鈴木勝利の「つれづれ日記」

コラム

vol.5 ヨセミテ公園の鹿
鈴木勝利 顧問
2008/05/26

 アメリカ合衆国カルフォニア州の中東部、シェラ・ネヴァダ山中にヨセミテ国立公園がある。この山岳公園は氷河の侵食による特異な地形を持っている名高い公園で、中心がヨセミテの谷にあるところからヨセミテ国立公園と呼ばれている。今から150年余前の1851年に発見された比較的新しい自然地帯で、ヨセミテの谷はU字形の谷になっており、深さは800m、幅1,600mある。長さは実に10kmに及ぶ。谷底には美しい針葉樹やセコイアの林、緑の牧場が広がり湖も多い。動物も野生の鹿をはじめとして多く、想像しただけでも緑豊かな自然の美しさを思い描ける。

 国立公園に指定されてからしばらく経ったころ、ヨセミテ公園に異変が生じる。観光客の人気も高い温和な鹿が獣の餌食になり始めたのである。次から次へと猛獣の餌食になる鹿を見るに見かねた善意の団体、今流に言えば動物愛護団体とかNPOということになるのだろう。その動物愛護団体などが音頭をとって政府に迫り、天敵である獣の殲滅(せんめつ)に成功する。これで自分より強いものがいなくなった鹿は自由気ままに森での生活を楽しんだに違いない。しかし、このことが生命の連鎖ともいうべき自然界の生態系を破壊することになる。天敵がいなくなった鹿は異常繁殖を起こしてしまう。限りある餌では足りなくなり、鹿どうしが餌を取り合う様は修羅場ともいえるほど凄まじかったのである。

 話は変わるが、動物の生態系とは面白いもので上手くできている。テリトリー内で生活する動物は、その中で生存できる食料の範囲内しか繁殖しないという。異常繁殖した場合は、生存可能な数に調整するのだ。北アメリカで異常繁殖したムースの集団が、リーダーの先導で突如暴走を始め、次から次へと崖から転落し生存できる適数になるまで死んでいく。動物の本能がなせる業なのだろう。それに比べると、はるか昔の人間社会の間引きは、当事者として死ぬ意思を持っていない頑是無い子が、親によって間引かれるというのは実に残酷なことなのだ。

 さて、人間の手によって天敵が駆逐されたために異常繁殖してしまった鹿は、仲間どうしの殺し合いによって自然豊かな国立公園を凄惨な公園に変えてしまう。そこで再び善意の団体が立ち上がる。餌を提供しない政府の無策を非難し、これもまた多くの人々の支持を受けたために政府も立ち上がらざるを得なくなる。政府が餌の補給を義務付けられたのである。その結果、鹿の繁殖はさらに加速する。餌代の増加は当局の財政を圧迫し始める。

 そんな時、ある冬に猛吹雪が襲来する。外出もままならない猛吹雪は七日間にも及び、餌を置きに行くことさえできなかった。
 八日目、さしもの猛吹雪が止み外へ出て眼を凝らすと、餌を補給してきたために野生本能を失っていた鹿たちは、哀れにも半ば雪に埋もれながら、座したままの姿で死滅していたという。人間の手による餌の補給によって、自らの力で餌を取る本能が退化したゆえの結果だ。きっと、餌の補給を受けていなかった他の動物は、死に物狂いの本能の働きで命をつないでいたに違いない。

 この話は何も動物だけに限ったことではない。私たち人間も、何から何まで他人に依存していたのでは、自分の力で生活するすべを失ってしまう。依存症が無気力を生み、やがて人間の尊厳まで失うことになる。
 これが自立なのだが、自立心は意外に環境変化に敏感である。皆さんのご両親や祖父母の時代で、とくに貧しい時代を生き抜いてきた人は、自分のことは自分でやらなければならなかった。そうしなければ生き抜けなかったからだ。今は違う。モノが豊かに揃っているので苦労しなくても満たされてしまう。自立していなくてもそこそこに生きていかれるのだ。昔の人が「今の若い者は」と言うのはこうした環境の違いから生まれていることが多いから、単純に叱咤激励すればいいというものでもない。それだけ難しい環境の中で、労働者としての尊厳を作り上げるために、会社に要求するものは何で、組合自らが運動として取り組むものは何かを絶えず自問自答しながら教育宣伝の筆をとることを心がけたいと思うこの頃である。