一億年経ってみたら、今の東京が下関の位置にまで移動しているとしたら、毎日の一センチとは恐ろしい距離になる。

 人生八十年、つまらないことにくよくよしない一方で、毎日を無駄に過ごせないこと感じるのだが、長いスケールで自分を推し量るとすれば、やはり人生は親から子へ、孫へと連なる永遠の営みである。
その長い時間の、ほんの一瞬に生きている意味とは何なのか。
 考えてみれば、人生とは何か向こうのほうから一方的に与えられる宿命論ではなく、自ら創造していくもののようだから、瞬間、瞬間の生き方や考え方の積み重ねによって作られるに違いない。
そして今日も、今がその瞬間なのである。

(本稿は2011年7月にj.union社の社員向け「温故知新」で執筆した原稿を加筆・修正したものである)