「女だてらに」「女のくせして」。よく考えてみると、日本は、女性をさげすむ言葉の多い社会には違いないが、
それでも少しずつは変わってきたようだ。
男とは勝手なもので、年頃の青年をつかまえては、「その年になって女を知らぬとは情けない」と、
買春やソープランドを勧めるくせに、それだけ価値があるとしている売春婦やソープランド嬢に、
自分の妻や娘をさせる気はさらさらない。性によって慰められつつ、性を蔑む、男とは本当に手前勝手なのである。
その手前勝手な男に対抗して、男がキャバクラで鼻の下を長くしているのなら、女はホストクラブで楽しもう、
などというのは、男女平等でもなければ、女性の地位向上でもない。婦人運動を声高に叫ぶ一部の人に、
そんな感じが見受けられるのは残念で仕方ない。
もともと男と女は相補うものだ。女性が子どもを産む、そのために生理を始めさまざまな肉体的な特徴を持つのと、
そうでない男性とでは、明らかに区別が存在する。
しかし、それ以外の知性とか理性とか、感性とか、人間の精神的なもので、女性が男性に劣ることはない。
むしろ小学校時代などは女子生徒の優秀さが際立っていたような気がする。
はっきりと男が優るといえるのは肉体的な力の範囲に限られているようで、それ以外の分野では、
むしろ女性の素晴らしさに感動することのほうが多い。
時折思うのだが、男がわがまま放題、社会に君臨して、「女よ、それみたことか」と思っていても、
実はその男の自由奔放な言動も、所詮は女性の手のひらの中で踊らされているだけなのではないかとも思う。
子を産む体を持つ女性というのは、単純に性欲に翻弄されやすい男性と違って、
知性でも感性でも非常に奥の深いものを持っているような気がしてならない。それが女性美といわれるものであって、
たとえば、もし美貌だけが女性の若さであるとすれば、その美貌は老いることによって死んでしまう。
若さゆえの女性の美貌の死は早い。しかし、女性の美しさが、人としての美しさであれば一生続く。
その人間の美しさが、男性に影響を与え、男性自身を変化させていくのが女性美であって、
男にとって極めて魅力的なものであり、奥の深さを感ずるものなのである。
男にとって女性の魅力とは、美貌や従順さから、知性や感性に変わってきている。年老いた妻が、年老いた夫に
「私が恋をしたのは、あの昔の若いあなたなのよ」(サマーセット・モーム『クワルテット』)というのは
何を指しているのか興味深い。恋をしていた昔の若いあなたとは、肉体的若さなのか、精神的若さなのか、
どちらを意味しているのだろうか。同じように、男から同じ言葉を投げかけられた時の女性は、
いくら自信を持っていても、若さゆえの美貌だったとしたら、加齢とともに失っている自分を認めるしかない。
自分を見ている人の眼が成長しているときは、自分もそれ以上に人間として成長していかなければ、
「昔の若いあなたよ」にされてしまう。「あの昔の若いあなたではなく、今のあなた」に恋する。
若い時代から何年か経っても、その間、男と女が相補い、仕事や家庭生活、そして恋愛ででも、
お互いがお互いに影響しあって成長していれば、その中から男女平等の思想が定着していくのは間違いない。
「男を男にするのは女であり、女を女にするのは男である」のである。そうなってこそ、私たちがこの世に生きている証なのである。
(本稿は2011年7月にj.union社の社員向け「温故知新」で執筆した原稿を加筆・修正したものである)



